第8話

体育教師の嶋田の怒声がグランドに響く。「手も腿も!もっとちゃんと上げろっ!!」俺たちは体育祭に向けての練習で、入場の行進を練習させられていた。俺は学年で三番目に背が高く、背の順に四人ずつ並ぶので最前列で行進する羽目になっていた。うちの学校は気合の入った体育祭が有名で、地元の人達がわざわざ体育祭を見に来るほどに地域で人気のイベントらしく、教師連中のやる気が目に見えて高い。「お前だ、前田、出てこい!」と嶋田は凄むと俺の後ろにいたヤンキーの前田の後ろ首を掴んで引きずり出すとグランドの端まで連れて行って耳元で怒鳴り散らしている。前田は地面を見ながら耐えていて、死んだ目の仲間である前田が怒鳴られているのを見て俺はつい口元が緩んだ。その時、嘲笑ったのを見たらしい別の体育教師が走ってきて「清原!他人事ちゃうぞボケ!」と言いながら俺も首筋を掴まれて前田の横に連れて行かれた。目があった前田は口元を歪ませて「アホだろお前」という目をしてきたのでため息をひとつ吐いて、すいませんでした、とボソッと教師に言うと、さらに数分怒鳴られた挙げ句に「お前らのせいで全員の貴重な時間が無駄になった。どうするんだ!」と見当違いの方向に怒りが向かったのでもう無視することにして、止まった行列の中のあんちゃんを探すことにした。あんずは背があまり伸びず、毎朝頑張って好きでもない牛乳を飲んでいる可愛いところがある。背の順の行列の中でも真ん中より少し後ろにいて、こちらに興味も示さずに地面をじっと見つめていた。あんちゃんの顔は斜め後ろからしか見えず、集団が邪魔でちゃんと見えなくて、愛おしいあんちゃんの体操服姿が全然見えないぞくそったれと必死で見ているうちに教師から開放された。俺は体育祭でも憂鬱で、それは体育系の脳筋イベントなのが理由でなく、教団の信仰が試される場となるからだった。偶像崇拝の禁止、という項目がある。キリスト像への礼拝禁止から始まり、アイドルの追っかけ禁止や、国歌を歌う事と国旗に礼をすることを禁止されている。何故か、という理由はもはやどうでもいい。親と教団から国家は歌うな、国旗が掲揚されても礼拝するなと命令されている。俺は背の高さが災いして、体育祭の開会式で集団の先頭に立ち、目の前に来賓席や教師の集団がいる目の前に立つことになった。そして問題の国旗は俺の背中側にあって「国旗掲揚!」という掛け声とともに全生徒が回れ右をして国旗を掲げるポールの方を振り向くのだ。その時、俺は一人で前を向いたままで、教師と来賓と保護者からの視線を浴びることになる。全員が後ろを向いた中で、一人だけ前を向いてるなんて頭おかしいやつだし、実際隣の高田は手で合図してくれた、ウシロヲムクンダヨって。知ってるよ高田くん。俺は嶋田先生にわざわざ「国旗掲揚は偶像崇拝になるので信仰上の理由で後ろを向けません」と言いに行ったんだよ。もはや毎年数人の生徒が同じことを言うので教師も慣れたもので「わかった」とだけ言って帰れと軽く手を振って終わりである。


数十日の練習のあと、本番の前日の晩御飯を食べていると、ママから「二人とも明日は信仰が試されるけど頑張ってね!見に行くからね」と言われ、俺は深い井戸の底にいるような気分になった。あんちゃん空が遠くに小さく丸く見えるね。俺たちは明日数千人が集まる場で信仰が試されるんだって。隣のあんずを見ると気にする様子もなく肉豆腐の豆腐を箸で四つに切って口に放り込んでいた。


お風呂を上がって、あんずの部屋に行くと、珍しく机に勉強道具を出さずに小さな箱を手にして椅子に座っていた。黙ってベッドに座って読むつもりで持ってきた本を開く前にあんずが振り向くと「きょうちゃん、私たち今日誕生日なんだよ」と言った。そうだ。今日は俺たちの誕生日だ。生まれてから一回もお祝いをされたことが無いから気にしたこともなかった。この世では誕生日にはプレゼントが貰えたり、ケーキが食べられたり、親から祝福をされるらしい。教団が誕生日を祝うことを禁止しているので、俺たちは誰からも祝われたことがない。まあ俺は気にしたことがないしプレゼントは貰えるなら欲しいけど、どうせ俺がほしいものは宗教的にNGだろうから貰えない。あんずは手にした箱を俺に投げると「あげるよ、きょうちゃん」とだけ言うと、俺を押しのけて布団に潜り込んだ。会話をする気は無いらしい。箱を開けると新品のGショックの箱が出てきた。値札が貼られたままでプレゼント飾りもないGショックは、少し前に家族で行ったイオンモールの中のゴチャゴチャした雑貨店で俺がいつか買いたいと言っていたものだった。「あんちゃん、どうしたのこれ?」と聞くと布団の中から「買ったに決まってるでしょ」となぜか怒り気味に返された。箱から出てきたGショックは時計の文字盤が黒くて数字が白く見えるのが格好良い。

あんちゃん、これって誕生日プレゼントだよね?教義的にNGだよ?お金はどこから持ってきたの?とかぐるぐるしたけど、生まれて初めて貰った誕生日プレゼントは蛍光灯の下で光り輝きまくって聖遺物のようで、貰って五分も経たないのに俺の人生で一番大切なものになった。「あんちゃん、ありがとう。大事にするよ。嬉しいよ。でも俺は何も用意してないよ。ごめん」と言うと布団から声が返ってくる。「誕生日とか関係ないもん、ただのプレゼントだもん。きょうちゃん」おめでとう。最後のおめでとうは声に出さなかったけど、あんちゃんの声ではっきりと聞こえた。俺は布団を剥がすと、膝を抱えて丸くなったあんずが出てきた。あんちゃん愛おしい、ありがとう。背中を向けて丸まるあんちゃんは固い石のようで、俺は石を撫でるように頭を撫でた。ありがとうありがとう。あんちゃん大好きだよ。祝うことを禁じられているのに、いきなり乗り越えてくるあんちゃん素敵だよ。手は頭から薄い肩を撫でて、軟かい二の腕を撫でる。そのまま腕を伝って指に辿り着いて、あんちゃんの手に指を絡ませる。指を絡めるとあんちゃんも力を入れてきて手が一つになる。勇気をひとつ出して頭にキスをしようとかがんだ瞬間にあんちゃんが振り向いて、あんちゃんのくっきりした二重の瞳が目の前にきた。潤んだ茶色の瞳は真っ黒な瞳孔に向かって茶色の線が放射線状に走り吸い込まれる。頭が少し吸い込まれた瞬間に唇にむにっとした感触があってから、突き飛ばされ、あんずはまた布団にくるまってしまった。明日は信仰が試される体育祭。そうそう、早く寝ようねあんちゃん。

というか、いま、キスしたよね?あんちゃん、キスしたよねいま??どういうこと?このプレゼントはなに??巨大な蓑虫となったあんちゃんは言葉を拒否しているようだったけど、布団の上からしがみついて「おやすみあんちゃん。あんちゃんもお誕生日おめでとう」とだけ言って自分の部屋のベッドに戻った。Gショックを腕につけて自分の左手首を眺めながら、右手は唇を触る。熱を持った唇はさっきの柔らかな感触をまだ覚えている。唇の熱は冷めぬままジワジワと下半身にまわり、痛いほどに勃起した。でも何が起こったのか理解できず、容量オーバーなフリーズをしたままで、いつのまにか眠ってしまった。


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