第1話

「は、は…、はあ…っ!」

後ろから沢山の足音が聞こえる。このままじゃ、捕まる。捕まったらどうなるんだろう。友達のお巫山戯のせいで、ぼくが捕まるハメになるなんて最悪だ!

すれ違う景色、いつもと違う道。ぼくはもう、いつも通りの日常に戻れないんだ。


角を曲がって、直ぐに横道に入った。路地裏を通って広い道に出る。人が多い道を敢えて選んだ。なんだっけ、木の葉を隠すなら、ってやつ。

今ここで逃げ切れたとしても、ぼくには、もう帰れる「いつも通りの家」は無い。


でも、今ここで捕まる方がもっと嫌だ!



「うわっ…、たた、ごめんなさい!」

人混みの中走っていたら、人にぶつかった。ごと、と重いものが落ちる音。さっきぶつかった人が落としたんだ。

「あの、すみませんこれ…。」

荷物を抱えて振り返った。今のぼくにこんな余裕は無いけど、つい。

「それ、もう要らないからあげる。」

人混みの中煌めいた髪、星の色。季節外れのマフラー、正義の色。知らない人だけど、そんな事どうでもよくなってしまった。

「居たぞ!」

人混みの向こうから声が聞こえた。見つかった!ダメだ、走らないと、追いつかれる。

荷物を押し付けようとして、気がついた。


さっきの人は、もういなかった。


「…っごめんなさい!」

荷物を肩に掛けたまま、走った。結構な大きさなのに何故か人にはぶつからずスイスイ走れた。

「そこだ!」

「っ、前からも。こうなったら…!」

大通りからまた横道に入った。知らない道だけど、全力で走った。



「…嘘だ。」

大きなコンテナと、その先に見える水面。

埠頭だ、ここ。

もう逃げられない。

「でも…、なんで、こんな細い道からじゃないと辿り着けないとこに?」

コンテナを運ぶクレーンも、大きな貨物を運ぶトラックも無い。そもそもぼくが走ってきた道はトラックが走るには狭すぎる。

何か、おかしい。まるで此処に来るよう仕向けられたようで────


「見つけました。」

後ろからの声にぼくはまた走った。逃げられないけど、隠れることはできる。時間稼ぎでしか無いけど、やらないよりはマシだ!

コンテナとコンテナの隙間に入り込んで様子を伺う。

「出口は封鎖しました。袋の鼠です、もう逃がしません。」

誰かと話しているのか、報告する様な声が聞こえた。足音が近づいてくる、まずい。

何か無いのか、何か。

ぼくが、いつも通りの日常を取り戻せるような、追い詰められているこの状況を打破出来るような、何か。

後ずさり乍、ぼくは隙間の奥へ奥へ逃げた。コンテナに背中からぶつかった。ぽん、とぼくの体に軽く荷物が当たった。

『それ、あげる。』

さっきの人の言葉を思い出した。

ぼくはしゃがんで荷物を開けた。あげるって聞いたし、もしかしたら何かあるかもしれない。

もしかしたら、って希望は、間違いではなかった。


中身は銃だった。


「────え、」

結構でかい。っていうか何でこんなものが。あの人はずっとこれを持ってた?要らないからあげる、って、つまり銃の処分に困ってたから適当に押し付けた?

それとも、ぼくがこうなるって、分かってた?

………………いやいやいや。ないない。

どうせあれでしょ、玩具とかモデルガンとか、そういうやつでしょ。


「な…、大臣!?まさか御自ら、」

遠くから聞こえた驚きの声に、ぼくは頭を上げた。差し込む光が眩しい。相当奥まで来てたんだ。

っていうか、大臣って。

「いいか、あれは元帥様に献上する為のもので、秘匿中の秘匿だった筈だ!いや、『だった』では無い、今も、だ!…犯人は何処だ。私自身で問い質す、容赦はせん!」

荒ぶるこの声、間違い無い。ニュースでよく叫んでるもんあの人。大臣だ、ぼくがハッキングしたホームページの、ドーリッシュ本人だ…!

やっぱりあのデータは本物だった、秘匿中の秘匿とか言ってるし!やっぱクロなんじゃん、政治家とか大臣とか、やっぱロクでもない奴じゃん!

「…此処か。」

逆光でよく見えない。足音が響く。近付いてくる。

「お前か。データを流出させたのは。」

でかい腹。光が遮られて暗くなる。このおっさん、見るからに怪しそう。越え太った貴族様って感じ。

金属音がした。おっさんの手には銃があった。多分、いや絶対本物だ。こんなとこで偽物振り回してんのはぼくぐらいだ。

「…それを降ろせ。何処から入手した。この国には無い型だ。」

「へ、」

暗くてよく見えてない?本物と勘違いしてる?

…ラッキー。いやラッキーって何だよ。

ああもう、こうなったらヤケクソだ!


「撃たれたくなかったら手を上げろ!」

ぼくは銃を構えた。持ち方とかよく分からないから適当だ。本物っぽく、引き金に指をかけた。

おっさんと黒スーツが慌ててる。

よく分からない、よく分からないけど何か、上手くいってる!

「そのまま、後ろに下がれ、ぼくが良いって言うまで!」

ぐっと手に力が籠る。

とにかく、逃げたかった。非日常から。

日常に帰りたかった。逃げ切れるって、謎の確信があった。



閑散とした埠頭に、一発の銃声が響いた。



撃ったのは、ぼくだった。






「…なんで。」


なんでぼくは、地面に転がってるんだ?銃を撃った時にバランスを崩したから。

なんで目の前が、真っ赤なんだ?ぼくが撃った銃が、おっさんの腹を貫いたから。

なんでぼくは、銃を撃てたんだ?

なんで、これは、

「…玩具じゃ、なかった?」


「大臣!」

黒いスーツの男が、おっさんに駆け寄ってる。ぼくが、やったんだ。ぼくが。

ぼくが、殺した。



黒スーツの1人がぼくの前に立った。影が落ちる。

「君はとんでもない事をしてくれた。若いのに、残念だよ。」

ぼくの目の前で端末を取り出してる。

警察を呼んでるんだ。そりゃそうだ、ぼくが撃った。


ぼくが、いつも通りの日常を、殺した。


「待ちなさい。」

視界に映るコンクリートに、端末が落ちてきた。ぐえ、って悲鳴が聞こえた。


「貴方がアーク・シュナイヴィッチね。」


綺麗な人だと思った。






「気にしないで、良くあることだから。」

良くあることって何ですか。玩具だと思ってた銃が本物だったってこと?

「私達は貴方を必要としてるの。」

ぼくはただの学生です。成人もしてません。

「貴方は、もう元の生活には戻れないわ。」

「それは、」


それは、ぼくが一番わかってる。


「なら、観念して僕の「手」になる事だ。少なくとも政治家殺しで周囲がてんやわんやする事も無い。」

聞き覚えのある声に少し視界をズラした。

『それ、あげる。』

星色の髪、正義の色のマフラー。


「………荷物の人だ!」

「やぁ、さっきぶり。アレ、使ってくれて助かったよ。おかげで君を此処迄問題なく連れて来させられた。」

何か言い返してやろうと思ったのに、声が出なかった。

使ってくれて助かった、おかげでここ迄連れて来させられた。聞いた言葉を頭の中で反芻させた。

「君面白い顔するね。」

名前も知らないマフラー男が近付いてくる。いやこの人男…女?

「う、あ。」

「何で何で何で、って、理不尽で訳分からないよな。分かる分かる。混乱してるだろうけど、今の君に話したところでまた後で話さないといけない訳だ。兎に角今は深呼吸して、落ち着いてくれ。」

手が伸びた。ぼくの頭を撫でた。優しくて、でも荒っぽい。母さんのような手で、まるで撫で方は父さんのような。

…いや、父さんなんていない母子家庭だし、よく分からないけど。

「…あなた、は。」

「先ず僕の事を聞くのか。成程確かに、目の前の事から片付けるべきだよな。」

少し腰を曲げて、目線を合わせてくれた。

濁ったコンクリートの様な色をしている。

「僕はエース。エースとだけ、呼んでくれると嬉しいけどね。」



「…エース…さん。」

「うん?何かな。」

ぶつかったのも、わざと?荷物を渡すのも計算づくめだった?ぼくがあの横道に入るのも予想してた?ぼくが銃を撃つって確信があった?ぼくが殺すって分かってた?

全部の混乱を、吐き出した。

エースさんは全部、応えてくれた。


人混みの半分はエキストラで、ぼくを確実に仲間に引入れる為にあの埠頭へ導いた。銃を出せば及第点。引き金を引いて牽制でもすれば重畳。

だけどぼくは、大臣に弾を当てた。


「結果的に予定外の殺人にはなったが、それはそれで僕の仕事が減った。文句無しの満点さ。」

「ぼくは、本当に人を殺したんだ…。」

「銃ってのは、殺すのに躊躇いが要らない。良いものだろう、ナイフだと肉を断つ感覚が直に肌に伝わる。その点銃は引き金を引くだけだ。」

「…でも、銃は重かった。撃つ前と、撃った後じゃ、重さがまるで違った。…弾一発分、軽く、なってる。筈なのに。」

きっと、ぼくが背負うべき命の重さなんだ。あのおっさんだって、死ぬ程悪いことはしてなかっただろう。

「知ってるか。弾丸っていうのは、案外軽いものなんだ。重ければ飛距離が短くなる。より遠く迄飛ぶよう設計されたものなら、余計に重さに拘って作られる。」

「…?」

「ここで話を切り替えよう。人の魂っていうのは、どれくらいの重さだと思う?」

「え、」

魂?魂に重さがある?魂なんて目に見えないものなのに?目に見えないものに、目で見える数字としての、重さがある?

「21g。これが、人間の魂の重さだと言われてる。…あくまでも、そういう話がある、ってだけだけどな。」

エースさんは、何処か遠いところを見るように話していた。

「人の魂の重さと、弾丸の重さ。ほぼ変わらないんだ。仮に。人を撃った銃に、人の魂が乗っかったとして、感じる重量はさほど変わらないと思う。なら、君が感じた、まるで違う重さってのが何なのかって話だよな。」

「…うん。」

エースさんの声は、低くも高くもない、でも落ち着いた余裕のある声だ。ぼくを落ち着かせる為だけの話を、ぼくを落ち着かせる為だけの声で、話してくれてる。

「僕が思うに。それは、君自身だ。自分が背負うべきだと考えている責任の重さだ。並大抵の人間ができる事じゃない。人を殺したと自覚した時、普通、人は『いつも通りの日常』を取り戻そうとする。取り戻そうとしながら、冷静な頭になろうとして、より異常な行動を取る場合もある。けれど君は違う。君は、最初から自覚していた。冷静になりきれてない中で、責任の重さだけを真っ先に自覚した。」


「君が殺してくれて助かった。と言えば聞こえは悪いが、君自身の特色を理解出来た。これは有用な一歩だ。」

エースさんの声が止まって、一呼吸。また頭を撫でられた。母さんの様で、覚えはないけど父さんの様な撫で方だった。

「さて、君に与えられる選択肢は二つだ。何方を選ぶのも君の自由さ、どうする?」








「アーク・シュナイヴィッチです。宜しくお願いします。」

あれから一ヶ月。

ぼくは学校にいた。知らない学校だ。エースさん曰く、ぼくは新しい3つ目の選択肢を取ったらしい。



「ぼくは、学校に通って友達と駄弁って、家に帰って晩御飯を食べて寝る生活があればいい。それ以外の事は、…生活から外れない限りなら。」

エースさんに笑われたけど、ぼくはいつも通りの日常が欲しいだけだった。

エースさんが提示した条件は、かなり厳しかったけど、ぼくはそれを飲まざるを得なかった。


「一つ。元の学校には戻れない。これは自分でも薄々わかってるだろう?戻ったとして、腫れ物扱いが良いとこだ。二つ。君が帰る場所は、この刑務所になる。此処が君の家だ、いいね。三つ。…今は、君の家族に合わせる事は出来ない。が、君のお母様はこっちでちゃんと『いつも通りの日常』を送れるよう手配する。君はまだ世間的に名が出てる訳では無く、君の転校理由も、ま、精々諸事情により、と言ったところか。…君が望むものとは随分かけ離れているが、僕の目的が達成されれば君はきちんと此方で条件を整えて『元の生活』に戻す事を約束する。…何なら念書でも書こうか?」

「いい、いらない。っていうか、ぼくはまだ世間的に名が出てるわけじゃない、…ってどういうこと?ぼくが大臣を殺したんでしょ?」

「そう、それだ。その原因となったのは?」

「え、………確か。友達が僕の写真を、SNSに…え?」

「インターネットに放たれたものは、完全に取り消すことは出来ない。君の友人のSNSのページは削除されているが、まあ何だ。自業自得、かな。未成年だしニュースで名前も住所も取り上げられてない。けど、世間的には彼がやったと思われてる。大臣に関しても、病死扱いになってる。黒スーツは全員僕が処理してあるし。今君に当たるスポットライトは、」

「…ゼロ?」

エースさんは、ニヤリと笑った。



こうしてぼくは、新しい学校に転入した。学校が終われば刑務所の裏口をそっと通って自分の牢に帰るという奇妙な生活を送る事になってるけど。

ぼくの部屋と言えばいいのか、鉄格子ではなく木製の扉で仕切られた牢には最新の機材が整っている。ぼくはエースさんの「手」になる。らしい。よく分からないけど。


「ま、時期が来たらかな。それまでは適当に弄ってハッキング技術でも鍛えてくれ。」

とエースさんには言われたけど、正直ハッキングはもうしたくない。人の隠し事を暴くのも良い気分じゃないし。それに、もう二度と人を殺したくはない。



「…とはいえ、やらなきゃいけないよね。」

ぼくはそっと右耳に付けられてるイヤーカフを摘んだ。摘んだくらいじゃ電流は走らないけど、本気で外そうとすると強い電気が流れる様になってる。らしい。実際試した事は無いけど。痛いのイヤだし。

このイヤーカフがある限りぼくは誰かに監視されてるとかも聞いた。GPSでも付いてるのかな。エースさんは…看守、何だろうか。だとしたらぼくを監視してるのかな。それとも…ぼくと同じ、監視されてる側?

…よく分からない。分からないものを考えるのは、好きじゃない。


「…アイリスって子、絶対子供だよね。子供が看守長やってるってどうなの。」

パソコンの前に座りながら思い出したようにぶつぶつと文句を連ねていた。

「っていうか、この監視装置誰が見てるわけ?なんか、すっげぇ気に入らない!」








インカムから聞こえた声に思わず声が漏れた。つらつらと文句を言えるようになったならもう大丈夫だろう。

「気に入らない、だってさ。いやぁ面白いな彼奴。気に入らない、だぜ?感覚で生きるのが本性か。」

「楽しそうで何より。でも、余り人の文句を聞くものじゃ無いわ。貴方の精神が犯されてしまう。」

「…気に食わない?」

「ええ、勿論。貴方は私のものだもの。」

ユカリの言葉に思わず口角が上がる。やっぱりきちんと言葉にしないと伝わるものも伝わらない。


「ねえ、ボクも聞いてるんだけど。」


「悪い悪い、これで勘弁な、ツキ。」

ボブヘアーの明るい金髪へ向かってナイフを投げる。ナイフは髪を数本裂き、耳の上の皮膚を僅かに擦った。

「あーいい、中々良いスリル!あと3ミリ中入ってたら顳顬ブシャーだね最高!」

「君も随分な趣味をお持ちだよな、ツキ。」

「無痛症の限界ってのを試してるのさ。前に痛みを味わったのが…確か頸動脈をイカれた時だっけ?あの時のエースはブチ切れててボクも本気で死ぬと思ったね。」

ケタケタ笑うツキに向かって僕はインカムを放り投げた。

「僕はもうアークの面倒は見ない。後の調整は全部ツキに任せる。」

「はいよー、お任せあれ!どうにか調教して、ボクを生かしつーつ、殺してくれる感じの子にしてみせるよ!」

インカムを上手く受け取っては耳に填め乍ツキが返した。

「…好きにしてくれ。」

「ちゃんとエースの言うこと聞く「手」にしてみせるから安心してよー!…でもあの子、案外エースの脳髄でも良さそうな気がするけど。ボクが主導権握るなら確実に脳髄にしてるね、頭の回転早いし何なら僕の事殺してくれそうだし!」

「もしもしアイリス?」

「ストップストップストーーップ!看守長はまずいって!ボクが仕事サボってるのバレるでしょ!」

そろそろ此奴の甲高い発情声に耳が痛くなってきた。


「さっさと持ち場に戻れドM無痛症野郎。」

「エースって時々すっごい毒舌だよね。イイネそれゾクゾクする。もっと言って。」

逆に餌を与えてしまった。いい加減此奴の取説が欲しい所ではある。この辺りの匙加減もアークの仕事の一環か、頑張れアーク。


「餌が欲しいならその子に頼んでくれるかしら。」

様子を伺っていたユカリが辟易しつつある僕を見かねて助け舟を出してくれた。

「はーいはい、そうしますよーっと。あーボク急に仕事増えちゃったなあ過労死しない?仕事に殺されるのだけは勘弁なんだけど。どうせなら書類一つ一つに罵倒が載ってたらいいのに。」

「そんな書類あってたまるか。欲求不満でももう相手はしないぞ、アークに頼めアークに。」

「残念だよエース、漸く君の体に触れると思ったんだけど!…あ、ユカリさんだっけ。その人の前じゃー、禁句だった?」

変わらずケタケタと笑ったままツキは自分の看守部屋へ戻って行った。二度と来るな。


「…これでアークはツキが面倒見るのね?立場が逆転しそうな気がするけど。」

「ま、そこもこれからの課題だろ。どうなるのかは見物だけどね。…それより、あの政治家の方だ。アークが流してたデータ、まだ残ってる?」

「だいぶ消されてる。いくら崇高な孔林様でも、やっぱり自分達の資金調達については触れられたくないみたいね。…それより。」

椅子が軋む音、揺れる人影。

ユカリが目の前に立っていた。

そして、僕の膝に乗った。

「ツキとこそこそ何をしていたの?」

「おっ…と、そこ触れられるとキツイな。」

「…私というものがありながら?」

つぅ、と顎をユカリの細い指が伝う。顎から落ちる指は黒いチョーカーに触れた。

僕の行動を監視する、アイリスの首輪に。

「ちょっとタイム。如何わしい事はしてない、断じて。神に誓うよ。」

両手を上げて降伏した。これ以上は勘弁。

誓う神なんて存在していないけれど。

「もう…そこじゃないの。ツキが言ってた、ブチ切れた貴方って、おじ様でしょ?」

「バレたか。」

「バレたかじゃない。」

「あだっ…勘弁してくれ。」

白く細い指が額を弾いた。結構痛い。

「私の目の届かない場所で危ない事しないで、約束したでしょう?」

「危ない事じゃないから安心してくれ、あともうしないから。そういうのは全部アーク行きだ。」

「…本当に?」

「本当に。それこそ誓おうか?」

「誓う神も信じてない癖に。」

呆れたような、満足したような顔でユカリは膝から立ち上がった。思わずユカリの手を掴んだ。

「誓うよ、ユカリ。君自身に。僕自身に。」


「…ねえ、エース。」

「何?ユカリ。」

「……あいしてる、って、言って?」

「…あいしてる、ユカリ。」

「…うん、もういい。私も、あいしてる。」

諦めた様にユカリは眉を落とした。仕方がないわね、って、目が語ってる。きっと僕も同じ顔をしている。

交わる視線に、別れの挨拶を。


「そろそろアイリスが来る。もう帰った方がいい。こんな時間に、ってまた怒られる。」

「ええ、また明日。」

「…ユカリ。」

「なぁに、エース。」

「ちゃんと、御飯は食べてくれよ。…味覚が分からなくても。」


ユカリは何も言わず眉を落として微笑んだ。

片羽の蝶は満天の星空を背に、窓から降りていった。

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