第4話世に出なくても書き続けますか?

小説を書いているからには世に出たい。誰もがそう思うだろう。私だってそうだし、こうやってネット上で小説を書いている人たちにもたくさんいると思う。世界に影響を与えたいとか大それた願いでなくても、自分の書いたものが誰かの心に響くのなら、こんなに嬉しいことはない。


深夜2時になる頃、パソコンの前から顔を天井に向けて大きく息を吐いた。壁にかかっている時計が時を刻む音が、うるさいほど響いている。音の出ないものに買いかえようかと何度も何度も思ったけど、なかったらあまりに静かすぎて落ち着かないかもしれない。毎回そう思い直して結局買いかえない。外を出歩く人のいない闇夜。住宅街は静けさに包まれている。夏から秋にかけて吹く風が物寂しく人恋しく思えた。


「千鶴子さま、そろそろお休みになられますか?」


カクヨムのユーザーをサポートするAI、バーグさんの声に現実に引き戻される。愛らしい表情を浮かべる少女の見た目に騙されるが、結構なスパルタ体質である。あの手この手を使って書き手を執筆させる執念には驚かされていた。


「そうだね。もう夜も遅いし」


そう言ったものの、カクヨムから退出する気になれなかった。


「どういたしましたか?何か気になることでもありましたか?」


バーグさんの心配そうな、あくまで心配そうな表情と声音に思わず呟いた。


「本を書いても書いても、うまくいかなかったらどうしようかと思って」


わずかな間があった後、バーグさんがまったくわからないといった風に首を傾げてから、さも当然のように微笑んだ。


「書けば良いのではないでしょうか?一生」


私はがっくりとうなだれる。そう、バーグさんは書くサポートをするんであって、私の人生相談に乗るわけではない。私は小説を書くことが、仕事として成立するのかどうか不安になっている。一冊本がでたとはいえ、似たような人はたくさんいる。継続して出し続けてこそ作家といえよう。その上、重版がかかるかどうかや、部数がどれほど出るか次も出してもらえるのか、考えることが山のようにある。


私はといえば毎度のことながら宙ぶらりんだ。


私が返事もしないでうなだれていると、ぴこんっと音がした。頭を上げると画面上にぱっぱっと資料と写真が表示されるのが視界に入る。どうやら第二次世界大戦頃の資料のようだ。名言と言えるような文字がどどんと目の前に現れたから、声に出して読む。


「反逆児 知己を 百年の後に待つ?」


「戦時中に反戦に関する文章を書き続けた方の話です。もとは軍人でしたが、ジャーナリストとなり軍備撤廃を求める記事を、生涯にわたって書き続けました」


「戦時中って、それ、マズいんじゃない?」


戦争のことを知らない世代の私でも知ってる。確か戦争に反対するような言動をとった人は、軍に引っ張って行かれて拷問を受けたりひどい目に遭わされたはず。他にも陸軍の暴走が悲劇を招いたとか招かなかったとか。う~ん。断片的でうろ覚えの知識だな。


「ええ、彼は世間から遠ざかり、家族にも迷惑がかかるからと、誰にも見せることなく反戦に関する文章を一人で書き続けました。」


窓にぽつりぽつりと雨が叩く音がした。明日はお天気の予報だったのに、夜から雨が降り始めたようだ。朝になったらやむかもしれない。雨音が強まり部屋の中に響く時計の音も聞こえなくなった。


「つまり、生きている間には世に出せないものを書いたんだよね?」


バーグさんが提示してくれた資料を読み進める。本当に書きたいもの、伝えたいものは世の中の人に届かない、届けるわけにはいかない。体の中に冷たいものが注ぎ込まれたような気がした。自分がそんな大層な物を書くとは思えないけれど、そういう人だっているんだ。


「百年後に、いえ、千年後にと願ったかもしれませんね」


資料をさらっと読んでからちょっと落ち込んだ。そういえば海外の学生がネット上で書いた文章を、FBIに目をつけられて質問されたという話を聞いたことがある。ありえないことじゃないんだよね。ある大国ではずいぶん情報統制が取られているし。


「私はそんな心配いらないね」


資料から目を話してにへらと笑う。そんなでっかい志なんてないもん。


この時バーグさんはきりりとした表情で私を見つめた。今までだって真剣なまなざしと口調でサポートしてくれていたけれど、今の表情はいつもと違った。


「千鶴子様が生きている間に出せないような本ができましたら、このリンドバーグが必ずや守り通します。千年でも二千年でも」


誰かに消されるようなことは決してありませんと。胸を叩いて請け負うバーグさんに私は目を丸くした。


「大げさだよ~。バーグさん。私の小説にそんな価値ないって」


ケラケラ笑う私をバーグさんが困ったような顔をする。


「この世に存在する物語に、価値のないものなどありません。時代に合わず日の目を見ない物語も、どんなに小さな物語もダイヤのように輝いているんですから」


一呼吸置いてバーグさんは笑った。まるで天使みたいに。


「少なくとも私、リンドバーグにはそう見えますよ」


「うん。ありがとう」


「千鶴子様は、もっと研磨した方が良い思いますけどね」


……推敲が足りないということデスネ。気にしているところをさっくり言われて、私は頬をかく。パソコンの右端に小さく表示されたデジタル時計の数字は、3時前になっている。このままでは徹夜になってしまうと、慌ててバーグさんに今日は寝ることを伝えてパソコンの電源を落とした。


ふらふらと机の前から離れてベッドに倒れ込んだ。肌寒いので布団の中にもそもそそと潜り込む。掛け布団の頬ずりしてから先ほどのバーグさんとの話を思い返す。


「この世に出してはいけない本。バーグさんは必ず守るって言っていたけれどどうやって守るんだろう」


バーグさんのおかげで保存やバックアップの心配がいらなくなっている。書いている途中で停電になって消えてしまっても、書きかけの小説がキレイに残っているから、すぐに作業に戻れてありがたい。


「政府が情報統制を行えば、バーグさんだって変わっちゃうんじゃあないのかな」


それこそ政府が禁止する用語や資料、文章には規制が入り、閲覧禁止の資料だって出てくるに違いない。しばらく考えていたけれど。自分にはまったく関係のない世界のことだと考えるのをやめた。眠気に襲われて目を閉じる。


夢の中で天使の翼がはえたバーグさんが、大きな図書館で本を一冊一冊丁寧に整理整頓していた。バーグさんがサポートしたユーザーさんの本が、所蔵されているのかもしれない。


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