少年の夜明け
真っ暗な中にロムは立っていた。前にも見た夢だと思った時、誰かに呼ばれた。
呼ばれた方を向いても何も見えない。でも迷わず一歩を踏み出した。
以前と同じなら、呼んだのはアイラスのはずだ。
歩き始めた足は走り出していた。
すぐに人影が見えてきた。彼女だ。もう見間違えるはずがない。
声の限りに叫んだ。
「アイラス……! アイラス!!」
原初の魔法使いと同じ姿の彼女が微笑んだ。
笑顔は前と同じように静かだった。
同じ表情に不安を感じて、走る足が止まった。状況は変わってないのだろうか。
そもそも彼女は本当にアイラスなのか。確認したわけじゃないし。
「アイラス……だよね? あの、俺……」
「ねえ、座ろうよ」
「……え?」
気付くと、周りが明るくなっていた。足元には草が生え、目の前には大きな川があった。
先に彼女が草の上に座り込んだ。真っ白な服が汚れてしまわないかな。
「ほら、ロムも座って」
先の問いかけは否定されず、名も呼ばれた。やっぱりアイラスなんだと安心して、促されるまま隣に並んで座った。
川の向こう岸を見ると、大きな街があった。見たことのない四角い縦長の建物が、いくつも立ち並んでいる。
「ここは、どこなの?」
「私の故郷だよ」
驚いて彼女の横顔を見た。笑顔は消え、少し寂しそうだった。
「……違う」
「え?」
「原初の魔法使いの、故郷だよ。アイラスは、違う……」
本当に、そうだろうか。言いながらも心の中で自問自答していた。埋め込まれた記憶でも、彼女にとっては真実だろう。
でも。それでも。二度と戻れない故郷を想って、寂しい顔をしてほしくなかった。
だから、嘘でもいいから断言したかった。
「アイラスは、クロンメルの近くの森で生まれて、クロンメルで育ったんだ。アイラスの故郷は、クロンメルだよ」
「そう……そう、だネ」
気付くと、彼女の姿が一回り小さくなっていた。背中まであった黒髪は肩までになり、白い服は保護区の支給服に変わり、顔はよく知るアイラスのそれになっていた。
「アイラス……?」
「ウン。私は、私だよネ……。ありがとう、ロム」
「う、うん……」
見つめてくる顔は幼いのに、表情は大人びていた。恥ずかしくなって前を向いた。
再び大きな街を眺め、少しだけ優越感を感じた。
「アイラスの記憶にある街、俺だけが見れたんだよね」
「目が覚めたら忘れちゃうヨ?」
「え、それ、どういう……?」
「この夢の出来事は、夢の中でないと思い出せないノ」
「えぇ……? それなら、なんで見せてくれたの?」
「見せたっていうか……思い浮かべたら映っちゃっただけで……」
アイラスは申し訳なさそうに笑ったけれど、ロムは落胆してうなだれた。
両膝の隙間から草を見下ろすと、水の中のように揺らいでいた。顔を上げると周囲の景色もぼやけていた。
夢から覚めるのだと気が付いた。まだ聞きたい事があるのに。
「アイラス! アイラスは、助かったんだよね!? ……これで、これでお別れじゃ、ないよね!?」
「忘れちゃうのに、それを聞くノ?」
「俺、絶対、覚えてる! この景色も忘れない……!」
「じゃあ、ロムが起きたら合図するヨ。覚えてたら教えてネ?」
「合図……?」
アイラスがロムの頬に人差し指を当ててきた。
「ここに、ちゅってするから」
以前もこんな約束をした。気がする。でも混乱して思い出せない。とにかく何度も首を縦に振った。振りながら、矛盾に気がついた。
「……あれ、待って? アイラスは忘れないの? ズルくない?」
「だって、私は……」
言葉は最後まで聞く事ができなかった。でも、そんな約束をするって事は。
——また会えるんだ。きっとそうだ。
そう思って、安心して目覚めに身を任せた。
ロムはベッドに寝ていた。窓から差し込む光が眩しくて寝返りを打ち、ハッと我に返って飛び起きた。
「アイラス……?」
「あっ、ハイ」
独り言のつもりだったのに背後から返事があって、驚いて振り返った。
アイラスがベッドのそばで、居心地が悪そうに椅子に座っていた。
「あ、あの、ロム……」
動いてる。喋ってる。——生きてる。
彼女の後ろの窓を見た。まだ日が高くないから朝だ。
昨夜の事を思い出した。
願いは聞き届けられた。
「ロム……? あの……」
「……どいよ」
「え」
「酷いよ、アイラス……」
アイラスが驚きで硬直するのがわかった。恥ずかしいと思いつつも、涙が止まらなかった。
「あ、あの、ごめん! ごめんネ、ロム! せっかく分霊の法、見つけてくれたのに、私、一人で先走っちゃって……!」
「それも、そうだけど……もし、見つかってなくても、運命が変えられなくても……自分で断ち切らないで……」
「でも、私……私が居たら……」
「世界がアイラスを否定しても……俺が大丈夫って、言うから……そんな世界……俺が、否定するから……」
息苦しくて喋りにくくなってきた。でも、これだけは伝えたい。
「だから、少しでも長く、そばに居させてよ……」
今度こそ、彼女は絶句した。ロムも言葉が詰まって出てこない。
下を向くと布団に涙の跡が付いていて、我ながら情けなかった。
アイラスは何も言わない。答えない。
怒っただろうか。言ってみれば、罪を犯せと要求しているようなものだ。それでも一緒に居たいというのは、随分とわがままだ。
沈黙が気まずくて後悔し始めた頃、彼女が立ち上がる気配を感じた。
反応が怖くて上げられないロムの顔に、頬に、柔らかい黒髪が触れた。
アイラスの手が、ロムの首の後ろに回されていた。
「ゴメン。本当に。ごめんなさい……ありがとう……」
「う、ん……」
この背中に、手を回していいんだろうか。抱きしめて、いいんだろうか。
迷っている間に、アイラスが身体を離してしまった。不甲斐ない自分に腹が立ち、バレないように小さくため息をついた。
その顔に、柔らかい手が添えられた。その頬に、もっと柔らかい唇が触れた。
「……え?」
「あ、あ、コレ、コレは……約束、だから……!」
「約束……?」
「ウン、えぇと……そう! もう暴走しないっていう、約束!」
暴走って。思わず吹き出した。
ふと、思い出した。以前も夜に同じ約束をして、起きた時に同じ事をされた。あの時は——
「アイラス! 俺、何か、忘れてる?」
今度はアイラスが吹き出した。意地悪く笑いながら、人差し指を唇に当てた。
「内緒」
「えぇ……?」
「それより、朝ご飯食べヨ? みんな、ロムが起きるのを待ってるんだから」
言いながらアイラスはベッドから立ち上がり、手をロムに差し出した。
その手を取りながら、もう二度と離すまいと心に誓っていた。
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