少女は少年を心配した

 翌朝、早くに目が覚めて窓から中庭を見ても、毎朝鍛錬をしているはずのロムの姿がなかった。昨日まではやっていたのに。今日は体調でも悪いんだろうか。

 それならまだ寝ているのかなと思って、急いで着替えて部屋のドアに近づいた。


 ノブをひねった瞬間、ドアが勢いよく開いて、アイラスはおでこをしこたまぶつけた。


「いったァ……何?」


 額を押さえながらうずくまると、足元にロムが仰向けに転がっていた。彼も床に頭をぶつけたようで、押さえている。アイラスに気づいて、恥ずかしそうに起き上がった。


「あ……おはよう……」

「おはよう。こんなとこで、何してたノ?」

「え、えっと……寝つけなくて……」

「夜からずっと、ここに座ってたノ?」

「う、うん……ごめん……」

「いいケド……あまり寝られてないんじゃないノ?」

「少しは、寝たと思う……」

「今日は工房に行くけど、ロムは寝てた方がいいんじゃない? ザラムに一緒に行ってもらえるか頼んでみるから」

「……いや、行く」

「大丈夫?」

「向こうに着いたら、寝る……」


 心配で顔をうかがうと、目にくまができている。いや、違う。赤くはれている。泣いてたんだろうか。

 朝食の時、彼はずっとあくびをしていた。




 支度をしたロムを見ると、いつもの短刀を持っていなかった。代わりに隊長とやらの形見の弓を背負っている。


「今日は刀じゃないノ?」

「うん……」


 弓で大丈夫なんだろうか。

 アイラス達は子供で保護区の服を着ているから、金銭目的で絡まれる事は滅多にないのだけど、強姦目的で襲われた事はある。ロムも標的になった事があるのだから恐ろしい。

 弓だと狭い路地では不利で、怪我をしないか心配だった。


「昨日、ちゃんと返してもらった? もしかして無くなったノ? それとも、どこか壊れちゃった?」


 昨日の帰り道、全然ロムを見ていなかったので、帯刀していたかどうか覚えていなかった。


 もしロムの短刀に何か問題が起きたのなら、買うにしても直すにしても、お金はアイラスが工面すべきだと思う。

 ロムは何度も守ってくれているし、アイラスが送り迎えを頼んているせいで全然ギルドの依頼も受けていない。護衛代を払うと言ったのだけど、断られていた。

 アドルからリンドを譲り受けて食費が必要になり、やっとその分だけはアイラスが出させてもらっていた。

 それだけなのだから、彼の貯金は減っていく一方のはずだ。


 数日のうちに武術大会の賞金が届くだろうけど、そのお金でザラムの刀を買う約束になっていたと思う。賞金がいくらなのか、刀がいくらするのか。アイラスは全く知らないので、ロムの短刀に使えるお金が残るのかどうか、定かではない。


「大丈夫だよ。部屋にちゃんとあるし、壊れてもない」

「……エッ? じゃあ、なんで?」

「うん……えぇと……少し、怖くなって……」

「エッ?」


 さらに追及しようとしたアイラスに、トールから止めるような意識が届いた。意味がわからない。わからないけれど、それ以上聞けなくなった。




 怖いって、何が怖いんだろう。街道を歩きながら考えた。

 刀が怖いんだろうか。あの呪いの刀は確かに怖かった。二度と触れたくないと思う。


 ——触れたくない。


 そう考えた瞬間、トールから肯定の意が伝わってきた。自分の思いが漏れていた事が恥ずかしく、彼は気づいたのに自分は気づけなかった事が情けなくなった。




 アイラスの心配をよそに、何事もなく工房に着いた。

 最近は叙勲式や何やらで、ロムの顔とその強さはそこそこ有名になっていた。そのせいか、襲われる事もほとんどなかった。昨日は武術大会で優勝もしたのだから、さらに名声はとどろいているだろう。

 このまま平穏に日々過ぎて行けばいいのになと思った。




「なんで今日は弓なんだ?」


 当然のようにレヴィも疑問をぶつけてきた。ロムが返答に困っている。


「そ、それよりレヴィ、あの刀はどうなったノ?」

「ニーナに任せたから知らねえが、大丈夫だろ。……ロム、ちょっと来い。アイラスはちゃんと作業してろよ」


 話題をそらそうとしたのに失敗した。ロムはアイラスをちらりと見て、不安そうにレヴィと一緒に工房の外に出た。

 二人は入口のすぐ外に立って話しているが、声が小さくて聞こえない。ロムのように読唇術が使えるわけでもないから、何を話しているかさっぱりわからない。ロムがあくびをして、レヴィが呆れている事だけはわかった。


「そんなに気に病むでない。レヴィに任せておけば問題なかろう」


 そう言われても、心配なものは心配だ。

 依頼された絵は、地塗り下塗りと素描が終わっていたが、アイラスの手は全然動かなかった。




「進んでねえじゃねえか」


 案の定、戻ってきたレヴィに注意された。


「ゴメン……」

「まあ、俺に謝られても仕方ねえんだけどな。……ロム、お前はベッドで寝てろ」

「あ、うん……」


 返事をしたが、ロムは寝室に行くのをためらっている。アイラスも、彼の様子がわからなくなるのは不安だった。


「あの……ロムに、見えるところに居て欲しいんだけど……」

「えっ? お、俺もアイラスの近くがいい。ここで寝ちゃだめ?」

「しょうがねえなぁ……」


 レヴィが床に布を敷き、そこにクッションを並べ、寝室から毛布を持ってきた。簡単な寝床が出来上がった。


「あんまり寝心地よくねえぞ?」

「十分だよ。ありがとう」

「ああ、寝る前にリンド……だっけ? あいつからアドルに言伝を頼んでもらっていいか?」

「いいよ。何て?」 


 人の姿になっていたリンドに、トールが変化の魔法をかける。小鳥になった彼女がロムの肩にとまった。


「この工房に来るよう伝えてくれ。いつ来れるか返事が欲しい。できればお供は連れずに来てほしいがな……そこは無理なら仕方ねえ」

「わかった。何の用事か、聞いても大丈夫?」


 レヴィは顔をそむけ、返事はすぐに返ってこなかった。少しの沈黙の後、振り返って言った。




「別に大したことじゃねえ。お前らにも一緒に話す事だしな。俺が一体何なのかって話だよ」

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