エピローグ

少年は走る

 9月に入ったけれど、今日は日差しが強い。眩しい太陽を一度見上げ、ロムは大きな袋を肩に担いだ。




「トール、急いで! 俺達が最後なんだよ!」


 中々足音が近付いてこないので、叱咤しつつ振り返った。同じ袋を不器用に抱えたトールが、よろめきながら歩いていた。


「ま、待ってくれ! どうも尻尾が無いと走りにくぅての……」

「まだ慣れないの? 俺、先に行くからね!」


 後ろから懇願する声が聞こえたが、無視して保護区の門から外へ走り出した。




 向かうは刀鍛冶の工房。お腹が大きくなっていた奥さん——つまりギルド受付のお姉さんが産気づいたらしい。


 彼女は保護区の出身で親族との縁は切れていて、おじさんも異邦人だから、二人はこの国に身寄りがない。

 そういった人達に人手が必要な時、保護区で年長の子供達が手伝う手筈になっていた。


 まだ11歳のアイラスも呼ばれていて、他の女児達と一緒に先に行ってしまった。ロム達は荷物を頼まれたので、少し遅れて向かっていた。






 世界から魔法が消えて半年。世界は思ったほど変わらなかった。


 意外なことに、魔法使い達の多くは魔法に頼った生活をしていなかった。本当に『いつか消えるかもしれない』という懸念と共に得た力だった。『神の子』達でさえも。




 トールは人として一生を終える道を選んでいた。ただ、彼には稼ぐための知識や技術が何も無く、保護区に入居してボヤきながら学業に励んでいる。


 虎の耳や尻尾は消してしまい、体毛は本来の白に戻したけれど、黒い縞模様は残っていた。それらは魔法では消せず、受け継がれては可哀想だから子は残さないし、生涯独身を通すと言っている。

 ただ、同じく人となったリンドは諦めてないようだけど。


 でも待って。確かコナーがリンドを見初めたような噂を聞いた。あの気位の高い彼が元使い魔をと思うと感心するけれど、彼女の想い人は別にいるわけで。そして想われている方は無頓着なわけで。


 三角関係? 修羅場の予感? 自分には無関係な事に思いを馳せながら、ロムは休まず走り続けた。






 息を切らせて工房に着くと、その前で刀鍛冶のおじさんが行ったり来たりしていた。


「どうしたんですか? 清潔な布、持ってきましたよ」

「中、入れない……」

「え」

「おー、来たか」


 入り口からレヴィが顔を出し、袋を雑に受け取った。


「ありがとな。もう帰ってもいいぞ」

「え? 他に手伝う事、ないの?」

「お産に男は立ち会えないだろうが。聞いてなかったか?」


 聞いてない。それで女児ばかり、小さい子まで呼ばれたのか。




 帰れと言われても、でかい図体で子犬のようにウロウロしているおじさんを放っておけない。

 とりあえず日向を歩き回る彼をなだめ、日陰に引っ張っていった。




 二人で並んで腰を下ろすと、目の前に小さな本が差し出された。いや、違う。手が大きくて本が小さく見えただけだ。


 質素な糸かがり綴じのそれはシンの物だ。彼は元々神道お抱えの刀工で、その本には神事が一通り記してある。その中に分霊の法もあった。




 術を探しに帝国まで行って、それがクロンメルにあると知った時は驚いた。でも、行かなければ知り得なかった。彼は出自を隠していたのだから。




 ロムが受け取らないので、本が手に押し付けられた。無理矢理に手渡され、不思議に思って顔を見上げた。


「あの、これ……?」

「やる……」

「いいんですか?」

「いい……元々、必要ない。……本当は、捨てるつもり、だった……」


 聞き捨てならない言葉に二度見した。危なかった。捨てられていたら、アイラスを助けられなかった。




「……何か、気になって、捨てられなかった……。お前達のため……だったのだろう……」




 そんな事あるわけないと思いつつ、そうかもしれないと思った。今度アイラスと一緒に見よう。分霊の箇所以外、あまり見ていなかったから。




「ありがとうござ……」


 お礼の言葉を遮るように、工房の奥から獣のような声が響いてきた。おじさんがビクッと震えて立ち上がり、なだめて再び座らせた。




「……今朝から、ずっと、痛がってる……」


 という事は、あれは間違いなくお姉さんの声で、もう四半日以上その状態が続いているのか。

 お産を目の当たりにするのは初めてだけど、想像よりずっと過酷に思えた。




「そうですか……お産は命懸けって聞きますからね……」

「命……懸け……」


 失言だった。横を見上げると、熊のような彼がウサギのように怯えていた。


「だ、大丈夫ですよ! 大半は問題なく終わるそうですから!」

「大……半……」

「あー……違う、違います! 絶っ対、大丈夫です! 病気知らずで身体も丈夫だし!」




「賑やかだね」


 余裕のある声に振り返ると、騎士団長のグリフィスが立っていた。慌てて立ち上がって挨拶をした。


「お久しぶりです」

「何故そんなところに座っていたのかな?」

「中に入れませんので……」


 答えた瞬間、また叫び声が聞こえた。彼から余裕の笑みが消え、少し厳しい顔になった。




「なるほど……」

「何かご用ですか?」

「宝剣の打ち合わせに来たのだが……日を改めた方が良さそうだね」

「……宝剣? おじさんが刀以外の鍛治を?」

「奥方殿がしばらく働けないし、金も入り用だから、他も請け負うと聞いて依頼していたのだよ」


 刀鍛冶は申し訳なさそうに頭を下げたけれど、グリフィスは満足そうに頷いていた。


「こちらで頼めるとは、ガウェイン様は運が良くていらっしゃる」

「え、じゃあ、先生の剣ですか?」


 思わず以前のように呼んでしまい、苦笑された。もうホークではなくガウェインで、先生ではなく皇子なのに。


「そう。正式な復縁に新しい宝剣が必要なのでね。だが、その呼び方は……」

「はい……失礼しました」

「今、そのように呼ばれるのは君の方だろう? しかも、随分と評判が良いと聞く」


 それをここで言わないで欲しい。刀鍛冶が目を丸くして見つめてきた。

 あまり知られたくなかったから、心の中で舌打ちをした。詳しく話したくもないから、軽く説明をした。


「音楽の先生が辞めたから、臨時で教えてるだけですよ」

「臨時? あの管理人は、そのまま正規雇用する気のようだが」

「そんなの聞いてないです。知りません」

「でも、アイラス嬢は承諾したそうじゃないか」

「アイラスが? 何をですか?」

「知らないのかい? もう一つ、ガウェイン様が請け負われていた美術教師だよ。もちろん、もう少し大きくなってからだけど」

「え、でも、そっちはレヴィが……」

「本当に何も聞いてないのだね。彼女はアーク様と……いや、アドル様と言った方が良いか」

「レヴィとアドル? まさか……」

「そう。お二人はご婚約なされた。教師を続けられるのは、アドル様が成人されるまでの間だ」




 自分の知らないところで色んな話が進んでいた。

 アイラスだってレヴィだって、ほぼ毎日会っているのに。一言も教えてくれないなんて酷い。




「なんじゃお主は? 見た顔じゃの……」


 ようやく到着したトールが、挨拶も無く失礼な言葉をぶつけてきた。グリフィスも困ったように笑った。


「王立騎士団のグリフィスです。トール様にはお叱りを受けた事がありますね」

「ああ、あやつか……」


 一瞬、空気が張り詰めた気がした。もしかして険悪なシーンだけ思い出したんじゃないだろうか。和解した後のことも思い出してよと、嫌な汗が流れた。




 フォローする言葉が見つからず、とりあえず話を逸らそうと思って、二人の間に割って入った。


「お、遅かったね。ずっと歩いて来たの?」

「この荷、中は清い布であろう? 急いで落として、汚れでもしたら本末転倒じゃからの」


 確かにそうなんだけど。苦笑しながら袋を受け取り、入り口から中に声をかけた。かけたけれど、顔を出した人物に開いた口が塞がらなかった。




「……何? 布?」

「な……んで、ザラムが中に居るの……!? 男は入れないんじゃ……」

「見えない、から?」

「えぇ……?」




 盲目だからいいということは、特別な決まりがあるわけではなく、単に妊婦が見られたくないだけなのか。

 それにしたってズルい。いや、見たいわけじゃなくて。中にはアイラスが居るのに。




「あと、通訳」




 彼の背後で、長い黒髪を後ろで三つ編みにした少女が通り過ぎた。

 かつて雪山で氷漬けになっていた彼女も、分かたれた魂を込められて息を吹き返していた。


 確かに彼女は共通語が上手く話せないけど、アイラスとは同じ故郷の言葉で話せたはずだ。だから、ザラムが一緒に居たいだけではと邪推した。


 でも彼は、ケチを付けるより早く奥に引っ込んでしまった。




 肩を落としてトール達のところへ戻っていると、グリフィスが声をかけてきた。


「ここで君に会えて良かった。話があるのだが、少しいいだろうか?」


 日陰に座る二人の顔を伺うと、早く行けとばかりに手を払われた。

 何だかよくわからないけど、グリフィスに頷いて見せた。


「ありがとう。少し歩こうか」


 先に立って街道に向かって歩き始めたので、慌てて後を追いかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る