第一章 3.
少女が目を醒まして最初に見たものは、くすんだシーツの色と隙間のある床板だった。視線を巡らせると、床だけでなく壁も木製で、ゆらゆらと橙色の光と影が躍っている。少し焦げ臭い、煙の匂い。暖炉があるのだろう、部屋の中は少し肌寒いが、過ごせないほどではない。
窓には、きっと分厚いであろう鎧戸が閉じられており、その向こうに吹き荒ぶはずの雪や風の音はまるで聞こえない。ちろちろ揺れる橙色以外、不思議と心の落ち着く静寂。
少女はシーツの上で身じろぎし、徐々に感覚を取り戻していく。それにつれて、耳が新たな音を聞き付ける。パチパチと火が爆ぜる音。ギシギシと家具が軋む音。それから、鳥の鳴き声。
はっとして少女は声を上げた。
「トウヤ!?」
少女は飛び起きた。と同時に、軋みが大きくなる。弾かれるように振り返った先には、素朴な安楽椅子とその上に座った少年の姿があった。少年は首を巡らせ、驚いたように少女のことを見ている。
不思議と、恐怖は感じなかった。ただ、少女はぼんやりと、悲しい目をしていると思っただけだ。少年はふっと無表情になり、それから演じるように、笑顔を貼り付けた。
「気が付いた? 長いこと目を醒まさなかったから、心配していたよ」
やはり、少年と青年の間のような声だった。自分とあまり変わらない年頃なのかと少女は思い、しかしそれにしては子どもっぽさがあるとも思った。
「覚えてるかな? 魔物に襲われてたところを、偶然僕が通りがかったんだ。どこか、痛むところはない?」
「あ、……いえ、大丈夫です」
答える自分の声が掠れている。知らぬ間に悲鳴でも上げていたのだろうが、ガラガラと痛む喉に違和感を覚えながら、少女は少年のことを見上げていた。
少年は、問う。
「君は、どこから来たの?」
少女は正直に答えるべきかどうかと一瞬だけ考えたが、そもそもこの少年が自分に危害を加えるつもりなら、すでにそうしているはずだと思い直し、だからこそ、逆に胸を張って答えた。
「リシュウト国ローラ家の娘、ティセ・ツイツ・ローラです。父は、ハガナイ・ツイツ・ローラ。リシュウト国王からは、《ユピテル》の称号を与えられています」
「ローラ家……」呟き、少年は少し怪訝そうに首を傾げながら、「ってことは貴族になるのかな? ちょっと、この国の文化には疎いもので」
「はい、そうです」と、ティセは頷いて言う。「貴族八家のうちの一家です。……今度は、こちらから質問させていただきます。あなたは、魔物ですか?」
少年はきょとんとして、そして吹き出すようにして笑い出した。
「ははは、そんな……僕は見ての通り人間で、魔物じゃないよ。――《魔法使い》ではあるけどね」
魔法使いと言われて、ティセは彼の周りに目を凝らす。だが、魔法使いの周囲に精霊がいる様子はない。おそらくは異国からやってきたのだろう彼は、ひょっとするとティセの操る《精霊魔法》とは、異なる魔法を使えるのかも知れない。
「……けれど、ここは魔物達の縄張りです。その森に住んでいるあなたは……どうして魔物に襲われないんですか?」
魔法使いの少年は困ったように笑い、
「ん~、どうしてだろう。僕がこの森にやってきたのは、雪が積もりはじめた時期だったから……だいたい三ヶ月くらい前か。それからずっとここで暮らしているけど、魔物は僕に襲いかかってこないんだ。どうしてかは、分からないけれど」
「そうですか……」
ティセは、魔物ではないという少年をもう一度観察する。異国の顔立ちである以外は、リシュウト国に暮らす人々とほとんど変わらない姿形をしている。言葉こそ、リシュウト国と同じ言葉を喋っているが、国内には彼のように、髪と瞳が黒い人間はいなかった。
着ているものも、まるで異なっている。高級品であるはずの布を贅沢に使った衣服は、染色されているのかティセにとっては珍しい色合いのものばかりだ。ズボンも丈夫そうな素材で作られており、なにより靴などは特にそうで、例えるなら馬具か何かのように、厳つく頑丈な拵えだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます