少年は話し込んだ

 廊下に出ると、執事のジョージが立っていた。


「あちらですよ。あなたの方が適任でしょう。行ってあげて下さい」


 彼が示す先にザラムの後ろ姿が見えて、礼を言って追いかけた。


 自分とレヴィに気づかれずに部屋を出るなんて、彼は隠密能力も高いんだろうか。そんなところまで似なくてもいいのにと思う。

 でもコナーと執事は気づいていた。執事はともかく、コナーにわかって自分にわからなかったのは、何となくしゃくにさわった。グリフィスや斥候部隊の隊長が言っていたように、彼の能力はそれほど低くないのかもしれない。




 ザラムは、ベランダの前の段差を手で触れて確かめていた。ベランダに出るつもりのようだ。

 誰かと接触する気? ふと嫌な考えが浮かんで、打ち消すように頭を横に振った。


 ロムがそこにたどり着いた時には、ザラムはベランダの手すりに寄りかかって、遠くを見ているようだった。


「ザラム……」


 その背中に声をかけた。彼は返事をせず、振り返りもしなかった。


「一人になっちゃだめだよ」

「平気だ」

「ザラムは、白い悪魔を殺せないでしょ? だからニーナは、ザラムを護衛と認めなかったんだよ」


 それでも彼は振り返らなかった。顔を見せたくないんだろうか。いや、目が見えないのだから、顔を見せるという概念も無いかもしれない。


「どうしたの? 何かあった?」


 極力優しく話しかけながら、ロムもベランダに出た。横顔をうかがうと、少し辛そうに見えた。


「オレ……」


 ぽつりと言った。


「友達、違う……」

「なんで? 物見塔のおじさんには、俺の事を友達って言ってたんでしょ?」

「それは……」


 言いにくそうに、口ごもった。何か言いかけて止めてを、二度繰り返した。


「言い方がわからないなら、シンの言葉でもいいよ。今は二人だけなんだから」


 ザラムが少しだけ顔を上げた。そして、二人にとって懐かしい言葉で話し始めた。




「オレには、ロムの友達になる資格はない……」


 アイラスの言った、妖刀に関わっていたらザラムは傷ついているという言葉が思い出された。

 ニーナの予測が当たっているかどうかは別にしても、彼には何か言えない過去があるのかもしれない。

 だから、物見塔のおじさんが友達という言葉を出した時、嫌がっていたんだろうか。だから、アドルとの会話で友達の話題になった時、居たたまれなくなって部屋を出て行ったんだろうか。




「友達になるのに、資格なんて必要かな。一緒に居て、お互い楽しくて、嬉しかったら、友達でいいと思うんだけど」


 ああ、でも。自分もそうだったと思い出した。


「俺も、前は今のザラムと同じように考えてたよ。たくさんの人を殺して、自分の母さんも殺した俺は……俺みたいなのは、誰ともかかわっちゃいけないって思ってたんだ。アイラスとトールに会う前はね」

「どうやって、あの二人と友達になったんだ?」

「成り行きで、面倒を見なきゃいけなくなって。そうしたら、あの二人がすごく……寄ってくるんだ。俺が近づきたくなくても、二人がどんどん近づいて来て……気づいたら、友達になってた」


 ザラムが外を向いたまま微笑んだ。その横顔は、いつもの大人っぽい笑顔だった。でも今は、不快に感じなかった。


「ロムにとっての二人は、オレにとってのロムだな」

「どういう事?」

「オレにそのつもりがなくても、勝手に近づいてくる」

「ザラムは、俺に近づきたくないの?」


 答えは返ってこなかった。ロムは重ねて聞いた。


「俺とは、友達になりたくない?」


 また、答えは返ってこなかった。今度はロムは、何も聞かずに待った。しばらくの沈黙の後、ザラムは力なく話し始めた。




「そんな事、ない。友達になれたらいいなと思って……。だから、物見塔の人にも友達って説明した。まさかあんなところでバレるとは、思わなかったけど……」


 ザラムがまた、何かを言いかけて止めた。今は使い慣れた言葉で話しているのだから、言い方がわからないとかではないはずだ。言いにくい事を告白しようとしているのだと思う。


 それは、自分が聞いてしまってもいいんだろうか。彼にとって言いにくい事、言うのが辛い事なんじゃないだろうか。

 だとしたら、それは聞きたくない。今のロムにとって、彼の罪はどうでもよくなっていた。




「あのね。俺さ、最初は昔の事……シンの事を、アイラス達に内緒にしてたんだ。知られたら、嫌われてしまうかと思って、怖くて……」


 そこで言葉を切って反応を待ったが、相槌すらなかった。それでも耳は傾けてくれている。なんとなくそんな気がした。だから続きを話した。


「二人はね、俺に何かあるって気づいても、何も聞いてこなかったんだ。言えるようになったら教えてくれればいいって。言えないなら、そのまま秘密にしておけばいいって」


 ここでザラムは初めてロムの方を向いた。視線は合わない。合うはずがない。顔は、ロムの胸の辺りを向いていた。心を見ようとしているように思えた。


 心を開けば、彼は安心するんだろうか。だったら少しでも伝わるように、心を込めて言った。


「ザラムも、言いにくいなら、今はまだ言う時じゃないんだよ。言えるようになった時に言えばいいんだ。言えないなら、ずっと言わなくてもいいんだよ」


 ザラムの表情は変わらなかった。変わらない表情のまま、涙が一筋流れた。


「……今、言わない事が、許されるなら……」

「だから、そう言ってるじゃん」


 彼は手の甲で涙をぬぐい、小さなため息をついた。


「……まだ、言えないけど……言えるようになったら、言うから……」

「うん、それでいいよ」




 遠くからロムの名を呼ぶ声が聞こえた。アドルの声だった。食事の用意ができたと叫んでいる。


「晩ご飯だって。行こう」


 ザラムは笑って頷いた。その笑顔にいつものような大人っぽさはなく、無邪気な子供のようだった。

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