少年は気持ちがわからない
旅は特に問題なく進んだ。盗賊に何度か絡まれたが、ザラムと二人で対処できた。遠くから弓を射っただけで退散した一団も居た。
最後の馬宿で、馬車を預ける事にした。山の麓までは近いし、洞窟に馬車は入れない。外に残して行くと馬が危ない。
「戻りの予定がわからない? そんなんだと困るんだよなぁ……」
馬宿の主人に渋られた。当然の意見だけれど、アールヴヘイムでは時の流れが違うらしい。適当な日数を言うわけにもいかなかった。
「ザラムが前に行った時は、入ってから出てくるまでどれくらいかかったの?」
「向こうに滞在した時間はわからない。一日も経ってなかったと思うが……。でも、出た時は一ヶ月以上過ぎていた」
「じゃあ一ヶ月って事にしよう」
「いいのか?」
「ニーナに手紙を出しておこう。一ヶ月後までに戻って来なかったら、馬車を取りに来てもらうように」
決めた話を主人に話したが、それでも疑いの眼差しで見られた。子供の言う事なのだから、ある意味仕方ない。
「お金は一ヶ月分、前払いします。もしかしたら、クロンメルのニーナから使いが来るかもしれません。その場合、きちんと確認してから馬車を引き渡して下さい」
「へえ? ニーナ様から? そういう事ならしっかり預かっておくよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ニーナの名声のおかげで助かった。
主人に手紙を託し、もう一度お礼を言って馬宿を出た。
銀の山は、周囲の他の山より標高が高く、山頂付近が真夏でも白く雪が残っている。そのせいで、そう呼ばれているらしい。
今は真冬なので、中腹くらいまで真っ白なのだけど。
山が近づくと舗装された道が無くなり、足元が悪くなった。目が見えないザラムには、軽い少女を背負ってもらった。
自分で言い出した事なのだけど、少女を背負うザラムを見ると、なんだかモヤモヤした気持ちになった。
黒髪の彼には、黒髪の少女がとても良く似合う。二人共、肌が透けるように白い。二人共、白い肌に漆黒の髪が美しく映えている。
それが、なんとなく面白くない。
なぜそう感じるのか、ロムには理解できない。不快な気持ちの正体がわからないまま、先に立って歩き始めた。せめて、二人を視界に入れたくなかった。
「ロム、待て」
「何?」
不機嫌な気持ちのまま、冷たく言い放ってしまった。後悔して言い直した。
「どうしたの?」
「魔法が戻った」
「え?」
「言霊の記憶が戻ってきた」
「な、なんで、突然?」
「わからない」
「街の方も、そうなのかな……」
「それと……こいつの脈が正常になった。トールはどうだ?」
「え?」
立て続けに想定外の事が起きて、ロムは理解が追いつかない。とにかく今はトールだ。
しかし、背中から伝わってくる鼓動は、弱いままだった。呼吸もほとんど感じない。体温だけは感じるので、命が消えたわけではない。
「トールは、変わらないよ……。その子は、目を覚ましそう?」
「わからない……」
呟きながら、ザラムがしゃがみこんだ。背中から少女を下ろし、仰向けに腕に抱えた。瞬間的にイラッとして、思い直して頭を横に振った。
ザラムが少女の頰を軽く叩いた。声をかけて揺さぶると、目を閉じたまま眉を寄せた。
「戻ったな」
「よかった……!」
少女が薄く目を開け、ロムを見た。その目も漆黒だった。ザラムと全く同じ。なぜそんな細かい事が気になるんだろう。そう思いながら、彼女に話しかけた。
「大丈夫? 君、一週間以上も眠ったままだったんだよ」
少女はあわてて身体を起こそうとして、体勢を崩した。倒れかけた彼女をザラムが支え、漆黒の目が同じ色の目を見上げた。
イライラする気持ちを抑えて、努めて優しく話しかけた。
「急に動いたらだめだよ、落ち着いて。大丈夫?」
だが少女は、ぽかんとした顔で見つめてきた。
「ロム、言葉」
ザラムに言われ、あっと思った。ずっとシンの言葉で話していた。彼女がどこの出身だか知らないけれど、あんな小さな島の、しかも三年近く前に滅んだ国の言葉なんて、知っている方が珍しい。改めて、標準語で話しかけた。
「ごめん、大丈夫?」
「な……んで? 私、なんで……あっ!」
少女はザラムの腕を振りほどき、フラフラしながらロムの背中に回った。
「どうして、まだ、連れて行ってないノ? 間に合わなく、なっちゃう……!」
「連れて行くって、どこへ?」
その答えは想像がついていた。だけど、あえて聞いてみた。少女は口元を抑え、しまったという顔をした。
「君が、俺に教えてくれたんだね。アールヴヘイムに連れて行く事を……」
「その話は、後! 急いで!」
少女は誤魔化すように、先に立って歩き始めた。彼女には、行き先がわかっているようだった。
「ザラム、俺の荷物も持ってくれる?」
「わかった」
背中のトールを背負い直し、少し軽くなった身体で少女の後を追いかけた。
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