少年は常世に赴いた

 遠くにそれらしき洞窟が見えてきた頃、少女は肩で息をしていた。無理して速いペースで歩くからだ。すっかり歩みは遅くなっていた。




「かわる」

「え? 何?」


 標準語なので、ザラムの言葉はまた短くなっていた。意味がわからない。


「トール、背負う。ロム、あの子」

「え? なんで? そんな事しなくても、ザラムが……」

「いちいち、イライラ、面倒」




 バレてた。顔が熱くなった。言葉を無くして立ち尽くしていると、ザラムが背中に回った。トールのわきを抱え、有無を言わせず引きずり降ろされた。


 ザラムは自身の荷物とトールを背負い、スタスタと歩いて行った。少女の顔も見ずに追い越したので、彼女は不安そうにロムを振り返った。


 顔が上気していて、息が荒い。そんなになるまで、トールのために頑張っている。そう思うと、放ってはおけなかった。




 彼女の前に行き、背中を見せてしゃがんだ。


「な、何?」

「疲れたんでしょ?」

「だ、大丈夫……頑張るから」

「急がなきゃ、ダメなんだよね? 頑張っても、速くは歩けないでしょ? いいから、乗って!」


 少し強めに言うと、おずおずと手を伸ばしてきた。


「ちゃんと捕まっててね」

「う、うん……」


 耳元で返事が聞こえた。首筋に熱い息が当たった。背中が熱かった。


 自分は一体、何を考えているんだろう。赤くなった顔を上げて、前を見た。遠く離れてしまったザラムに追いつくため、早足で歩き始めた。






 洞窟の入り口に着いた。この先にトールの魂がある。……はず。大した確証も無しに、ここまできた。

 今更ながら不安になっていると、背中の少女が身じろぎした。


「下ろして」

「大丈夫?」

「うん……」


 地面に立った少女は、ロムをちらりと見た。なんだか恥ずかしそうにしている。ロムも、どんな顔をしていいかわからなかった。


「あ、あの……ありがとう……」

「いや……どう、いたしまして……」


 ザラムが大袈裟に、ため息をついた。


「何だよ」

「いいから、行く」

「わかってるよ」


 精一杯ザラムを睨みつけたけれど、彼は無視して少女に話しかけた。


「お前、行った事、ある?」

「無い……でも、知ってる……」


 少女は遠くを見るような目をした。全てを知っているようで、何も知らないような目だった。


「行こう。トールの魂を取り戻しに……」


 初めて少女が、名前を呼んだ。やっぱり知っているんだ。彼女はトールの何なんだろう。

 もうすぐトールが起きるはずだ。彼には言いたい事と聞きたい事が、山ほどあった。






 また少女が先頭になり、洞窟に入った。

 中は霧がたちこめていて、自分達の他は何も見えなかった。地面や壁すら見えない。おかしい。足元までの距離が見えないのに、それより離れた少女の後ろ姿は見える。霧に入ったのではなく、自分達の周りを霧が包んでいるようだった。


 そんな中、少女は淀みなく歩いていた。そんなに速く歩いて大丈夫だろうか。転んだりしないだろうか。疲れたりしないだろうか。


 彼女が心配で、追いつこうと足を早めた時、霧の向こうに木の影が見えた。




 いや違う。霧が晴れた。






 周囲は深い森だった。

 木々の影から、複数の視線を感じる。クスクスと笑うような声も。


「大丈夫。フェアリー達だヨ」

「君は……」


 一体何者なの? そう聞く前に、少女は足早に進んでいった。

 進む先には、巨大な木があった。その根元に白い大きな虎が寝そべっていた。




「トール……!」




 慌てて駆け寄ると、白虎が目を開けた。大きな身体を揺らして立ち上がり、威嚇するように牙を剥いた。


「俺が、わからないの?」

「魂、記憶、無い」

「どうすれば、その魂が身体に戻ってくれるの?」




 途方に暮れて、再び白虎を見た。後ずさったロムを追っては来ない。背中に何かを庇っているように思えた。

 しゃがんで覗き込むと、大きな葉が見えた。葉に沈み込むように、長い黒髪の女性が眠っていた。




「遅かったね。間に合わないかと思ったよ」


 不意に声をかけられ、振り向いた。ケヴィンに似た、頭に狼のような耳が生えた少年が立っていた。


 周りには、いつのまにか多くの者が集まっていて、ロム達を取り囲んでいた。エルフのように耳の尖った者、頭に角の生えた者。使い魔のような者達ばかりだった。




「さあ、彼を連れて行ってくれ」


 ケヴィンに似た少年が、黒髪の少女に語りかけた。彼女は頷き、白虎の前に進み出た。

 危ないと言いかけたロムを、少年が止めた。大丈夫という事だろうか。




 白虎は甘えるように、頭を少女にすり寄せた。そして葉に横たわる女性を見た。その後、ようやくロムを見た。


 ゆっくり気だるそうに、白虎は歩き始めた。のそのそとロムの方へ、いや、その背後のザラム、彼が背負うトールの方へ、歩みを進めた。進む度に姿が薄くなった。半透明な状態でロムをすり抜け、ザラムと重なるように完全に消え去った。




「戻った」


 ザラムが呟き、ロムは急いで駆け寄った。眠ったままのトールは、規則的な呼吸をしていた。首に触れると、力強い脈が伝わってきた。今までの、消え入りそうなそれではなかった。

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