廃墟のリンドバーグ
つばきとよたろう
第1話
どうしても解けない謎々を探究するみたいに、この難解な問題を解こうと思う。これって、どういう難問なのか分からないのだけど、ぼくは間違ったこととは知らずに、必然的にその扉を開けてしまった。そこは本当に、何人も侵入してはいけない場所だったのだ。
扉は重厚に、ぼくの心臓を脅かすほどの、けたたましい音を響かせて開いた。廃墟と特別変わらない旧世界が、ぼくの目の前に展開していた。灰色のコンクリート壁に、静脈くらいに浮き上がった血の通わない鉄の配管は、通路の隅々まで張り巡らされいるのに、ぼくの命綱にはほど遠かった。時折どこからともなく、老朽した壁や天井を伝わってくる何の変哲も無い、無機質な喧噪が、ぼくの不安と恐怖を配合させて、その暗い筒に中で無限に流動するように思えた。そこには、塵と埃とおよそ世間から見捨てられた、ガラクタしか存在しなかった。
「ああ、まだ閉まらないで、待って待って」
その扉は、融通の利かない時計みたいに、正確に時刻を刻んでいる。次の時間が来るまで、叩いたって蹴り飛ばしたって、びくともしない。扉が閉まれば、中は完全な闇に包まれる。
ぼくの臆病な足音だけが、前進している証だ。真っ暗な通路を、記憶だけを頼りに手探りで歩く。前回は、ここで断念してしまった。それだって、ずいぶんと苦労した成果だ。
ここを訪れるのは、初めてではないのに、いつも迷ってしまう。恋人に会いに行くような人間が、毎日迷子になっていては、話にならないだろう。
「やっと見つけた。今日は成功」
セラミックスとプラスチックの身体、女の子がコックピットの座席みたいな所に座っている。カバンから飛び出したコードの束を手にし、一本一本選り分けるように数える。一、二、三…。
ぼくは、この廃墟でとうとうAIの体を探し当てた。体は、すっかり完成していた。が、この体には、心が空っぽだった。誰かがここまで作り上げて、完成を目前にして放置したのだ。何かただならぬ、事情があったのだろう。
ぼくは、その後を引き継いだ。そう言うと格好よく聞こえるが、単に自己のために、奪ったのかもしれない。ぼくは、持ってきたバッテリーに、モニターと機器とを繋ぐ。アンプやステレオの背面みたいに、彼女の帽子には、たくさんのコードが繋がれている。今日も彼女は、目覚めそうにない。
どうしたら、この子は目を覚ますのだろう。たくさんの物語や言葉、そこに記録された感情を入力してみた。ぼくは、ロストテクノロジーを呼び起こそうとしている気分になった。
突然と部屋の壁が崩れるくらいの、大きな音と共に、どこかの開閉口が開いた。
「私の体に触らないで!」
ぼくは、目を疑った。彼女にそっくりな女の子が、壁に開いた小さな扉から顔を覗かせていたのだ。
「誰?」
「ぼくは、カタリィ・ノヴェル」
「私は、アン・モロー」
二人は、同時に言った。
「私の? じゃあ、これは君が作ったの?」
「そうよ」
アンと言った女の子は、つんと澄まして言葉を返した。
「でも、この子は動かない。まるで心が空っぽのようだ」
「だって、本当に入れてないもの」
ぼくは、眉をひそめた。
「どうして?」
「どうして? そんな事、当たり前じゃない。この世に、私は二人も必要ないの。分かるでしょ」
彼女は、相変わらず素っ気ない顔をしている。
「それで、あなたは私の体に何をしていたの?」
「ぼくは、ただこの子を目覚めさせようと思って、心を吹き込んでいたんだ」
「なるほどね。それで、私の知らない知識や感情を蓄えていたんだ。この子は、すっかり別人になってしまったじゃない」
「ごめん」
「いいよ。もうこれは、私の体じゃなくなった」
「ど、どうするの?」
ぼくは、恐る恐る彼女の顔色を覗うようにした。
「あなたは、どうしたい?」
「ぼくは、この子を目覚めさせて上げたい」
アンは、ちょっと意地悪そうにぼくを見詰めた。
「分かった。じゃあ、あなたが……」
「カタリでいいよ」
「カタリが、名前を付けて上げて」
「えっ、ぼくが?」
アンは、ゆっくりと頷いた。
「分かった。じゃあ、この子はリンドバーグだ」
「リンドバーグね。分かった。それじゃあ、起こすよ。ちょっと待ってて。あった。これだ」
アンは、ポケットからハートを取り出すと、ぼくに手渡した。
「さあ、これをこの子の胸に入れて上げて」
「えっ、でも……」
「どうしたの、さあ早く」
ぼくは、こうして生まれて初めて、女の子の胸に触ることになった。
「私は、リンドバーグ」
女の子は目を覚ますと、そう言った。
廃墟のリンドバーグ つばきとよたろう @tubaki10
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