第43話 犠牲者と支援者

 翌日の朝早くだった。

 一連の疲労もたたって、早めに就寝した俺の元にチャットが届いた。

 微睡んでいた俺は起床し、通話を繋げる。相手はリエルだ。聞こえてくるのは酷く沈んだ、怯えるような声色で、深刻な様子を窺わせた。

 ルーシアの部屋まで来てほしいと言われ、そこで通話が途切れた。

 何やら言い淀んでいる節があったが、逼迫した状態であると判断した俺は、慌てて自室を飛び出ると一抹の不安を覚えながらもルーシアの部屋へと向かったのだった。

 リエルの隣の部屋だと聞いていた為、場所は分かる。俺は小さくノックし、個室の扉を開けた。


「シグレさん……」


 リエルはこちらを一瞥すると、俯いた状態で立ちすくんでいた。駆けつけた俺は、何が何だか分からないまま、中へと踏み入る。


「私が来た時には、もう……」


 そう口にするリエルの顔は、逆光でよく分からない。泣いているのだろうか?

 部屋には簡易なベッドがあり、ルーシアが仰向けの状態で寝かされていた。カーテンは閉められていて、小さく開いた隙間から朝日が差し込んでいる。


「私が付いていながら……すみません。……いえ、すみませんで済む話ではないですよね……」


「? ……何があったんだ?」


 部屋は重苦しい空気で満たされていた。気まずそうに、リエルは俺と目を合わせようとしない。俺は寝起きの気だるさを感じながら顔を顰めるも、部屋の中へと歩を進める。ベッドに横たえられたルーシアはまだ寝ているのか?

 俺はリエルの隣に立ち、そっとルーシアの顔を覗いてみる。

 ……妙に顔が白い。呼吸をしているのかは分からず、微動だにしていない。

 現状を理解できず、俺は彼女の手に触れてみる。

 異様なまでに冷たかった。


「リエル、どういう事だ? ……言ってくれなきゃ、分からないだろ。何かあったのか?」


 俺の問いにリエルは答えない。嫌な予感がした。部屋に入ってからずっと感じていたものだ。

 唐突にやってきた、何か重大な事件。その幕開け。そんな気がする。

 意識が徐々に覚醒し、目に映る光景が現実味を帯びてくる。

 ……ルーシアは寝ているのか?

 いや、違う。


「……まさか、死んでいる……のか……?」


 青白く、唇には生気を感じない。依然、俺達の会話に反応して起きてくる様子も無い。

 俺が発した小さな言葉に、リエルは掻き消えてしまいそうな声で「分かりませんが……恐らくは」と呟いた。


 恐らくは、何? 

 ……え、死んでるって事……?

 ルーシアが死んだ? 何で? いつ?


「ハハッ……笑えないな、そのジョークはどこで学んだんだ?」


「……」


 死んだのなら、神殿で蘇生するだろ?

 ……おかしいじゃないか。アヌビスゲートではプレイヤーは死んでも復活するじゃないか。

 思考がまとまらず、俺の口からは途切れ途切れの言葉しか出てこない。リエルは沈黙したままだった。


 ……なあ、誰か教えてくれよ?

 説明してくれなければ分からない。何があったんだ。何でルーシアは起きて来ないんだ。

 何で死んでしまったんだ? 誰かにやられたのか?


「……恐らくは、ってなんだよ」


「推測ですが……アイによって何かしらの干渉を受けて――」


「違う! そうじゃねえッ!!」


 何で冷静で居られるんだ、こいつは。AIだからか?

 ……だとしたら、今までの表情は全部演技だったって事かよ。


 ふざけてんのか? 笑えねえ。

 俺は振り上げた拳をゆっくりと下ろした。駄目だ、激昂したって、解決しない。まずは、まずは。


 ……まずはどうすればいいのか。


「すまん……ちょっと外に出てくる」


「シグレさん……」


 俺は振り返らず、荒々しく部屋の扉を閉めた。バタンと大きな音を立てて、屋内に衝撃が響き渡る。喪失感を抱きながら、俺はそのまま宿屋を飛び出した。

 ……大切な仲間が死んだ。そんな経験をした事は、俺の人生で一度もない。どうしていいか分からない恐怖と苦しみ、そして吐き気に蹂躙される。

 胸が痛い。頭の中が靄に包まれ、思考が覚束ない。

 手足に力が入らず、確かに歩いている筈なのに、足の裏に感覚が無い。


 ふと、自分が泣いている事に気付いた。街の大通りで突っ伏して、嗚咽している。全身が鉛のように重たかった。

 何でこうなったのか。

 俺もルーシアみたいに死ぬのだろうか。

 アヌビスゲートは死んでも生き返るんじゃなかったのか。

 ――父と母の顔が浮かび、幼少の思い出が頭の中を駆け巡った。


「大丈夫か?」


「…………アンタは、この前の……」


 視界に影が差した。見上げてみると、茶色い長髪を後頭部で束ねた長身の女性が立っていた。少女と言うには大人びており、凛とした雰囲気を漂わせている。

 以前、クラーケンと戦っていた女性だ。


「どうしたのだ?」


「ルーシ、仲間が、死んだんだ……リエルも何も答えないし、どうしたら……。

 アヌビスゲートは……死んでも蘇生する筈だった! でも! 違ったッ! 俺はッ――」


 突如、頬に強い衝撃を受け、意識が飛びかけた。尻餅をついた俺は、目の前に居る女性に頬を殴られたのだと悟る。


「街を救った英雄が情けない! みっともない姿を見せるな!」


「な、にを……」


「わたしはこの世界の人間じゃない。だけどこの世界の人達が立派に生きている事を知っている。人格が芽生え、人間として生きている彼らはプレイヤーと違って戦う術をもたない。モンスターに襲われ、命を落とし、時には抗い、生きている。……怯えながら必死に生きているんだ、この理不尽な世界で!

 それを、何だおまえは。泣くな、喚くな、逃げるな、向き合え! だろ!」


 叱咤される中、辺りから野次が聞こえ出した。同情する者、応援する者、批判する者、様々だった。騒ぎを聞きつけ、聴衆が集まってきていたらしい。

 俺は目を見開いて、殴られた頬を押さえながら、ただそれらに耳を傾けていた。俺を見て、誰一人として怒ったり悲しんだりしている人達は居なかった。批判している人間すらも、笑っているのだ。


「何があったか知らねーけど、アンタのお陰で助かったんだぜ」


「応援しとるぞ! 頑張れ!」


「そうだよ、泣かないで!」


 聞こえてくるのは彼らの激励の言葉だ。


「……わたしが思うに、多分その人は死んでいない。だって、アヌビスゲートではプレイヤーは死なないから」


「そ、そうだけど……でも」


 その女性は小さく口の端を吊り上げると、「また会おう」と残して去っていってしまった。

 何人かの献身的な町民が俺の元へやってきて、口々に心配の言葉をかけてくる。

 過ちを犯し、誰にも認められなくなったあの日から長い年月が経ち、いつしか俺の周りには少しずつ人々が増え始めているのかもしれない。

 大事なのは決して数ではない。少なくとも、俺達は身近な誰かに支えられている。

 この街の住人は、こんな俺に対して感謝してくれているのか。

 ……元はと言えば、俺の撒いた種でもあるのだが。


「ありがとう、もう大丈夫。すまない」


 三拝九拝しながら、少しクリアになった頭で考えてみる。謎の少女やその台詞。分からない事は増えたが、冷静さを取り戻せた気がした。

 ……そう、アヌビスゲートではプレイヤーは死なない筈なんだ。HPがゼロになれば、神殿で復活する。そうなんだが……


 いや、まさか。違うのか?

“HPがゼロになったら神殿で蘇生する”のではないのかもしれない。例えば“再起不能になったら神殿で蘇生する”とか。

 つまり、HPがゼロになる事が必ずしも蘇生の条件では無いのかもしれない。

 もし前提条件が間違っているのだとしたら……

 確かに、ゲーム時代とは違う。だが、死亡すると蘇生するルールは変わっていない。とすると、ルーシアは死んでいない?


 俺は宿屋へと急いだ。決め付けるのは早計かもしれなかった。

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