【KAC10】落ちこぼれだった僕の物語(お題:「カタリ」or「バーグさん」)
トゥラルタ王国の国境地帯、ハリルオーネ領の山すその、深い深い森の奥。
魔法具製作から恋のおまじないまで、地域の皆様のお役に立ちます。
安心と信頼の「ノーモス魔法工房」へ、ぜひ一度お立ち寄り下さい。
駆け出し魔法使いの僕は、現在「ノーモス魔法工房」で働きながら、高位魔術の勉強を続けている。
「エヴェン。掃除中に申し訳ないけど、ヘリオトロープを摘んできてくれないかい?」
この工房の主で魔法職人のノーモス先輩が、モップで床を拭きあげていた僕を、申し訳なさそうに拝んできた。
「夜摘みで悪いね、サリエットとデート気分でも味わっておいでよ」
空の薬草籠が二つ、僕の机の上に置かれる。「恋の花」ヘリオトロープが足りないという事は、また香水の大量注文を受けたんだろう。「恋が叶う香水」だとか言って、貴族の舞踏会が近くなると飛ぶように売れる。
「また、インチキ香水を売るんですか?」
僕の恋人のサリエットが、ノーモス先輩へ訝しげな視線を向けた。
「インチキだなんて失敬な、ちゃんと祈りを捧げてるよ。恋するみんなっ、勇気出してにゃん☆」
「真面目に仕事して下さい」
サリエットに冷たくあしらわれたノーモス先輩は、肩をすくめながら薬品釜の蓋を開け、にゃんにゃん言いながらかき回し始めた。
まぁ、魔法使いのおまじないがかけられた香水は、全くのインチキでもないんだけどね。
ヘリオトロープの群生地、通称「恋の原」へ向かっていると、サリエットが僕のローブの袖を引いた。
「ねぇ、エヴェン。人が倒れてない?」
そう言われて見てみれば、少し離れた木の陰に、確かに人が横たわっているように見える。近付いてみると、この辺りでは見かけないような服装の少年が、木の根に頭をのせて目を閉じていた。どうやら眠っているようだ。
「迷って疲れちゃったのかな」
「そうね……あら、この子の鞄、フクロウの人形が付いてるわよ」
サリエットがつついた鳥の人形は、確かにフクロウに似ていた。「アウル」は知恵の象徴、魔法使いの神様だ。「アウちゃんに似てるわね」と、サリエットは僕たちの師が大切にしているフクロウの名を口にした。
「この子も魔法使いなのかな」
「でもローブを着ていないわ、太腿なんて丸出しじゃないの」
「異国の子みたいだし、ローブを着ない地域なのかもしれないね」
僕たちが話をしていると、少年はもぞもぞと起き上がった。
「……うわっ! こ、こんにちは!」
起き抜けに挨拶をされて、僕たちは思わず笑ってしまった。
ヘリオトロープは後回しにして、その少年を工房へ連れ帰る事にした。道すがら、彼の名前を尋ねてみる。
「僕はエヴェンで、彼女はサリエット。君は?」
「ボクの名前はカタリィ・ノヴェル。カタリって呼んでね!」
「よろしくね、カタリ」
サリエットが顔を覗きこむと、カタリはサリエットをじっと見つめた。魔力を探っているのとは、少し違うようだけれど……左の目に、僅かながら何かの魔法が展開しているのを感じる。
「その瞳、何かしら」
サリエットの言葉が、鋭くなる。カタリは慌てて目を瞬かせた。
「ごめんね。キミの心にステキな物語が眠ってたから、つい読みたくなっちゃったんだ」
「物語……?」
それは、心を読まれたという事なのだろうか。サリエットはカタリを睨み、冷たい口調で「勝手に覗かないでよ」と言った。
「そうだね、本当にごめん。でもボク、そういうステキな物語を、世界中の人に届ける配達人をしてるんだ」
そう言いながらカタリは、鞄の中から一冊の本を取り出した。
「今はこれを、アムルダの街のゲッツェ侯爵という人に届ける途中なんだよ!」
笑顔で元気良く言い放ったカタリに、僕とサリエットは顔を見合わせた。
アムルダの街は、ここから馬車で二日かかる距離だ。この森をどこまで進もうと、決してアムルダへは辿り着かない。しかもゲッツェ侯爵はハリルオーネ領主で、厳重に警備された城に住んでいるのだけど……。
「アムルダは、この森を街道に抜けてから、更に馬車で二日ほどかかるところよ」
サリエットの告げた、残酷な事実。カタリは「ボク、また迷っちゃったのか……」と、泣きそうな声で俯いてしまった。
工房へ連れ帰り事情を説明すると、ノーモス先輩は「今日はもう馬車に間に合わないよ、うちに泊まっていくといい」と言い残して、自分でヘリオトロープを摘みに行ってしまった。
カタリを工房の接客用ソファーに座らせると、サリエットがハーブティーを淹れに工房端のキッチンへ立った。僕はカタリの正面に座って、テーブルに羊皮紙を広げ、愛用の羽ペンを手に取った。アムルダまでの簡単な地図を描き、文字は読めないかもしれないから、道順の矢印を書き入れていく。
魔力を込めながら書いた矢印は、地図の上に浮かび上がった。
「矢印が青く光る方向に進めば、アムルダに行ける。閉じても大丈夫だから、鞄に入れておくといいよ」
「うわぁ、すごいね、ありがとう! これならボクでも辿り着けそうだよ!」
「ねぇ、どうやってお城に入るつもりなの?」
三人分のティーカップをトレイに乗せて戻ったサリエットが、カタリに尋ねる。ちなみに、僕たちに手伝ってあげられる事は何もない。僕たちだって、誰か有力者の紹介がなければ、城に繋がる橋を渡る事も許されないんだ。
「心配ご無用! ボクは世界中を配達して回っているからね、慣れてるんだ!」
その割には迷うんだなぁ……と思ったけれど、サリエットは納得したように微笑んで、カモミールティーを一口飲んだ。
お茶を飲みながら話していると、カタリが興味深い事を言った。
「人はそれぞれ、ステキな物語を持っているんだ。ボクはこの左目でそれを読んで、物語にして、必要な人に届けてるんだよ」
サリエットの目を見つめていたのも、どうやら物語にしようとしていたらしい。案の定、サリエットは僕を盾にして、カタリの視線から逃れ始めた。
「ごめん、もう読まないから! それより、二人も物語を読んでみない?」
そう言ってカタリは、鞄から何か板状の機械を取り出した。この国ではこういう機械は珍しいけれど、故郷で身近にあったらしいサリエットは、懐かしそうにそれを見つめた。
「電気で動くのよね、それ」
「そうだよ、今からピッタリの物語を選んでもらおうよ」
金属で出来ている板の、その表面に張られた硝子がほのかに光り、その中に小さな女の子が浮かび上がった。
「その機械、
「ふふふ。妖精じゃなくてAIだよ、バーグさんって言うんだ!」
「えーあい?」
ジンコウチノウのことさ、とカタリが言ったけれど、僕にはよくわからなかった。
「初めまして! お手伝いAIのリンドバーグです!」
自分が閉じ込められている板と同じようなものを手にした彼女は、ニッコリと笑って僕たちを見た。
「バーグさん、今日はこの二人にピッタリな物語を……」
「わたしはコンシェルジュじゃないです。いつも言ってるでしょう? そんな暇があったら物語を書いて下さい、まぁわたしは別にいいですけど」
カタリの頼みを遮って、真顔で苦情を言い連ねる。何となく、知り合ったばかりの頃のサリエットを思い出した。
「では、いくつかお勧めのレビューをご紹介しますから、選んであげてくださいね」
「ボク、長い文章を読むのは得意じゃなくて……」
「詠み人がそんな事でどうするんです?」
「だってボク、漫画やアニメの方が好きなんだよ……」
「そんな事だから、究極の物語が見つからないのでは?」
会話の意味はよくわからないけど、カタリが容赦なく追い詰められていくのは、何となくわかった。しばらくすると、バーグさんは「今度は書く時に呼んでくださいね?」と言い残し、機械の中から姿を消した。
僕とサリエットは一冊ずつ、カタリが選んだ物語を渡された。どうやらカタリの鞄は、望んだ物語の本が出てくる魔法の鞄らしい。
「僕、普段は魔法書くらいしか読まないんだけどな」
「私も物語を読むのは、実家にいた頃以来だわ」
読書というものに不慣れな僕たちへ、カタリは得意気に胸を張った。
「大丈夫。読めばわかるさ!」
カタリに勧められた本を読み終えた僕は、すっかり言葉が出せなくなっていた。言霊封じをかけられたわけじゃなく、胸が詰まって声にならなかった。
心の奥にある何かに触れられたような感覚は、サリエットと魔力を繋いだ時の感触に似ていた。心地良くて、もっと深くまで入り込んでいきたいような――。
物語にこんな力があるだなんて、知らなかった。人の心に奇跡を起こすような、とても強いエネルギー。それは間違いなく、魔法と同じ力があると感じた。
翌日、カタリは僕が渡した地図を持って、元気に手を振りながら旅立って行った。
「……結局、読まれちゃったわね」
サリエットが、照れたように笑う。カタリはあの左目で、サリエットの物語を読み、僕の物語も読み、それぞれ本にして置いていった。
僕の貰った本には、僕の物語が書かれていた。まだ正式な魔法使いになる前の、養成所へ通っていた頃の記憶。
最後のページには、カタリの言葉が書かれていた。
「この物語は、貴方の手で綴って下さい。物語は奇跡を起こす魔法です、読者の心へ永遠に残ります」
それは、とても魅力的な言葉だった。
僕とサリエットとアウちゃんの三人で、苦難を乗り越えた旅路。その結晶である羽ペンで、あのかけがえのない日々を綴ってみたい……だけど、僕なんかの物語で、僕が貰ったような力は生まれるのだろうか。
「自分も、書いてみたくなっちゃうわね……大したものには、ならないのでしょうけど」
僕の思いと同じ事を口にして、サリエットが笑う。
「でも、きっと、それでいいのよ。自分に奇跡を起こせるのなら、それだけで意味のある事なんだわ」
そんなサリエットの言葉に背を押され、僕は物語を綴る事に決めた。この物語が、いつか誰かの、奇跡の魔法になりますように――。
……それは、僕がまだ「落ちこぼれ」だった頃の、人生を変えた旅の物語。
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