少年の思惑は外れた
「終わったの?」
魔具を腰に差しながら、アイラスに声をかけた。
彼女は答えず、スケッチブックの紙をめくっていた。そこも記号で埋め尽くされ、少しずつ補うように炭を細かく走らせていった。
書く度に微かな光が弾け、火花のように煌めいていた。シンの小さな手持ち花火を思い出した。
ソウルイーターを倒した後の処理について、詳しくは聞いていない。聞いても意味がわからないし、出来る事も多分ない。
レヴィは無言で待っている。それに習って、アイラスの仕事が終わるのをじっと待った。
長いこと動かしていた手を止め、アイラスは小さなため息をついた。安堵しているようだった。上げた顔は、晴れやかだった。
そして、嬉しそうに呟いた。
「……見つけた」
見つけた? 何を? まさか、自分に合う魂を?
そう思ったけれど、口からは別の言葉が出てきた。
「トールの魂?」
「あ。それはもう戻してるヨ。ほら」
驚いて、彼女が指差す先を見た。レヴィの隣にトールが立っていた。すでに人の形を成している。
ほっとしたけれど、下を向いた彼は浮かない表情だった。
「トール、どうしたの?」
呼びかけたけれど、返事はない。アイラスとは対照的に、この世の終わりのような顔だった。
再び口を開こうとした時、レヴィが遮るように手を上げた。
「アイラス、何を見つけたんだ?」
問い詰めるような響きに驚いた。アイラスは返事をしなかったが、目は真っ直ぐ向けてきていた。
いや違う。レヴィと視線が合っていない。彼女は後ろのトールを見ていた。その目は優しげで、哀しげだった。
「わしの……名付け親の、魂じゃ……」
そのトールから返事があった。絞り出すような声だった。
「……囚われていた、か? ソウルイーターに?」
「そのようじゃ……。アイラス、お主……知っておったのか……?」
「ううん。可能性を、考えてただけ」
アイラスが困ったように笑った。
とっさに、予定が狂ったと思った。それは、アイラス自身を引き止める彼女の目的であり、達成できないと高を括っていたのだから。
でもトールにとっては、望みが叶ったことになる。薄情な自分を嫌悪しつつ、疑問にも思った。
どうして彼は暗い顔なんだろう。
自分の望みは差し置いて、アイラスの心配をしているのか。
トールならあり得るけれど、それにしたって少しくらい喜んでもよさそうなのに。
「よくもそんな、残酷な可能性を思いついたな。結果としては当たりだったがな……」
吐き捨てるように、レヴィが言う意味もわからなかった。アイラスは答えないし、トールも黙り込んだままだった。
だから聞いてみた。聞いてもいいのかと悩みながら。
「……何が、残酷なの?」
レヴィが大きなため息をついた。機嫌が酷く悪い。どう説明すべきか悩んでいるようにも見えた。
魔法の本分なら聞いてもわからない。余計な口を挟んだと後悔した。
「囚われていたってぇのはつまり、そいつが地縛霊だったって事だ」
まだ意味がわからないロムに、彼女は言葉を続けた。
「現世に未練があったのさ。想いによって地に縛られ、アールヴヘイムに行けず、転生できなかったわけだ」
「それで、ソウルイーターに喰われた?」
ようやく、彼の絶望の意味が理解できた。ロムですら、信じたくない内容だった。
「で、でも……一度くらいは、転生した可能性だって、あるんじゃない?」
アイラスの手がスケッチブックをめくった。再び炭を滑らせると、青白い光が飛び出して円を描き、彼女のかたわらに老婆の姿が浮かび上がった。
背中が曲がり、酷く小さく見えた。
ニーナのように長い杖を持ち、年老いた魔法使いに見えた。
とんがり帽子を深くかぶり、口元しか見えない。
その口が絶えず動いていた。声は聞こえないが、トールの名が含まれている事だけは判った。
それだけで、状況を理解するには十分だった。
アイラスが予め魔法を用意していたという事は、本当にこの事態を予測していたんだと驚いた。
「トールの望みは何だっけな?」
その問いの答えは、何度か本人から聞いたことがある。忘れるわけがない。口に出す意味は無いと思いつつも、呟くように言った。
「名付け親の、魂が……幸せか、確認する、事……」
「……なぜじゃ!?」
トールが叫んだ。
「何が未練だったのじゃ!? 普通に……老衰で、亡くなっただけじゃぞ!? 痛みも、苦しみも、わしが取り除いた!」
声は涙を含んでいた。
叫びながら彼は、がくりと膝をついた。
「自由に生き……生涯、楽しそうで……未練なぞ、何も……何も、なかったはずじゃ……!」
「未練は、トール」
「トールだヨ」
流れる涙もそのままに、トールが顔を上げた。胸が締め付けられるように痛んだ。
「後悔してたんだヨ。トールに『真の名』を授けた事を。トールに永遠の命を与え、自分は先に居なくなる。それを、ずっと悔いてた。トールが心配で、魂が現世に縛られてたんだネ」
「わしは……わしは……!」
「それだけ、愛されてたんだネ」
嗚咽の声が大きくなった。かける言葉は見つからなかった。
アイラスが立ち上がり、ゆっくりトールに近づいた。
しゃがみ込み、何も言わず彼の背中をさすった。
今までで一番、その背中が小さく見えた。
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