始まりのネバーランド

 少し、考えていた。

 おためごかしから始まった関係とはいえ、私は彼女を愛していた。彼女の我儘に付き合うことが私の喜びであると言い聞かせていた。事実、確かに昔はそうだった。つまらない私は、彼女の我儘に付き合うことで少しはまともな人間になっていた。しかし今は違う。我儘よりも、彼女のことが好きなのだ。

 昨日の夜に、一人でこっそり買っておいた誕生日プレゼント。結局渡し損ねてしまったクマさんは、行き場を無くして机の上に佇んでいた。ささやかなメッセージカードを抱え、そのつぶらなビーズの瞳が私の胸に訴えかける。口からポロリと言葉が漏れた。

「なにがしたいんだろうな、私は」

 別れ話を切り出されて、遊びであったことを告げられて、それでも未練がましく想い続けて、結局は癇癪を起こして台無しにしてしまった。私はなにがしたかったんだ。

 多分、なにもない。

 ……とどのつまり、考えなんていなかったのだ。だって私は、彼女が居ないとなにもできないつまらない人間なのだから。


 待ち人来たり。


 不意に、部屋の戸が叩かれた。返事をするよりも先に、外の光が隙間に差し込む。

「え、鍵かけてないじゃん。不用心すぎない?」

 会いたかった。会いたくなかった。今はそれすらもわからない。

「美紅……」

 彼女は締め切ったカーテンを開くと、私の隣に腰かけた。

「ごめん。忘れてたよ。ユカリはあたしが居ないとなにもできないんだったよね」

 彼女はそう言うと、私の手をぎゅっと握った。こんな時でさえ、その体温を心地よく思ってしまう。

「友達でいてくれるか、じゃないよね。これからも、友達でいて」

 この期に及んで、彼女は言うのだ。

 答えは決まっているだろう。

「……うん。わかった」

 私はなにもできないから。

 これからも、彼女の我儘に付き合っていくしかないのだ。

「……ありがと。それじゃあ、行こっか」

「どこに?」

「どこにって、あたしの誕生日プレゼント選びの続き」

 私はちらりとクマさんを見る。渡すならきっと今しかない。

「あ、待って、その……」

 クマさんに手を伸ばそうとして、不意に思い出す。抱えたメッセージカードには、彼女への愛が綴ってある。恋人に向けた文章だ。今こんなものを読まれれば、私達はきっと友達のままで居られなくなってしまう。最悪の想定に、私はかぶりを振った。

「……やっぱり、なんでもない」

 溢れ落ちそうになった言葉を、すんでのところでぐっと飲み下す。この忍耐力が今はありがたい。私はそう思っている。

「変なユカリ。まあいいや、それじゃあ行こっか」

「うん。行こうか」

 法改正だとか社会的地位だとか、どうでもいいことばかりは上手いこと行ってたんだけどな。どこで間違えたのかと言えば、多分最初から間違えていたのだろう。結果はどこまでもあっけなく、これ以上にないくらいシンプルだ。彼女のモラトリアムに付き合い続けた私は、ついぞそのモラトリアムに呑み込まれてしまった。気づけば頭の先から足の先までずっぽりと浸かっていたわけだ。

 それもまた、一種のモラトリアムであるのかもしれない。

「美紅」

「なあに?」

 しばし忘れていた言葉を口にする。

「お誕生日、おめでとう」

 もうすっかり口に馴染んだ、十数年間毎年繰り返している言葉だ。彼女もまた、いつもと変わらぬ反応を返す。

「ん、ありがと」

 これでおしまい。

 これからも、二人の関係は変わらない。彼女の我儘に私が振り回される。多分、最初からそうでしかなかったのだ。情愛や性欲は後についてまわるものでしかなく、二人の間に流れるものは一貫していたのだろう。だから、なにも変わらない。今まで通りの関係のまま、二人は歩き続ける。

 なにも、変わらない。変える必要がない。きっと、ここにしか永遠がないのだから。

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終わりなきモラトリアム 抜きあざらし @azarassi

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