幕間Ⅰ 1.
雪に濡れた石畳の上を、獣の皮を巻いただけの少年が駆け抜ける。彼が小脇に抱えているのは、貴重な植物紙を使った新聞である。獣皮紙に比べて軽いはずの紙だったが、それを何十枚と重ねた上で走るのだから、結構な重労働である。印刷職人の見習いである少年には、文字通り荷が重い仕事であったかも知れない。
加えて、ここしばらくは雪が続いていた。今日でこそ、数日振りに太陽の光を浴びているが、そのせいもあって、足下はべしゃべしゃに濡れていた。上等とはいえないない履き物だけでは、足が悴むもの仕方がないことだった。
足が冷たいと、意識をほんの少しだけ足に向けた。その瞬間に、運悪くも石畳の広い隙間を踏んでしまった。「あっ!」ぐらりと傾いだ体を、若さ故の機敏さでなんとか立て直した。だが、小脇に抱えた重たい新聞は、そうもいかなかった。
濡れた石畳の上に、数十枚の紙がばさりと零れた。しまった、という声を上げるのももどかしく、文字通りかき集めるようにして紙を拾っていく。が、上質な植物紙というものは水の吸収が早く、兄弟子たちが手書きで書き写した新聞は早くも滲んで読み辛くなっているものがあった。
――殴られる!
職人気質である兄弟子たちは、自分たちの苦労がどうこう以前に、人様に見せるはずの品を台無しにしたことを怒るだろう。とは言え、その怒りは叱責はある種当然のものだし、この先自分が弟弟子を持つようになって同じ失敗をしたなら、やはりぶん殴って叱り付けてしまうのだと思う。だから仕方ない、と諦めるほど、少年は達観してはいなかったのだが。
憂鬱な気分で新聞を拾い集めていると、それを手伝う人物が現れた。
「大丈夫か?」
ああ、世の中には親切な人もいるんだなと心を温めながら、少年はその人物を見上げた。なめし革を縫い合わせた頑丈な靴。一片の曇りもない白い脚絆。腰にぶら下がった実直な両手剣。秋の果実よりも赤い布で作られた上着。そして、それら高級品に囲まれるに相応しい、男の顔。
「り、リイザル王子!」
少年は、すぐに顔を伏せた。そのすぐ後で、新聞を拾いながら跪くより、一度立ち上がって改めて跪くべきだったかと、冷や汗を流しながら考えた。
目の前に立つ男の名は、リイザル・フェン・リシュウト。ここリシュウト国の次期王位継承者であり、またいずれは暴君になるのではないかとすら噂される人物だった。欲しいと思ったものなら、なんでも貪欲に手に入れようとするその姿は、現国王・ハガナイよりも、よく言えば力強く、悪く言えば思慮深さが足りない、というのが通説となっている。
リイザルはしかし、そんな民の間で流れる噂など知るはずもなく(あるいは知っていて、気にもかけないのかもしれない)、なんでもない風で笑って言った。
「なに、そう畏まらなくともよい。君はなにも、ワタシを怒らせるようなことは、してなかろう?」
「は、はい……」
新聞屋の少年は、おずおずと顔を上げた。だが、リイザルの顔を直視することなど当然だができない。その視線は、王子の胸の辺りで止まってしまう。そこに金糸で刺繍されたのは、二匹のロウ。この国の紋章が胸に刻まれた、王家御用達の服装だった。
少年は、一心不乱に新聞を拾い集める。一刻も早くこの場を離れたい、という思いが分かりすぎるくらいの慌てように、リイザルは苦笑を漏らす。やれやれ、だいぶ怖がられてるみたいだ。
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