おめでとうと述べた63
東羊羹
おめでとうと述べた63
─おめでとう。これはとてもいい言葉だと思うよ。語源を調べてみたのさ。愛でること…そして、相手の喜ぶ様子を見てこちらが嬉しくなるからそう告げるそうだ。だから、たまには、語源通りに使ってみてもいいかもしれない。
感慨深そうな彼の隣で、三角形の中にいた64は「つまらない」と嘘をつき、孔雀の65は呆れたように63と今後どうするかの対話を始めた。
◇
数刻の後、63は一つの巨大な壁を造ると、それをこんこん、と叩いてみた。
─これだけはしっかりしておかないと。みんなにおめでとうと告げてあげる事ができない。
◇
多くの者が絶望したから切望していた。
受動的な希望を。
煩雑な人間関係、学校では教えてくれない十代特有のスクールカースト。それを過ぎ去り自立し稼ぎ始めたとして、会社という組織の選択を誤れば、ひたすら無為に毎日を経過していく事になってしまう。自分が日陰にいると分かったならば、日向に出ればいいのだが、簡単にはいかない。もしかしたらその日差しは自分を焼き尽くす業火なのかもしれないのだから。
足を踏み出す事も躊躇する。
しかし望む。
もう苦労なんてしたくない。
だが欲しい。
受動的に。
力が。
技能が。
新しい人生が。
詰まるところ「ズル」が。
◇
微かな光を感じて最初に体を起こした学生の一人は、周りに多数─おそらく三十人程度だろうか─の人が同じように倒れているのを見て、恐る恐る声をかけてみた。
「あ、あ…あの…ああ…えっと…あの…」
元々声をかけるのは得意ではない。何度もつっかえながら、ゆすっているのかゆすっていないのかすら分からないように見える。
女性に声をかけるのはやめた。どうなるかわかったもんじゃない。
その時。
自分の中に、ふっ、と温かい何かが流れ込んできたような感覚に陥った瞬間、口が自然に動いていた。
「おい、あんた大丈夫か!?分かるか!?」
彼は己自身に驚愕した。こんなセリフを今まで使ったことなどないし、一切の躊躇もなかったからだ。
その声に反応して何人もの倒れている人々が昼寝から目覚めたような緩慢さで、もぞもぞと動き始める。困惑する声や、まだ倒れている人に声をかける人も見受けられた。
─君の心のつっかえとなっている物を少しだけいじってみた。とても話しやすくなったんじゃないか?
「ああ…すごく話しやすい。今までにない感覚だ、あんた誰なんだ?ここはどこなんだ?これはどういう状況なんだ?」
─聡い君達ならすぐに悟ってくれると思う。君達が切望していたものだよ。
学生の頭の中にある可能性が一気に流れ込んでくる。これは。夢ではないのか!?こんな言葉を生まれて初めて考えた。
その瞬間、全員を朝日で照らして起こすような声が響いた。
─諸君!「おめでとう」!!君達は選ばれた!!苦労してきた君達はもう一度人生を謳歌すべきだ!!その機会がないのは…そんな不平等、理不尽はおかしい!!人生は一度きりなどと一度も終えていない者が告げる事のなんと滑稽な事か!!そんな蒙昧無知な人間たちを見返そうではないか!!だからそのための「力」も「技能」も「知識」も…「別世界」で使えるであろう物は全て君達に授けた!!
力。技能。知識。別世界。
察せられる誰もが切望していた承認の世界。
「待って、どうして…私たちが…!?こんな好条件な話をどうして神様がいきなり…夢物語だと思っていたのに」
溌剌な心の力と、身なりを「与えられた」女性の一人が叫ぶ。当然だ。たとえ神がいるとして夢物語を叶えてくれるとして、あまりに突飛すぎる。
─全知全能の神様が一人だけなんて、それは思い込みがすぎるよ。君達が考える神様…なんて存在は物凄いたくさんいるんだ。彼らは君達に興味がないだけでさ。私は君達で言う…そうだね、ニーズを受け取った。私はそれを叶えられる程度の力は持っていた。だからやってみたんだ。いいじゃないか、君達の世界でももしかしたら数値をいじられた人間が別世界からやってきて「ズル」してるかもしれないんだから。
「だ、だけど…じゃあせめて顔を見せてよ!声だけでそんな…!」
ざわつき始めるのを見計らったように声は告げる。
─私は君達で言う概念的な物だからね、顔を見せる事はできない。でも証拠を見せる事はできる。少し念じてごらん。君の頭の中に分かりやすい映像が投影されてくるからさ。
何人かが目を閉じると同時に歓声が上がった。
9999。
100。
255。
最上級魔法の羅列。
弾薬数無限。
スキルレベルMAX。
─転移された世界先で一切困らないようにしておいたよ。向こうにいけば分かるはずだ。
わっ、と湧き上がる歓声。そこには希望が満ちている。今までの現実の呪縛から解き放たれ、やっと…やっと、望むまま、意のままに世界を動く事が出来る!!あまりに唐突な困惑の中でも自らの力が湧き上がってくるのを感じる。どんな世界でいかなる敵が出てこようとそれを撃退し、己が賞賛される情景が!!
一期一会、誰もが新しい世界に行ってしまい、散り散りバラバラになるのでもう二度と会う事はない。だが、それでもお互いに喜び、握手をし、賞賛しあい、抱き合った。皆が笑顔だった。
─本当に「おめでとう」。君達が嬉しそうで私は本当に嬉しいよ。だからもう一度言わせてほしい。「おめでとう」。
有難う。
ありがとう。
皆が彼にそう賛辞を贈った。「おめでとう」それに対して「ありがとう」と。
─ああ。本当に「おめでたい」ね。ここから次の世界に行けるのは一人だけだ。最後に残った一人を確認したら私はここから次の世界へつながるゲートを開ける。
誰もが目を見開き、上を見上げた。
いまこの声はなんと言った?
ひ と り ?
─私は言ったはずだよ。「機会」がある、と確定事項じゃない。君達全員に力を与えたのは本当さ。受動的に幸運を願っていた君達には余る力を。使ってみればわかる。私は君達が歓喜する姿を見て、そして私を称える姿を見て、とても嬉しくなったよ。だから伝えたのさ。「おめでとう」って。これは嘘偽りのない本音だよ。
徐々に、徐々に、希望が潰えていくように歓声が罵倒や怒号、悲鳴に変わっていく。しかし、その中でも微かに感じていた。己だけが生き残れる。なぜならチートだからだ。
─だから私にも、おめでとうに値する喜びを見せてくれ。私を楽しませて愛でてくれ。そうすれば私は幸福になり、その様子を見て君達も同様の言葉を私に投げかけてくれるはずだ。「ズル」はルールの中で逸脱するから「ズル」なのだ。ここにはルールはあるが全員が「ズル」だ。故に「平等」だ。
声が濁り、全員の前に一瞬だけ醜悪な梟のような顔を見せた彼は楽しく笑った。
─新たな門出を祝して「おめでとう」。
◇
彼はこれから紅く染め上げられるであろう盤上を部下に任せると64と65に顛末を報告するために背を向けた。
彼の名はソロモン72柱の一人、63番目のアンドラス。憎悪を「先導」し「扇動」し殺す事に快楽を覚える者。しかしそれが残酷かと言えばそうではない。
文字通りゲームだからだ。チェスの駒がとられたから、将棋の駒がとられたからと言って、都度嘆き悲しむ者がいるだろうか。
彼にとってはそういう物だ。
厳選した彼らは間違いなく喜色満面に満ちていたし、やり直しができると再び未来への希望に満ちていた。
傍目からどう見えようとアンドラスは希望を与えた。当人も明確な意志を以て希望を与えた。内心がどうであろうと。
彼は間違いなく愛でたのだ。掌中の珠として。最もその珠は握りつぶしてしまったが。
─愛で甚し。愛でたし。愛でたし。
【完】
おめでとうと述べた63 東羊羹 @adumayoukan
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