②21歳ニート ブラックバイト

高校時代に短いながらアルバイトの経験は積んでいた。年末年始の年賀状の仕分けと、小学校のプール管理の2つ。年賀状の仕分けはその名の通り年賀状を住所別に仕分けるだけの作業だった。プール管理のバイトは母の知り合いから紹介され、夏休みの期間、泳ぎに来る小学生達のためにプールを開放し、プール水の薬品濃度を点検し、掃除をして、子供達の安全を見守る。

2つとも大きな責任を背負わず、楽しみながらやったバイトだったと思う。一時期保育士を目指してた私にとって、子供達の面倒を見るのはとても楽しかった。


その経験は、短大時代に始めたバイトで全て無になった。

授業が常に埋まってる短大生のバイトにはトラウマがある、と面接時に店長が語ってもなお雇ってくれた、個人経営のケーキ屋。私は販売を担当したが、そこは典型的なワンマン経営、そして今でいうブラックバイトと呼べるバイト先だった。

仕事を教えてくれず、教えて欲しいと頼めば「忙しいのが分からないのか!」と叱られるのは当たり前で、店長の動きを見て自力で仕事を覚えるしかなかった。

マニュアルが無いのに、マニュアル通りの接客はするなと叱られる。

昨日と今日で指示が変わることも多く、昨日と同じ指示通りにやっても叱られる。

午前中は特に店長は忙しいから話しかけてはいけない、という暗黙の了解を知らず、仕事を尋ねたら叱られる。

自主的に仕事を見つけようとすると邪魔者扱いされ叱られる。

仕事の出来は30点と点数をつけられて叱られる。

これ以上ミスをしたら時給引くし、女の子相手でも殴るからな、と叱られる。

叱られるためにバイトに行っているような気分になり、徐々にバイトの日が近づくだけで憂鬱になった。次のバイトの日まであと4日、あと3日、あと24時間…と毎日時計を気にして、バイト当日の朝は空を眺めていると無意識に涙が溢れた。


どうやらこの状態は鬱病一歩手前に近い人と同じメンタルらしく、おそらくこの時点でバイトは辞めるべきだった。でも私は辞めたくなかった。

部活を途中で投げ出した中学時代の自分を思い返していた。

辛いって理由で辞めるなんて私は弱い。強い人間になりたいからこれくらい耐えなきゃ、私は社会に出て働ける人間になれないーーと。

中学時代の挫折をバイト先に持ち込みたくなかった。

踏ん張って、乗り越えなきゃ。

辛いことも歯を食いしばらなきゃ。

この程度の苦しみぐらい我慢しなくちゃ。

短大を卒業するまで頑張らなくちゃ。


そうやって耐えて堪えて、バイトを始めた3ヶ月後。

ある朝起床すると、立つのも歩くのも呼吸をするのも辛くなるほどの腰の痛みに襲われた。

浅い呼吸を繰り返しながら床を這いつくばり、神経を握りつぶされるような痛みを家族に訴えた。

その日は学校を休み、整形外科で診察を受けた。コルセットと湿布をもらい、当面これを使って生活するようにと医師から説明を受けた。

痛みは1日中に渡り、深呼吸をしようものなら腰周りの骨や筋肉がナイフで切られてしまいそうな感覚に苦しんだ。

反面、私は嬉しかった。バイトを辞める正当な口実ができたのだ。立ち仕事を必要とするバイトなのに、立つことができない痛みに苦しむ状態では続けられない。短大生のバイトはトラウマだと店長から語られたが、腰痛で辞めることは短大生とは関係ない。

私は電話で退職の意思を伝え、最後のバイト代を受け取りに行った日。(バイト代が手渡しだった)

店長からは、

「ここが続かないようでは、よそへ行っても同じだ」

とお叱りの言葉と、3日分の給料が引かれた最後のバイト代を手渡された。


これだけでも充分労基案件だろうが、当時は今ほどネットで調べることが当たり前ではなかったし、労基に相談する知識も持たなかった。


私はようやくバイトを辞められたことに肩の荷を降ろした。

でも、世間を知らなかった若い私にとって店長の最後の叱咤は、私の社会への向き合い方に良くない方向へ影響を及ぼした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る