第一章 8.

 ティセはすぐさま、頭を切り換える。鳥かごと荷物を背後に隠し、片手剣を抜いた。今度は転ぶわけにはいかない。不意を突かれたわけではないので、思っていたよりも冷静に剣を構えることができた。

 同時に、自分の周りを飛び交う精霊たちに、古の言葉で呼びかける。それはかつて、人々が自然とともにあった頃の言葉だと言われている。

「Oye ataowi romam,Eti ra notior oyogaw,Oyi eriesu ratomot!」

 言葉に意味はない。重要なのは、自分自身の心に響かせること。精霊には耳はない。精霊と人を繋ぐのは、精神という部分だ。その精神を集中させ、精霊たちに求める挙動を示すための、呪文。

 ティセの言葉によって、精霊たちが一斉に使命を果たすべく、動き始める。ティセが契約している精霊の数は、三十。決して多くはないが、少ないほどではない。そのうち十体の精霊が、ティセの纏った外套に宿る。そして、本来なら獣の毛皮でしかない外套の硬度を上げ、即席の鎧となった。

 鉄の鎧とほとんど変わらない硬度を持った外套。あまり長時間は持たないまでも、一時的な戦闘の間なら充分に耐えられるはずだ。おまけに、鉄の鎧よりもずっと軽い。事実、国の騎士団でもこの精霊魔法による鎧を用いる者がいるほどだ。

 ティセは荷物と鳥かごを下ろす。背後に守るものがある、それだけのことで、不思議と力がみなぎってくる。

「ッ、破ッ!」

 雪を蹴散らし、ティセは一陣の風となって走る。足下が雪であることを考えれば充分と言えるような踏み込みだ。一気に魔物へと詰め寄る。魔物は未だ、両手(?)を拡げて立っているに過ぎない。先手必勝、ティセは鋭く、剣を振るった。

 肉を切る感触――は、なかった。ただただ、剣は空を切る。ヒュンと虚しい音だけが響き渡った。

 魔物は、ティセの振るった一撃を、するりと水のようによけていた。そのまま体勢を変えずに細い腕らしき部分を振るう。ちょうど、ティセが剣を振るったのと同じ動きで。その腕の先には、八本のひょろひょろとした指が伸びている。

 背中を叩かれたのは分かった。あの細く、骨があるかないかも分からない指で、鞭のように背中を攻撃される。

(大丈夫、耐えられる――!)そう思った、しかし、「キャッ!?」

 まさしく鞭で打たれたような痛みが、背中全体を痺れさせる。膝を付きそうになる体を無理矢理転がし、魔物の脇をすり抜けて再び距離を取った。

(おかしい、精霊の防御が破られた……?)

 ティセは、外套に宿っているはずの精霊に向かって呼びかける。が、反応はない。愕然としながら精神を集中させ、精霊の数を数える。……二十二体。八体が、消滅している。

「どうして!?」

 精霊は、基本的に一つの行動しか起こせない。その後はしばらくの回復を待ってから、改めて魔法を起こすことができる。なので、魔法を使ったからと言って精霊が消滅するはずはないのだ、酷く難しい魔法や、あるいは相手の精神に触れてしまって《疲弊》してしまったのならともかく。

(どうして……?)

 外套を硬化する魔法は、間違いなく働いていた。しかし、魔物に打たれた瞬間にその魔法は解け、背中を強かに打ち付けられてしまった。ということは、あの魔物は、魔法を打ち消せるのかも知れない。

(魔法だけじゃなく、精霊も消してしまうだなんて……)

 なんと傲慢な存在だろう。精霊とは、万物に宿った形無き魂だと言うのに。まるで自分の存在を正当と考える――人間のようではないか。

 いや、今はそんなことを憤っている暇はない。魔法を使えない以上、ティセには勝ち目はない。魔法を使い防御を固めた上での剣術なら自信はあるが、人並みの剣技では魔物に勝てるとは思えない。

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