第二章 5.

 精霊が歌う。それは言葉ではない言葉。耳ではなく、目で聞く音。舌で見える映像。人間の五感を超越した、直接的な魂のふれあい。それが、精霊との語らいだ。

 精霊とは、万物に宿る力の思念である。姿形を持たず、そこに《在る》ということだけが存在の定義であり、そのため人間との意思疎通は、素質を持つ者でないと許されない。だが、人が眠った状態、理性と感情が拭い去られた、生まれたままの魂ならば、触れ合うことも可能なのだ。

 精霊は、人の精神と同調する。人だけでなく、あらゆるモノの精神と同調する。そして時として、精神と精神を同調する架け橋にもなりうるのだ。そう、まさに今のような――


           ●


 それは、白い意識だった。青い意識だったかも知れない。否、白く、そして青い意識だ。川の流れに似た、変化し続ける色。それを見ている自分自身の色を、ティセは知ることができない。

 白く、青い渦。その中心には、黒いカタマリがあった。固いのか柔らかいのか、温かいのか冷たいのかも分からない、どろどろとした光沢を放つ、黒いカタマリ。

 触れたくないと、ティセは思った。触れてしまえば、きっとその黒に飲み込まれてしまう。ティセ自身が、黒く堕ちてしまう。

 しかし、黒く震えている自分に気が付く。どうして? 触れていないのに?


 ――そうか、これは、誰かの心!


 精神が触れ合えば、自分の中にないはずのモノが流れ込んでくる。ちょうど、今自分を取り囲み、黒く染め上げようとする《黒》のように。

 ティセが震えるのではない。ティセの魂が震えているのだ。他者の精神に触れ、それに共感しているのだ。


 ――嫌だ、染まりたくない!


 ティセは、強く拒んだ。それに応えるように、ふっと黒いカタマリはティセから離れていく。と同時に、自分がぼんやりと浮かび上がっていく感覚を、ティセは味わっていた。


          ●


「っ」

 そして、ティセは目を醒ました。暖炉の中で、火花が遊んでいる。窓の外は、すでに暗い。そして漂う、パンの香ばしい匂い。

「もうすぐできるよ」

 その声の主は、当然ながらトウヤだ。鍋をかき混ぜながら、振り向かずに彼は続ける。

「さっき外を見たら、また雪が降っていたんだ。寒くなると思うから、暖炉に薪を入れてくれると助かる」

 ティセは起き上がり、言われた通りに薪をくべた。

 どうやら、いつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい。とはいえ、ほとんど毎日、午睡する習慣があったので、そう簡単に新しい生活に合わせることは難しいかも知れなかった。

「なんだかごめんなさい、食事を用意させてばかりで」

 ティセが謝ると、トウヤは答える。声色から察するに、苦笑でもしているらしかった。

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