少女は原因を知った

「白い裂け目だよ」


 おじさんはぶっきらぼうに答えた。

 その答えを聞いて、ロムの表情が変わった。口元に手を当てて何か考え込んでいる。心当たりでもあるんだろうか。


 ニーナはそれに気づいていないのか、おじさんを見たまま怪訝な顔をした。


「白い裂け目……?」

「そうとしか言いようがないな。空間に亀裂が入ったような……。裂け目の向こうは真っ白で何も見えなかった。それに触れると……いや、近づいたら、吸い込まれた感じだった」

「吸い込まれたら、姿が変わったのかしら?」

「多分、そうだと思う。そこからは、自分では自分の身体を動かせなくなっていた」

「……その裂け目はどこに?」

「まだあるかねえ……こっちだ」


 おじさんは塔の反対側に歩いて行った。全員、後に続いた。


「無い……と思う」


 歩きながらザラムが、独り言のようにつぶやいていた。




「ザラムの言う通りだな。無くなっている。この辺りにあったんだがな」


 おじさんが、空中で手をひらひらさせた。そこは、アイラスの目線よりやや低い高さだった。


「最初はザラムが見つけたんだよ。……いや、見つけたはおかしいか。こいつは目が見えねえもんな」

「妙な、気配、感じた。助け、呼ぶような……」


「俺は何か……嫌な予感がしてな。近づくんじゃねえって止めたんだよ。その時、わずかに俺がその裂け目に近づいた。距離は、そうだな……これくらいか」


 おじさんが両手を広げて、肩幅の倍くらいの長さを示した。


「そうしたら、なんていうかな……身体ごとひっぱられるような感覚があってな。後は、さっき言った通りだ」


 危ういと、アイラスは思った。それくらいの距離なら、誰だって不用意に近づいてしまいそうに思えた。例えば、裂け目の中をのぞこうと少し近づいたなら、それだけで捕らわれてしまいそうに思う。


「ザラムはそれを見て……いえ、感じていたわけよね? 思い出させて悪いのだけど、どんな感覚だったか教えてもらえる?」

「こいつ、気配、消えた。……死んだ、みたいに」


 ザラムはおじさんの方を向いて言った。おじさんは苦笑したが、ザラムはその時の感覚を思い出したのか、あまりいい顔はしていなかった。




「妙な気配、というのはどうなったの? その……裂け目が発していた、助けを呼ぶような気配は?」

「強くなった。助け、呼ばなくなった。喜んでた」

「それが悪魔の気配だったの? それが、昼間の工房や、シンにたくさん出たものと同じ気配だったのね?」


 ザラムは無言で頷いた。ニーナも無言になった。しばらく、誰も何も話さなかった。


 その沈黙の中、アイラスは考えていた。

 裂け目が助けを求めるって、どういう事なんだろう。そして誰かを捕まえたら喜ぶって、どういう事なんだろう。

 白い悪魔が魔法使いを好んで食べるのは、なぜなんだろう。求めているのは魔力なんだろうか。だとしたら、魔法使いのおじさんを捕まえたから、喜んだんだろうか。


 一体なぜ、魔力を求めるんだろう。今はいくら考えても、答えは何も浮かばなかった。




「『人狼』の里に……」


 ロムが、ぽつりとつぶやいた。


「その白い裂け目が湧いた、と思う……。俺は、見てないんだけど……」

「見ていないのに、どうしてそう思ったの? もうちょっと詳しく話してくれないかしら?」


 彼は頷いて、話し始めた。




 シンが滅んだ日、ロムは仲間の狼煙を見ていち早く逃げ出していた。

 普段から逃げ出したい思いが強く、仲間意識も希薄だったので、一人でも逃げようとしたらしい。途中で会った『神の子』にも背中を押された。


 だが港に通ずる道で、母に見つかった。母は取り乱して「里に、白い裂け目が」と言っていたそうだ。駆け寄ってきた母の手がロムに届く前に、その胸に刀を突き立てた。

 自分を信じて疑わず、無防備に近寄ってきた彼女を殺す事は、容易かったようだ。




「こんな事なら、すぐ殺さずに、話を聞いておけばよかったね」


 うっすら笑いながら言ったロムの目には、何の感情もこもっていなかった。アイラスは少し、ほんの少しだけ背筋が寒くなった。他のみんなも同じように感じたらしく、驚いた顔でロムを見つめた。


 ただ、ザラムだけは表情を変えず、ロムの方も向かなかった。




 注目する視線に気づいたのか、彼の顔に感情が戻った。恥ずかしそうに、うつむいた。


「ご、ごめん……」

「いえ……でもこれで、一つ謎が解けたわ。魔法使いではなく、白い悪魔にも負けはしない『人狼』が、なぜ全滅したのかと思っていたの。彼ら自身が、白い悪魔に変わっていたのね……」




「とにかく、わかったわ。色々と情報ありがとう。これで多少の対策は立てられそうよ。……みんな、帰りましょう」

「待って。おじさんに転移補助具を渡して行ってよ。明日この街の魔法使い全員に渡す予定だったんでしょ? おじさんには、明日じゃなくて今でいいんじゃない?」


 ニーナは少し悲しそうに笑った。おじさんも苦笑していた。


「いいえロム。その必要はないわ」

「なんで? 持って来てないの?」

「そうではなくて……彼にはもう、ほとんど危険はない……もう渡す必要がないのよ」


 しょうがねえな、とおじさんが諦めたようにつぶやいた。




「俺はもう、魔法使いじゃないんだよ。俺の中から、魔力も、言霊の知識も、消えてしまった」

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