少年は心構えをした

 ロムは皮袋から余計な物を取り出し、狼煙と打竹だけを中に入れ、レヴィに手渡した。

 彼女は中を確認し、呟いた。




「一つだけか……」

「狼煙? まだあるよ。予備も入れとく?」

「いや、あいつを逃した時にも知らせたい。上手く誘導できても、アイラスが壁に干渉を始めたら、気づいて駆けつけようとするだろう」

「……足止めしようっての?」

「あんま期待すんなよ。やれるだけやってみるさ」

「う、うん……無理しないでね」


 言いながら革袋を受け取り、残りの狼煙も中に入れた。






「これで大丈夫かな……? もし抜けがあったら、教えて欲しいんだけど……」

「まあ良いだろう。一つだけ言っておく」

「何?」

「縄張りの中に入ったら、お前は絶対に音を立てるな。喋るな。そうすれば、あいつには俺かアイラスしかわからない。詠唱中のアイラスは動けない。動かない的に向かう動きは、読みやすいだろ?」

「わかった……」




 アイラスに襲いかかる傀儡を想像して、背筋が凍る思いがした。

 飛べる相手を、いくらレヴィでも長時間の足止めは厳しいと思う。その手を逃れて向かってきたら、ものの数分で到達されるだろう。レヴィよりも先に、奴の方が。


 詠唱を始めて傀儡の動きが止まるまで、最大十五分程度かかるわけで。奴の速度を考えると、どうしたって自分だけで対処する時間が発生する。

 動けない彼女を、一人で守らなければならない。




 ——役割を交代する?




 囮なら自分でもできる。アイラスを守るにも、レヴィの方が確実だ。


 いや、ダメだ。二手に分かれるならば、彼女を連れて行く役は自分の方が向いている。レヴィは桁外れに強いけれど、隠密行動には長けていない。


 じゃあ全員で一緒に、最初から傀儡をしのぎながら移動する?

 それも良い案とは思えない。攻撃に晒されながらの移動は、アイラスに負担が大き過ぎる。




 それにレヴィは、これで良いと言った。さっきの助言だって、単独で対峙する可能性を考えての事だろう。

 自分で自分の事は信じられないけれど、レヴィは信じてくれている。






 アイラスの準備が終わる頃には、ロムとレヴィの支度も済んでいた。

 と言っても、レヴィは剣と狼煙一式以外は持っていない。

 対してロムは、腰紐に二本の短刀と魔具を挿して、トールをマントで包んで胸にくくりつけている。赤子を抱いているような気分だった。




「その状態でアイラスを背負うのか? 結構な重装備だな」

「大丈夫だよ。二人共軽いし」

「急がなくていいぞ。物音を立てない方が重要だからな」

「うん、気をつける」

「お、そうだ」


 レヴィが自分のうなじに両手を当てながら、アイラスに歩み寄った。ネックレスのようなものを外している。先に白い宝石が付いていた。




「お守りだ。持ってろ」

「エッ、ダメだヨ! こんな高そうなの……レヴィのでしょ?」

「違う。これはお前のものだ。お前を助けるための……。だから、持ってろ」


 半信半疑のアイラスを無視して、レヴィは彼女の首にネックレスをかけた。その言い方で、ロムには何なのかわかっていた。




 魂の容れ物。本来の目的だ。


 ソウルイーターなんて、アイラスを救うための糧でしかない。

 最終的に彼女がどんな未来を選ぶかわからない。それでも、選ぶ自由くらいは与えてあげたかった。


 どっちにしろ、こんなところで足踏みしているわけにはいかないんだ。






「よぉーし、そろそろ行くか」


 レヴィが指をポキポキと鳴らした。恐ろし……いや、頼もしい。絶対に敵には回したくない。

 彼女の事は、人としては好きだし尊敬しているけれど、異性という目では全く見れないと思う。アドルは一体、彼女のどこに惚れたのか。いや彼は、元々は絵の方から入ったのだったか。




「レヴィ、あんまりそれしない方がいいヨ。指の関節が太くなっちゃう」

「はぁ? どうでもいいだろ、そんな事」

「よくないヨ。レヴィはスタイル良いし、肌も綺麗で、美人なんだから。無駄に醜くしないで」


 レヴィの舌打ちを聞いて、ロムはアイラスに加勢した。美しいという点は、確かに同意できるのだから。


「アイラスの言う通りだよ。アドルをガッカリさせたくないでしょ?」

「べっ……別に、関係ねーし……」

「いいからもう、早く行って。……気をつけてね」

「おう、お前らもな」


 背中越しに手を振りながら、レヴィが縄張りに向かって歩き始めた。






 レヴィが見えなくなってから、アイラスを振り返った。いくつか伝えておきたいことがあった。


「狼煙が上がったら俺達も行くけど、声は出さないでね。何か伝えたいことがあったら、口だけ動かして。俺は唇が読めるから」


 アイラスは少し考える仕草をして、口をパクパクと動かした。それは、こんな感じ? という形に動いていた。


「そうそう、その調子。壁の前に着いたら、トールと魔具はアイラスの側に降ろすよ。どうせ君は動けないし、みんなまとめて守るから」


 守るという言葉を使って、急に自信が無くなった。守れない自信じゃない。彼女に信じてもらう自信だった。




「……ねえ、アイラス」


 何? という形に唇が動いた。思わず吹き出した。


「今はまだ、普通に話していいよ」

「あっ、うん。……何?」


 真っ直ぐに見つめられて、たじろいだ。妙に喉が乾く。唾を飲み込んで、ゆっくり口を開いた。




「あの、俺を……信じてくれる?」


 彼女の目が、少し見開かれた。その意味がわからなくて、不安はますます強くなった。目をそらしたかったが、それもできなかった。


 その目は、すぐに優しく細められた。




「信じてるヨ」


 穏やかな笑顔で、嘘をついているようには見えなかった。


「あ、ありがとう……」

「壁を破る術がわかって、詠唱を始めたら、私は目を閉じてるネ」

「え、でも……」

「傀儡を見たら、焦って間違えちゃいそうだから」

「そっか……わかった。絶対守るから、心配しないで」

「うん」






 高い音が響き、次いで上空で弾けるような音がした。今は日が高くて光は見えないけれど、狼煙の音で間違いなかった。




「よし。行こう!」




 アイラスに強く声をかけた。もう不安は無かった。

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