第一章 6.

 リシュウト国には珍しく、じめじめとした雪が降っている気がする。毛皮を縫い合わせた靴の下で、ぐじゅぐじゅと雪が潰れる。その音が骨の髄を伝わって来るのを、ティセは歪んだ風景の中で感じていた。

(これから、どうしよう……?)

 トウヤに言った「小鳥を探しに来た」というのは、半分までは本当だった。魔物に襲われた際に逃げ出した小鳥のトウヤを探すのは、当然のことだったから。しかし、小鳥を見付けたからと言って、本当に屋敷へ戻るつもりなのかと、自問自答してしまう。


 ――だけど、あの屋敷には、自由がない。


 ティセはいつも、小鳥のトウヤに憧れていた。彼女(トウヤはメスだ)はティセと同じく、かごの中に住まう鳥だ。しかし、トウヤには翼があり、その翼は風を切り、空へ羽ばたくことができる。

 だがティセに翼はない。貴族の知り合いは多いが、しかし本当に心を許せるような友達は、精霊たち以外には誰一人としていなかった。少なくとも、人間には。

 幼い頃から、貴族として生まれたのならこうあるべき、と周囲の大人に教えられ続けた。そのため勉学に励み、また国策である剣術も学び、さらには精霊魔法も修めた。そして、懸命に学び己を磨いた先でティセが気付いたのは、自分にはなんの望みもないということだった。

 誰のために生まれ、何のために生きるのか。その答えすら出せないまま、ティセは大人と認められる年齢……十六歳になってしまっていた。そして貴族の娘であるからには当然とでも言うように、結婚の話が舞い込んでいた。父であるハガナイが、持ちうる限りのコネを総動員して用意した結婚の相手の名は、リイザル・フェン・リシュウト――この国の、王子だった。

 父のみならず、一族全員が大喜びした。なにせ、王家と繋がりができるのだ。その恩恵に預かることができるのだ。喜ぶのも仕方がない。

 しかしティセには、親族たちが一体なにを喜んでいるのかが分からなかった。彼らが喜んでいるのは、娘の結婚だろうか、それとも、王家との繋がりだろうか。

 そう考え、悩み、そして気が付いたら、屋敷を飛び出していた。箱入り娘の自分が、必要な荷物を集め、夜中にこっそり屋敷を抜け出し、魔物の棲む恐ろしい森を抜けて旅をしようと考えるなど、思ってもみなかったことだ。

 それも、ここで破れてしまうのだろうか? 魔法使いのトウヤに言った通り、屋敷に帰るべきなのだろうか?

 自由を得られない生活であっても、そこには魔物はいない。結婚すればリシュウト王城に住むこととなるだろう。そこには魔物など現れようもないのだ。それこそが、平穏というに相応しい生活ではないだろうか。ここで意地を張って森を歩くことが、本当に必要なのだろうか。

 持ってきた地図は、あくまでリシュウト国の国土を記した地図に過ぎない。この森が国土の半分を覆っていることは分かるが、果たして森がどこまで続くのかは分からないままだ。そしてきっと、森には魔物が出るだろう。いや、魔物だけでなくとも、獰猛なロウに襲われでもしたら、ひとたまりもない。いかに彼女の国の国旗に刺繍されようと、獣はやはり獣なのだ。

 不安。ティセの足を重くするのは、間違いなくその感情だった。しかし、それは街へ戻り、城に嫁いでも同じことのように思えた。なんの自由もなく、ただ飼い殺しされるだけの自分。確かに、慣れない履き物で雪を踏む必要はないだろう。獣や魔物を相手に剣を抜くこともないだろう。しかし、自由のない生活は、きっとこの森と同じぐらい、どこで終わるのかが分からないはずだった。

(お城で飼われるくらいなら、この森を歩く方がずっとマシだわ……!)

 ティセは、不安を裏返して力とした。その不安を覆す希望という感情に、精霊たちが喜ぶようにして震える。大丈夫、私には、この子たちがいる!

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