少年は嫌になった
「…………えっ!?」
あまりの内容に、ロムは近づくより速く飛び退いた。ヘラは物欲しそうな顔で見つめてきて、背筋がぞっとした。
「ザラムは払ったぞよ? そしてわらわは、魂を移し替える術を教えたのじゃ」
「教えたのはそれだけかしら?」
「そうじゃ。他にも聞かれたが、あやつが支払える対価では足りんかったでの」
「……他というのは『知識の子』を探す方法ね?」
「然り」
「私も聞かれたわ。言葉を少し濁して、特定の魂を探す方法と言っていたけれど」
もしザラムに支払える対価があったなら。もしくは、ニーナがそれを知っていて教えていたなら。もっと早くアイラスは特定され、連れ去られていたんだろうか。
――信じていたのに。
ザラムの控え目な笑顔が脳裏に浮かび、頭を振ってそれをかき消した。
『神の子』を捜している誰かは、ザラムで間違いなかった。目的は『知識の子』の魂を得るため。
誰も彼を手助けしていないし、利用してもいない。彼自身が企み、実行してきた。あの呪われた刀も、何もしないゴーレムも。
――オレには、ロムの友達になる資格はない。
そう言った彼の顔が、また浮かんできた。今度はロムは、それを消さなかった。
アイラスの言葉も思い出した。
――もしザラムが妖刀に関係してたなら、きっと、傷ついている。
彼は妖刀の事で、罪悪感を感じていた。そう信じたかった。
アイラスが妖刀にとりつかれた時、ザラムは彼女が『知識の子』だと知らなかった。知らなくても必死になって、本気で彼女を助けようとした。
一度だけ仕方ないと言ったのは、諦めたからじゃない。自分が本当の力を使えば、助けられると思ったからじゃないのか。そう、信じたかった。
自分達が知るザラムは、そういうやつだ。不器用な優しさと、壊れそうな純粋さを持っている。最初からずっと、それは変わっていない。
それなのに今、彼はアイラスをさらい、その魂を奪おうとしている。
ロムは何を信じればいいのか、わからなくなっていた。
「どうするかの? 払うのか? 払わぬのか? どちらにせよ、捜すなら急いだほうがいいぞよ? ザラムにとって、恋焦がれた姫がその手に戻るのじゃからな。すぐにでも魂を移し替えるであろうて」
それは間違いない。迷っている暇はなかった。死ぬほど嫌だけど仕方がない。経験がないわけじゃないから、そういう時の心の殺し方なら心得ている。
「わかっ……た……支払う……」
「ロム!?」
トールがロムの両肩を掴んで叫んだ。
「ダメじゃ……おぬしは母に……! それなら、わしが代わりに……」
「いや、それは無理だって。あの人、使い魔が嫌いっぽいし。いいよ、俺が……」
「いかん……止めよ! また心が壊れるぞ!」
母にされていた事を思い出し、吐き気がした。それでも、大丈夫だと思い込もうとした。アイラスを失うより怖い事はないんだと、自分を鼓舞した。
「わらわはどちらでもよいぞ?」
楽しそうにヘラが笑う。こちらに選択肢がないという事を理解している。殺したいほど憎かったが、そういうわけにもいかなかった。殺すなら情報を聞き出した後だ。
「支払う。……だから、アイラスとザラムの居場所を……」
「待って、ロム。僕が払うよ」
ロムとトールを押しのけて、アドルが前に出た。ほう、とヘラがかすかに笑った。
「な、何言ってんの!?」
「多分ロムより、僕の方が耐性があるから」
「ダ、ダメだよ! そういう問題じゃないよ! アドルは自分の立場、わかってんの!?」
一国の皇子がそんな事しちゃいけない。そういう意味でロムは必死で止めた。
でもアドルは、ロムの言葉を無視してヘラに話しかけた。
「どうですか? 年齢的には大丈夫だと思いますが」
「まあ……悪くはないが……わらわは、ロムとやらの方が好みじゃのう……」
「えー、傷つくなぁ」
全然傷ついてない顔でアドルは笑った。彼の本心が見えなくて、ロムは戸惑った。
「ぬしは……アドルじゃったか。聞いた事もない名じゃのう」
「有名ならいいんですか? アドルは偽名です。僕の本当の名は、アーク・マクライアン」
ホークがはっとなって何か言いかけたが、アドルがそれを手で制した。
ヘラの顔には、みだらな笑みが浮かんでいた。
「ほう……」
「満足して頂けますか?」
「良いじゃろう」
「ダメだ! アドル、アドルはそんな事しちゃいけない!」
アドルが振り返り、今までロムに見せた事のないような、優しい微笑みを浮かべた。
「それは僕が決める事だよ。僕はロムに傷ついて欲しくないし、アイラスも死なせたくない。それに……」
「それに?」
「……ザラムと話したい。ザラムの行先を知りたいのは、僕自身なんだ」
反論できないロムを置いて、アドルはレヴィの前に行った。彼女は酷くうろたえていた。
レヴィは、アドルの気持ちを知った上で拒絶していた。でも嫌うことができないのは、誰の目にも明らかだった。
「レヴィ、ごめんね。でも、あなた以外との行為なんて、ただの作業だから。僕の気持ちは変わらないから、心配しないで」
「そ、そんな心配はしてねえよ……」
「それとも、汚れた僕は嫌?」
「……そんな事は、絶対にねえ」
「うん、ありがとう。じゃ、ちょっと行って来るよ」
その、ちょっと散歩してくる的な軽さはなんなんだ。ロムは、アドルのしたたかさに半ば呆れた。
アドルはヘラに連れられて、館に向かって歩き始めた。
「ぬしらもそんな寒いところではなく、館の中で待ったらどうじゃ?」
「いらぬ世話じゃ。寒さを防ぐ術ならある。それよりさっさと済ませよ」
トールはイラついた口調で言った。ニーナとホーク、レヴィも同じように不機嫌だった。それでも、誰も止めようとはしなかった。
それしか方法が無い事はわかっている。頭でわかっていても、気持ちがついていかなかった。
ロムは自分に腹が立って仕方がなかった。汚されるアドルを止められない自分が、死ぬほど情けなかった。
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