想いが形を結ぶまで~君に伝えたくなるまでの三か月~

阿瀬みち

ぼくとトリとものガタリ

 ロフトベッドに寝ころびながら、同じクラスの野坂さんが使っているという小説投稿サイトを眺めていた。あれこれ考えること一時間。ぼくはようやくアカウント登録を終了させ、野坂さんの小説を探した。青裳出流あおもいずるというのが野坂さんらしい。さっそく野坂さんの書いている短編を読んで、おそるおそる星を入れた。


 ☆☆☆Excellent!!! 


「レビュー本文……」


 考えていなかった。どうしよう、気がつけばしっとりと手汗を書いていた。猫と少女の話だ。中学生二年生の女の子、野坂さんと同じ年、本人だろうか? が路地裏に猫を追いかけて行って、不思議な光景を目にする。世界の割れ目。空間がガラスのように割れていて、向こう側には楽園が広がっていた。猫はするりと割れ目を飛び越えて、しっぽを揺らして少女を待っている。でも少女は何事もなかったかのように路地を後にする。という内容だった。


 何から書いていいのかわからない。でも本文なし、できたてほやほやのアカウントからの星三つ、野坂さん怖がらないだろうか。面白かったです! とでも言えばいいのか、でも、正直ぼくには面白さが分からなかったし、野坂さんは何を伝えたかったのだろう?


 そんなことを考えていると、ふと窓ガラスが揺れた。


「うわッ……」


 見ると赤毛の少年が窓にへばりついている。 


 一体なんだっていうんだ……。ぼくが動けないでいると、奇妙な丸い形のトリが強引に鍵をこじ開け窓を開けた。嘘だろ、なんだあの丸いの。


「やぁ、ぼくはカタリ。カタリィ・ノヴェル」

 窓から部屋に上がり込んできた少年は愛想よく言った。ここ、二階なんだけど……。トリは体に着いた埃をパンパンと払うと、偉そうに胸を逸らせた。

「至高の一篇の気配を感じるって、トリが言うからさ」

 カタリはぼくをロフトベッドからおろし、スマホを見せるように言った。あまりの出来事に正常な判断ができなかったんだと思う。ぼくは言われるがままだった。


「なるほど、君の好きな女の子の小説かな」


 カタリはにこりと笑ってぼくを見た。


「なぜわかったの?」


「それは企業秘密。字数制限があるから細かい説明は抜きだ」


「何言ってるかわからないけど、まぁそのとおり、ご明察だよ」


「それで君は、レビューを打とうとしてるんだ」


「いや……ぼくは……」


「なんて書くつもりだったの?」


「面白かったです、って」


 カタリは爽やかに笑う。


「いいと思う」

 

 ぼくはレビュータイトルに「面白かったです」と打ち込んだ。

 

「ほんとにこれだけでいいのかな? なにかその」


「不安かい?」


 カタリがぼくの顔を覗き込んだ。


「まぁね。気持ち悪い奴、って思われたらどうしよう、とか」


「大丈夫だよ。思ったままを伝えてごらん。できたら、レビューを読んだ人が、青裳さんの小説をもっと読みたくなるように」


「うん、わかった……」


 ぼくはレビュー本文に、猫が可愛くて魅力的だったこと、少女がなぜ向こう側へ行かなかったのが疑問であることを書いた。石畳の町並みや、描かれている背景がまるでジブリ映画みたいで素敵だったこと。ぼくもその世界に入って少女と一緒に考えたい、という風なことを書いた。


「これでいいと思う?」


 カタリはぼくの背中をぽん、と叩いた。ぼくはその勢いで、レビュー投稿ボタンを押した。



「はぁ、」

 ぼくの口から安堵とも不安ともつかないため息が出る。


「そうだ、君さっき、至高の一篇を探しているって言ってたね。のさ、じゃなかった。青裳さんの作品は、というか彼女は、その至高の一篇を書けるのかな」


 カタリは首を傾げた。


「実は僕にも至高の一篇がどういうものかわからないんだ」


「そうなの? KADOKAWAは書籍化できる小説を探しているんでしょう? つまり君の言う至高の一篇って、どかどか売れるベストセラーの原石ってことじゃないの?」


 カタリは首を振る。


「わからないんだ。なんにも」


 でも――――――、君のその胸の中に、なにか外に出たそうにしている物語の萌芽を感じる。とカタリは言った。左目が淡いブルーに光っている。


「ぼくの?」


 ぼくは自分の胸を押さえた。でもぼくは小説なんか書いたことすらないんだ。



「君の胸に埋まったその物語、書いてみないか? 僕と」




**🐦*🐦*🐦**



 その日からぼくとカタリの奮闘がはじまった。胸の中の物語を掘り起こす作業、つまりカタリはぼくが「誰に」「なにを」伝えたいのかをしつこく尋ね、ぼくはそれをスマホに打ち込んでは「こうじゃない!」と床にひっくり返った。そのあいだ、トリはぼくの部屋に隠しておいたお菓子や、冷蔵庫のプリンを食べ、勝手にひとっ風呂浴び、いつの間にか母に懐いていた。母から


「劉君最近小説書いてるらしいじゃない、トリちゃんから聞いたわよ~、今度お母さんにも見せてほしいな」


 と言われたときにはさすがのぼくもトリを窓から投げ捨てた。トリはマッハで部屋へと戻ってきた。ムカついたのでトリに似たキャラを小説に出して爆発オチをくらわせた。エピソードを公開した瞬間応援がついたので、その回はビビって消してしまったが、応援ボタンを押してくれたのは、他でもない青裳さんだった。



「どうしよう! 青裳さんは@POXY315がぼくって知らないのに!」


「じゃあきっと、彼女は君の書く物語を待っていてくれているんだね」


 カタリの言葉に頬が熱くなった。



**🐦*🐦**



 カタリの助けを得ながら書いたぼくの初めての小説は、三か月後、全三十二話で完結した。中学生がトリと少年と一緒に、物語のかけらを拾い集める話だ。嬉しいことに読んでくれる人もいて、最終的に☆が30、レビューが二つもらえた。


「誰かに読んでもらえることがこんなに嬉しいことだとは、思わなかったよ」

 

 ぼくの顔を見てカタリが満足そうに笑った。


「すごくいい物語になった。それに君も、いい顔をしてる。もう、僕の助けは必要なさそうだね」


「え……。」


「僕は他の物語を探しに行くよ」


 部屋のドアがガチャリとあいて、母がお茶とお菓子を持ってきた。すかさずトリがお菓子をついばむ。


「お世話になりました」


 カタリは母に丁寧にお礼を言うと、来た時と同じように窓から部屋を出て行った。玄関から出て行けばいいのに……。母は、残念ねぇ、と言って、肥ったせいか窓枠から転げ落ちるように去って行ったトリを、いつまでも名残惜しそうに見送っていた。


 ぼくはなんとなくスマホの画面を見る。通知が来ている。新しいレビューだ。



「連載初期からずっと応援していました。主人公のタスクと一緒に私まで成長できたような気がしています。また同じ作者さんの物語が読めたら嬉しいです」


 青裳さんだった。



 それから、近況ノートにコメントが届いた。


「以前、わたしの"猫の歩く道"にレビューをくださってありがとうございます。POXY315さんに、主人公はなぜ向こうの世界に行かなかったのか、と聞かれて、ずっと考えていました。ガラスの向こうの楽園は、私にとっては未知の世界です。美しく見えても、残酷な世界かもしれない。あのとき主人公が路地を引き返したのは、きっと変わるのが怖かったからじゃないかと思います。でも、POXY315

さんの小説を読んでいて思いました。変わること、変化することは恐れることじゃないって。

だってPOXYさんの小説、書き方も主人公もどんどん変わっていくんだもん。それを見守っているうちに、気がついたんです。手を伸ばすことが、大事なんだって。

完結おめでとうございます。一緒に考えたいって言ってくれて嬉しかったです。」



 ぼくはノートを開いてシャーペンで文字を書きなぐった。ぼくとカタリとトリの物語だ。そこには青裳さん、ううん、野坂さんの名前も書いた。ぼくが野坂さんを好きなこと、学校でなかなか話しかけられないこと、文芸部の女の子から野坂さんのアカウントを教えてもらったこと、それから、カタリがぼくに教えてくれたこと、全部。

 伝えたい気持ちが溢れてきて、ぼくはルーズリーフを引っ張り出してきて書きなぐった。長い長い手紙になった。


**🐦**

 

 翌日、文芸部が活動する図書室に押し掛けたぼくは、もごもごする分厚い封筒を「好きです」と野坂さんの腕に押し付け、走って逃げた。わざわざ小説投稿サイトまで見に行ってリアクションするような男子、野坂さんは嫌いかもしれない。気持ち悪がるかもしれない。それでも、カタリ、ぼくは。


 ぼくは彼女に伝えたい。



 でもひとりになったとたん足ががくがく震えてきて、恥ずかしさでどうしようもなくなって、少し泣いてしまった。誰もいない教室で、席に座ってぼーっと考えていると、バン! とドアが開いた。

「茂木君」

 野坂さんが息を切らして、手紙を握りしめ、立っていた。ぼくらはどれくらいそうして見つめ合っていただろう。やがて野坂さんが、これ、と手紙を持っていた手を挙げた。

「これ、ほんとなの……茂木君がPOXYさんって」

「全部ほんとのことだよ」

 頬が赤くなるのを感じる。苦しい、野坂さんの顔を見られない。

「わたし、私あのレビューもらってすごく嬉しくて、それですぐに茂木君の小説をみつけて、読んで、なんていうか最初は面白くないなって、正直思ってた。でも。でも読んでるうちに惹きつけられて、目が離せなくなって、これがほんとのことならいいのにって。現実だったらいいのにって! 思いながら読んでた」



「ぼく、野坂さんの、青裳さんの応援がなかったら、あの物語書けなかったと思う。ほんとうに、ありがとう」



 お互い、顔が真っ赤になってしまって目も当てられない。ふたりしてハロゲンライトみたいだった。



   ...*



 その日の夜、野坂さんが新しい小説を上げていた。猫に招かれて少女がガラスドームの外に出る話だ。長編になる予定だと言っていたっけ。すごく面白い、引き込まれる冒頭だった。


 ぼくは教わったばかりの野坂さんのLINEアカウントに感想を送る。そして小説管理画面を開き、新しい小説を書き始めた。タイトルは、未定。


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想いが形を結ぶまで~君に伝えたくなるまでの三か月~ 阿瀬みち @azemichi

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