詠み人のカタリのとんでもの旅

漆目人鳥

第1話 夜明け、地の底で

「どうやら、道に迷ったらしい」


二つ折りした新聞紙ほどの、大きな地図から顔を上げ、

美しい顔の少年、カタリが呟いた。

長い冬の夜が明けようとしていた。

カタリの碧眼に映った古い町並みに、流れる様に朝日影が広がって行き、

セピア色だった家々の屋根がオレンジの彩りを持ち始めようとしている。

ついに一晩中歩き通してしまった。


「参ったなぁ。バーグさん困ってるだろうなぁ」


昨日の昼、お手伝いAIのリンドバーグ、通称バークさんから、隣の町にいるからと呼び出しを喰らい、謎のトリに届けて貰った地図を頼りに出向いたまでは良いのだが、

この地図が全く不親切で役に立たないのだ。

地図には、窓辺に美しく花が飾られいる町並みも、

中世の時代に迷い込んだような一画もまるで書かれておらず、

代わりにたくさんの落書きや数字が書き込まれているが、

そのどれもが、何処を探しても町のどこにも書かれていないのだ。


「困ったぞ、取り敢えずこの卍と言う落書きを見付けよう、コレなら見間違えなさそうだ」


そういって、地図に目を落としながら、早足になった途端、カタリは、足下が無くなり、

ふわりと身体が浮いたような感覚に襲われた。

いや、浮いているのではない、

カタリは嬌声のような悲鳴を上げながら落下しているのだった。

ほんの数秒にも満たない時間で底に着き、カタリの身体に痛みが走った。

幸いなことに頭は打っていないようだ。


「いてててて、一体何が?」


そう言いながら上半身を起こす。

頭上には朝日が差し込む穴が見える。

回りを眺めるとそこが下水洞窟で有ることが解った。

自分は洞窟の点検用の歩道部分に落下したのだった。

つまり、あの頭上の穴はこの下水のマンホールなのか?


「なんで、マンホールの蓋が空いてるんだよ」


再び回りを見渡してみると、自分から少し離れたところに、

黒いゴミ袋のような固まりを見付けた、いや、よく見るとそれは、

黒いコートに身を包んだ男が胎児のように丸くなって床に転げている姿だった。

自分と同じように落ちてしまったのか?


「大丈夫ですか!」


そう言って立ち上がろうとした、カタリの右足に今まで経験したことが無いほどの激痛が走り、身体全体の力が抜けて、その場にもんどりうって倒れた。

足が折れたのか?

カタリはそれでも、両手だけで匍匐ほふく前進するように男のそばに近づいていった。

男のすぐ近くまで行くと、痛い足を庇いながら男の顔を覗き込む。

そして盛大にせた。

酒臭い。

臭いなんて物じゃない。

まるで、酒そのものが息になっているかのようだ。


「酔っぱらって穴に落ちたのか」


自分の鼻をつまみ、男からそっぽを向いて、カタリが愚痴るように呟く。

どうやら生きているらしいが、酩酊状態で、ここから一人で出て行くことなど出来そうが無い。

マンホールからは梯子があったが、自分も足を痛めており、上に上がって助けを呼びに行くことなど出来そうにはなかった。


「もしもーし、聞こえますかあ?」


カタリが声をかけると、酔っぱらいのオヤジはカッと開眼し充血した目玉を剥き出した。


「オマエは誰だ!」


酔っぱらいがカタリに怒鳴りつける。


「ボクはカタリィ・ノヴェル。カタリです」

「そうか、ならいいんだ」


酔っぱらいは何かを納得したようにそう言うと、再び目を閉じてしまった。

このままでは、埒があかない。


「よーし!」


カタリは出し抜けに、蒼い肩掛け鞄にぶら下げていた、梟のような、それでいてなんだか解らない、謎の鳥の小さなぬいぐるみを外すと、右手で掲げて叫ぶ。


「Come here!謎の鳥!」


30秒が経過したが、何も起こらなかった。


「ごめーん、ふざけて悪かったよー。もう、やらないから来てくれよー、謎の鳥ー」


3秒後にカタリの前に梟のような謎の鳥が飛んできた。

何故かどや顔で。


「なんか、とんでもないことになっちゃったんだ、すまないけど助けを呼んできてくれないか?」


謎の鳥が頷いて、外へと飛び立った。


「さて、どうしようか?」


やっとの思いで上半身を起こし、酔っぱらいの脇に座りながら、カタリが思案する。

後は助けを待てば良いだけのことなのだが、それまでこの赤鼻のオジさんは保つのだろうか?

今、どんな状態で、どれくらいの時間こうしていたのかも解らない。

自分と同じように落ちたのだとすれば、やはり、自分と同じようにどこか痛めているかも知れないし、ひょっとしたら、打ち所が悪くて何か取り返しの付かない状態になっている事だって充分に考えられる。

しかも、


「この……想いを……なら……死んでもい、いああ……誰か……だれ…」


先ほどより酔っぱらいが寝言を言い始めている。


「まさか、このまま死んじゃうなんて事は……」


しばし思案していたカタリが小さくひとつ頷いた。


「よし」


カタリは、このオジさんの心の中に封印されている物語を見通してみようと、

謎の鳥から左目に授かった能力「詠目」を発動させる。

もしも、万が一、このままこのオジさんが亡くなってしまうなら、

或いはコレが遺言になってしまうかも知れない。

ならばそれを、必要としている人のもとに届けるのが「詠み人」としての自分の使命だろうと考えた。


「読めばわかるさ!……だ」


左目が輝き出す。

カタリの前にきらきらとした水面の様な空間が現れ、中から小さなタイプライターが出現した。


「カク・ヨム・ツタエル!詠み人の言葉に従い、封印されし心の物語!我が前に現れろ!」


物語は語られた。



『俺の名はアペル、昨日は最悪の日だった。俺の愛した女性トートがあの野郎と結婚するだなんて!

この夜の全てを呪いながら、俺は自分も呪って、いや、祝って?ああ、トートのめでたい門出だもんな、だから、俺も過度で酒を飲んだんだ。決して呑まれた訳じゃない。気がついたら店を出て、帰宅途中。

さ、寒い。酒が切れて来やがった。このままでは家まで持たん。俺は別荘に一泊することにした。俺は下水に続くマンホールの蓋を開けると、梯子を伝って下へ下りた』


「オマエだったのかー!」


自動書記のようにタイプを打っていたカタリが手を止めて思わず叫んだ。


『ああ、温いここはいつも温いんだ、俺は生まれたての赤ん坊のように、なに?赤ん坊?

誰の?俺の?え、俺とトートの赤帽か?よせやい、俺は赤帽なんかじゃない、八百屋だよ』


「あ、」


カタリは気がついた。酔っているのだ、心の底からこの男は酔っているのだ。

もう、止めようか。

ふと、そんな考えが過ぎった時だった。


『俺の別荘に侵入者がやって来た!』


カタリはビクリと身体を震わせた。


『別にホントは俺の物じゃないから入ってきても構わないが、俺以外に此処を知っている奴が居るって事は、ちょっとショック。どうやら下りてくるときに足を捻ったらしい。鈍くさいガキだ』


「ふ・ざ・けるなあ!」


カタリが抗議した刹那、酔っぱらいが叫ぶ!


『切り札はフクロウ!』


カタリが再び硬直する。


『2番目に別荘にやって来たガキはそう言うとタヌキみたいな梟を呼び出し、助けを呼んでくるようにと泣いて懇願していた』


わなわなといた口が塞がらないカタリ。


『ああ、トート、愛しのトート、この想いが届くなら、届くモンならとっくに届いてらあ!うふ(ハート)』


何故か突然のシチュエーションラブコメ。


『そうだ、届けなくちゃ、やって見なきゃわからねぇ、誰か紙とペンと○○《聞き取れない》持ってこい!

これからルールを書くからな!電話には何事より優先して出ること、私用だと気付かれてはいけない、まっすぐうちに帰ること女性とはしゃべってはいけないそしたら、それでもすきすきだいすき。守ってくれたら死んでもいい!死んでもいいけど死にたくねぇ』


カタリは、あと、三分だけ様子を見ることにした。

これが最後の3分間だ。


『誰か、誰か嘘だと言ってくれ、俺の愛しのトートとあいつが結婚したなんて!

誰かが嘘だと言ってくれれば、俺は明日、どんな二日酔いで目覚めたとしても、最高の目覚めで朝を迎えられるんだ!』


ふと、長い沈黙。


『あ、そうだ。忘れてた』


オヤジはそう言うと満面の笑みを浮かべて言った。


『トート!結婚3周年、おめでとう!』


「だあああああああー!」


カタリはタイプライターから原稿をむしり取ると、

高々と振り上げて、地面にたたきつけようとした。

と、その原稿をカタリの後ろから奪い取る手。

驚き振り向くと、其処には原稿に目を走らせるバーグさんの姿があった。

肩には謎の鳥が止まっている。

暫くの静寂。

カタリもあまりのことに呆気にとられて声もなくバーグさんを見つめる。

やがて、

バーグさんが原稿から顔を上げると満面の笑みを湛え、沁み返ったように呟いた。

「うむ、迷作」

「バーグさん!」

カタリが行き場のない怒りを込めて叫ぶのだった。



追伸 このあと、みんな無事に助かりました。

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