第8話 とある外道が幕を引く
「黙って見物しとりゃお前たち、妾の玄関先で好き勝手しとるの」
狩済磨の舌打ちの直後、そんなボヤキが彼の背後で呟かれる。
「なにが玄関だ。勝手に人んちの足下に蟻の巣広げやがって」
「逆じゃ逆。おんしの母屋がもうすぐ開通という時に、邪魔な蓋になって封印みたいになったんじゃ」
「だから横に巣を伸ばして関東竜脈にちょっかいか?
「知らん。逆に散々異邦の外様に間借りさせといて、妾だけ除け物扱いに腹が立つ」
「……まぁ、言い分は解らんでもないが、ゴーゴンが人にとっての豊穣神じゃないのが一番の問題だろうなあ」
神話においての邪神悪神の類いは、大概が後世の歴史で勝者となった文化により脚色された異文化の神話の産物である。
ゴーゴンという神性は、この世界の歴史においてもその配役は変わらない。アフリカ大陸の土着の神話から生まれた豊穣神。女系含む母性社会を祖とする神話体系はその土地の主流がエジプト信仰を主役としつつも、しっかりと民間信仰の一つとして何千年と続いた。
結局のところ、エーゲ海を跨いだ、後の別の神話体系において蛇頭の悪女として貶めねばならぬほどに強靱だったのだ。エジプト神群一派がその信仰を長く途絶えさせる結果になっても尚、である。
「とどのつまり、お前も人の信仰で生じたもんなのに、なんでこう、人の都合良いとこに落ち着かんかったんかね?」
「妾の母体は母なるナイルじゃ。大いなる恩恵と同時に無慈悲な氾濫も併せ持つ。理不尽で公平な弱肉強食の信仰こそが自然を奉るには正しかろう。むしろ、何処がおかしい?」
紀元前どころか、人が野人を卒業した頃からあるらしい古い信仰である。
正に大自然の現し身が、大自然を畏れの意思の集合を元とするなら正しい姿なのだろう。その辺り、ヤッポンの国津神自然信仰とも近いものなので気分的には慣れもある狩済磨は否定し辛い話である。
「だがなぁ、結局のとこ今の状況を生んだとかなあの“内戦騒ぎ”、元凶はそのお前由来の信仰侵略だろうがよ。本州の魔素管理してる荒足島にしてみりゃ、屋台骨ブチ折られた一大事な上、大事な人命大消費も重なってな代物だ。それを『知らん』で済まされたとか聞いたら、本気で竜脈改変とかかましてお前の領域潰しにくんぞ。つーか、それされたら薄っぺらな現世の地表も大混乱だ。迷惑過ぎる」
「……おおっ」
「あ、このやろ」
棄民地域である百派界隈を生んだ関東千葉内戦。
ゴーゴンの視点でいうその目的とは、とどのつまり生け贄である。現世や現世に連なる異界を構成する素材である魂を大量に支配下におき、何千年と隠れ住んだ異界と現世を連結する回廊を創造しようとした。
雷神による一神信仰が適度に分派分裂し、互いに敵視しあって世情を不安化させた時代。再び多神教の環境が強まり介入可能な気配を知ったゴーゴンによる、思想汚染を元凶とするものなのであった。
「ヤッポンの地は当時も今も、手頃に男尊女卑で弄りやすいしの。ちょっかいかけるのも楽でいい」
「お前、今、荒足島を出汁にしてまた思想汚染かまそうとか考えたな」
「しゃしゃしゃしゃしゃっ♪」
狩済磨は須佐之男経由で内戦の経緯を多少は聞いている。
それによれば、当時のゴーゴンはとにかく、大量の魂を欲した。そして人の信仰として生まれながらも人を自然の一部としか認識しないゴーゴンは、無駄に繁殖し消費しても種が絶えなさそうな人の魂が、最も使い潰しが利く素材として注目し、内戦という形で魂を受肉の檻から解放させた。
その際の思想汚染が、『女性の人権向上』や『男女平等の精神』となる。元々が母性社会を祖とする神性なので女の意識の誘導には長けている。日々起きる小さな不満を火種にヒステリックに燃え上がらせて、それを使命感にすり替えて動かすのは簡単だったという話であった。
本来、本州全体のそういった管理を担う須佐之男の支配すら、一時的とはいえ上書きしたのだから質が悪い。
「これが元の地域なら話も別じゃが、ヤッポンの場合、もう普通のヒト種に区別するのも無理っぽいのは本当じゃろ。妾らの御同輩による魔改造で強化されて以降、男女の差など無いも同然。むしろアイドル性では女の方が都合が良い。してアイドルとは、良い支配のための象徴じゃ。そろそろ母系社会が復活してもいい頃合いとは思わんか」
「んな思想談義には興味も無いが。つーか、お前だってそんなお題目掲げて動いたわけでもねーだろがよ。え、蛇頭」
「むむ、いいじゃろが。さすがにこのイメージの固定もそろそろ止めたいんじゃ。妾は豊穣神。蛇神ではないんじゃ」
根っこの根っこの話は、こうである。
紀元前から続くゴーゴン信仰。邪神認定後も続く信仰は蛇髪の姿に変じさせられても続き、それ込みの信仰へと変化した。そうなるとさすがに元の神性は悪評に塗りつぶされた方が本物になってしまう。蛇の魔物に堕とされる前は絶世の美女という逸話は残るが、それがどのような、という具体性においては、諸説満載の幻と化していたのだ。
本人としては。実に哀しい現実である。
「ファンの幻想に押し潰される女優っぽいのがなー。つか、確かオレの聞いたゴーゴンの原形ってのは……」
そうして語るのは、多面多腕に多脚。膨大な乳房を実らせ下半身は360度何処から見てもモザイク処理が外せない大量の局部を備える人体パーツで果樹を模したような姿である。
「正に美貌の権化じゃろ!」
「あ、その解釈でいいわけな」
美貌の解釈も、時代で如何様にも変わるという証拠である。
因みに、当時の美女の基準は安産体型を通り越した膨満体型なので、果樹の要素は“バオバブ”に似た印象が近くなる。
少しパーツ構成がインドラ系の多面神のイメージと被る分、やや残念さを醸す心象を深めた狩済磨であった。
またそんな魔界の異形の復活に、過去、この地で大量の命が失われた事実にも、そっと心で涙する。
時代に沿って美女の判断を決めてきた狩済磨にとっては、ゴーゴンが望む本来の姿は“ブス”の一言で済んでしまう哀しい事実なのである。
「あ、美女の基準はあくまで内面が第一な。外見はその次だ」
何に弁明を告げたかは、よく解らない。
「つーことで、やっぱ利己的な精神で害悪振りまいた今のお前は、神性ブスと思うがこれ如何に?」
「女の我が儘くらい多めに見るのが男の甲斐性とかいわんか。このヤッポンじゃ」
「それこそ、男尊女卑だから言える例えなんだがな。つーかまぁ、暫くぶりに直に対面してやっぱ決めたわ。ここもうちょっと強めに封印しとこう」
そう言って狩済磨の表情に剣呑さが増していく。
「え、ちょ。妾、折角旧知の対面となったから、これからお主らを歓待しようと迎えに出たんじゃが!?」
「ぬかせこの野郎。どうせリンカがこの領域空間を欠けさせたから怖くなって来たんだろうが」
「うっ」
「ついでに、オレの特性を利用して逆に空間連結を高めたいってのが本音か」
「ううっ」
「色仕掛けでも用意してたか? だが残念、たぶん効かねーぞ。オレの趣味はまっ裸で首輪はめて四つん這いでの散歩をヨダレ垂らして喜ぶ家畜だ。女王気取りのデブは端から対象外だしな」
「……それはそれで、なかなかにゲスで鬼畜な趣味じゃな」
五十歩百歩の物言いなのだが、それで狩済磨の青筋が立つのも仕方無い。趣味の話は奥深いのが道理なのだから。
「うるせーわ。つかその分身、そろそろ本体に帰っとけよ。じゃないとこの領域共々千切れて封印な話になるぞ」
「ちょっ、ちょいまちじゃ。如何におんしが“世界の毒蛇”で今の妾に神性が近いといつても、おんしは今、人の身じゃろが。さすがにこの領域の封印など……」
「つい先日、便利なもんをゲットした」
そして狩済磨がポケットから取り出したのは、細く小さな鎖の欠片である。
「縛りの象徴、フェンリル第二の戒め“鉄鎖ドローミ”の鎖片だ。ちょっと本人とのイザコザの謝礼でガメた」
「……いろいろ言葉がおかしくないか……の?」
「些細なことだ。つーか、フェンリルは縛れなかったが、これも原初のドワーフの逸品だ。神様が認める至高の傑作なら、負け組の神性程度にゃ充分だろうよ」
「ひぃぃぃぃっ」
そういう間にも、鎖片は手品のようにシャラシャラと金属音を立てて増えていき、徐々に立派な鎖のの様相へと変化していく。
「ここ最近の面倒が大事過ぎて影が薄いが、オレの本分は一応錬金術師だぞ。構成素材、構成概念、それが解りゃブツの再現は簡単だ。つか、現物がありゃ複製し放題だからな。此処の柱一本バラした魔素で充分だ」
欠片から増えて伸びる鎖は何匹もの蛇のように這いずり回り、回廊全体を埋めていく。無事な柱もみるみると縛り上げ、周囲一帯が鈍色の金属色に染まるのもそう長い時間ではなかった。
あっという間にゴーゴンの周辺以外を呑み込んだ鎖は、最期の締めとばかりに筒の檻を形作りながらゴーゴンを囲って宙に上って行く。
「そろそろ最後通牒だぞ。つか、まさか期待してるとかか。確か浮気現場の最期のプレイが緊縛だったせいで蛇の髪にされたとか何とか……」
「ふっ、風評被害も甚だしいわっ!」
そう叫んだゴーゴンの身体が一瞬で魔素に弾けて消えてしまう。回廊の向こう、別の次元に座す本体が分身の制御を解いた証拠であった。
捕らえる物を無くした鎖の檻は、そのまま潰れて最期に残した白い領域を埋める。その後は鎖自体が溶けるよう薄まり、存在感を消失させて元の、白い回廊の空間が復活するのだが、狩済磨の感覚ではこの領域の支配権が完全にゴーゴンから切り離されたのを知覚していた。
「……ふん、元の空間強度と鉄鎖の補強で、たぶん、リンカの全力でも耐えきる遊び場にはなったかね」
実の所、装備の増強を込みでも現状のリンカの性能でこの空間が壊れる可能性を狩済磨は想定していなかった。
神や魔を滅する勇者の資質は本来、この神の領域を破壊しても不思議ではないものなのだが、如何せん、リンカはまだ10歳を越えた程度の小娘なのだ。さすがに地力の桁は十や二十は違うと判断していた。
「……オレの魔改造はそのあたりの調整を込みなんだし、結局原因はあの金髪バカになるんだろうな」
過去にリンカは、諸般の事情でバカな全能神に無理矢理天使の権能を付加させられた経緯がある。権能自体はその後に全て回収されてはいるが、人とは進化するものなのだ。一度でも経験した神話の能力は、リンカ自身の未来の成長の指針として機能しない理由もないのである。
もっとも、犬耳を始め獣人化の魔改造で驚異的な身体性能を発揮し始めたのは確実に狩済磨の所業であり、当人が認めなくとも周知の事実である。
時空を越えて彼を常に観察する、この地の管理神が深いため息をついたのは仕方の無い話であった。
狩済磨がふと周囲を見回すも、静寂を取り戻した空間には彼以外に立つ者は他にいない。ゴーゴンは去ったし、小娘たちはいまだに耳血を流して昏倒中。
しかし、確かに感じた呆れの視線に、狩済磨は一つ、「ふん」と鼻息をついて不満を示す。
「さて、んじゃ用事も済んだ。都合良く近場で済んだのものも万々歳。後は、謝礼でまたちょっとした実験でもして遊ぶか……」
それから暫くして。
リンカのガス抜きプレイは順当に過激化を進めるが、今のところ馬翁荘地下の空間に異常は無い。
が、しかし。
“……ずずずず……”
馬翁荘の大家が陣取るリビングにて、少しばかり微震に似たものを感じた狩済磨である。
「ん、地震か?」
「……特に地震速報は出ていません。……ネット経由の検索でも出ていませんね。いわゆる幻震では?」
地震国に住まう住人はふとした揺れをそう感じる。大地の揺れ自体には恐怖心が麻痺しがちだが、それでも体感としての敏感性には長けるための感覚である。
ヤッポンは日本とは違う異世界だが、それでも並行世界的な意味合いの大きい土地だ。その意味で狩済磨やこの地の出身であるイシスには共通した感覚として存在した。
『……きゃはーーーーーー!……』
それは感じた揺れと共に狩済磨の脳内に届いた、とある犬耳少女の精神共鳴の声だったりするのだが、今彼女が遊ぶ領域はこの世界と僅かに離れた異界の地である。
確かに地続きで移動可能な領域ではあるが、物質的な地中とはいえない謎の地下世界なのである。
「……ま、気のせいか」
そうしてイシスの煎れた茶をしばき、茶請けの煎餅をボリンと砕いて咀嚼する。
とりあえずは、まぁ、平和な一時を演出する一瞬であった。
ダンジョン・ドッグラン (~魔王通り 逢魔横町 ヒャッハー怪隈奇譚・奇話もの編~) 樅垂木 白牛 @shiratama-inseki
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