第一章 12.

 怒鳴られるだろうか、殴られるだろうか、あるいはその『ナマクラ』な剣で切り付けられるだろうかと、ティセは震える体を押さえ付けるように、小さく丸まっていた。

「……ありがとう、これ、返すよ」

 それは、ほっとさせるような落ち着いた声。トウヤの声。ティセが恐る恐る目を開けると、先ほどまでの獣じみた威圧感はどこかへ置いてきたのか、背筋のまっすぐな、優男と言った雰囲気を醸し出す元のトウヤへと戻っていた。

 ティセは、差し出されるままに剣を受け取る。震える手で剣を収めながら、

(いつか聞いたことのある、二人の人間が一人の中にいるっていう、奇病かしら?)

 と考えていた。もちろん、本当にその病を患う人間と知り合ったことなどない。だが、彼の様子の豹変は、まるで別人が体を乗っ取ったようにも見えるほど、はっきりしたものだった。

「さて……本当のところは、どこへ行こうとしてたの?」

 トウヤが呆れたように言った。彼の視線から逃れるように、ティセはふと顔を俯かせる。幼い頃、父親に叱られた時のような気持ちになった。

「……どこかは、決めていません。ただ、家から出たかっただけです」

「やっぱり」とトウヤは苦笑し、「君は、貴族の娘らしいね。僕は凡人だから、僕なんかじゃ想像も付かないような悩みだってあるんだろう。だけど、君は家に戻るべきだよ。守ってもらえるというのは、ある種の才能なんだから」

 才能、という言葉が気になった。才能と呼べるようなものは、何一つ持ち合わせていない。何か人より秀でた才能があれば、貴族であろうと平民であろうと、国の最高学府に在籍することができるようになっている。そこでその才能を十二分に伸ばし、国のために役立てていくのだという。

 だが、ティセはそこに選ばれることはなかった。剣技も魔法も人並みな、ただの娘。一つ付け加えるなら、貴族の、という枕詞が付くくらいだろう。

(貴族なんだもの、守られて当然じゃない……)

 反論は、心の中でのみだ。このトウヤという謎の多い魔法使いは、何かしら自分の芯のようなものを持っている。私のように単純に物事を決めはしないだろう、という恐れもあってか、ティセは特になにも言い返せずにいた。

 トウヤは、じっとティセの言葉を待っている様子だったが、一度ぶるりと身震いして、右手を左腕の裂傷に押し当てた。

「まあなんでもいいんだけど、僕はもう、小屋に戻っていいかな? 手当もしたいし、そうでなくても、ここにいたら凍えてしまう」

 だから早く帰れと、言外に言われているのをティセは感じた。しかし、それをおくびにも出さずに、いいことを閃いたとばかりに、ぱちんと手を打ち鳴らした。

「それなら、私に手当のお手伝いをさせてください。こう見えて、自信があるんです!」

「いや、それは……」

「片手じゃろくな手当もできません! ほら、早く小屋へ行きましょう。私だって、寒いんですから!」

 ティセは荷物を拾い上げて、さあさあと言いながらトウヤの背中を押す。寒いのは本当だし、そうでなくても、血まみれとなったここから早く逃げ出したい。それにトウヤの住む小屋にいれば、なんとなく安心できる気がしたのだ。

 トウヤはなおも、何か言い返そうとしていた様子だったが、やがてティセの勢いに押されて、素直に歩き始めた。

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