少女は城に行った
道中、アイラスはずっと考え込んでいた。
絵を頼まれたのは一週間以上前。まだ下絵にすら入っていない。構図が決まらなかった。何も進まないまま時間だけが過ぎていた。
描いてやってもいいと上から目線で考えていた自分が恥ずかしい。あの時は描けると思っていた。でも今は、どうして受けてしまったんだろうと後悔していた。
レヴィの工房に着いても、アイラスはすぐ中に入れなかった。足が鉛のように重い。
ロムが振り返って手を差し伸べてきた。
「大丈夫だよ。俺も一緒に言うから」
その一言が死ぬほど嬉しく、死ぬほど恥ずかしかった。自分自身が情けなくて仕方がなかった。
「ゴメン……ありがとウ。……私、ちゃんと、自分で言うヨ。でも、手を握っててほしイ」
「わかった」
ロムの手は暖かくて少し固い。鍛えている手だ。この手に何度助けられたんだろう。今も心が落ち着いてきた。
二人は手を繋いで工房に入っていった。
「そんなの簡単じゃねえか」
アイラスが相談すると、レヴィは開口一番に言った。若干呆れたような感じの物言いだった。
「気持ちがこもってないから良い絵にならねえんだよ。どんなに技術があっても、心が無い絵はつまんねえからな。ましてや、お前は技術もまだまだだ。それでもお前の絵が良いと言ったあいつの言葉を思い出せよ」
そうだ。あの騎士は、今のレヴィと同じ事を言っていた。なんで忘れていたんだろう。
「なぜロムの絵が他よりよく売れるんだ? お前の気持ちがこもってるからだろ? なぜ今、心がこめられないんだ? 原因はなんだ?」
「私が……この人を、知らないカラ……」
「そういうこった。ここで何日こもったって何も思いつかねえぜ。行き詰まったら立ち上がれ。座ったままでいても良い絵は描けねえ」
アイラスは跳ねるように立ち上がった。行かなければ。
「私、お城に行って来ル!」
「ロム、お前も付いて行ってやれよ」
「うん」
お城の門番に名前を言って、取り次いでもらおうとしたけれど、疑いの目で見られた。そういえば、こちらから連絡を取ろうとしたのは初めてだった。まさかこんなところで足止めを食うとは思わなかった。
「お願いしまス! 会わせて下さイ!」
「保護区の子供が騎士団長に何の用なんだ?」
「だから、絵を頼まれたカラ」
「子供に絵を……? そんな訳あるか」
「アイラス、ちょっと待って」
ロムが胸元からネックレスを取り出した。
「先日受勲を受けたばかりの自由騎士のロムです。騎士団長に取り次いで下さい」
門番は疑わしそうな顔をしたが、ネックレスを見て目の色が変わった。少々お待ち下さいと言って、すぐに下がっていった。
「何とかなりそうだね。騎士証を持ってきてて良かったよ」
「ありがとウ。ロムには、助けてもらってばかりだネ」
そう言うと、ロムは驚いた顔で見つめてきた。そうして、くすくすと笑った。
「変なの。俺も同じ事思ってたよ。いつもアイラスには助けてもらってばかりだって」
「えぇ……そんな事、無いヨ! ロムの方が、助けてくれるヨ!」
「アイラスの方が多いと思うけどなぁ……」
お互い譲らない問答をしていたら、門番が戻ってきて、以前と同じ豪華な応接間に通された。騎士はすでに部屋の中で待っていた。
「今日はどうしたのかね?」
「俺じゃなくて、用事があるのはアイラスです。門番が通してくれませんでしたよ。絵が完成するまでは、すんなり入れるようにしてもらえませんか?」
「あ~……すまない。君の方から用があるとは思わず、話を通していなかった。……申し訳ないのだけど、今後もロムが一緒に来てくれるかい?」
「なぜですか? ……公にしたくないんですか?」
「うん……まあ、そうなんだ。なんせ娼婦の絵だからね」
ロムは不満そうな顔で黙り込んでしまった。アイラスも申し訳ない気持ちになった。
「ごめんネ……」
「アイラスが悪いんじゃないよ」
「そうじゃなくて。今後も、付き合わせるコトに…」
「そんなの平気だよ。気にしないで」
「すまないね……それで、用とは何だい?」
アイラスは深呼吸をして、顔を上げた。真剣な眼差しで、騎士を見つめた。
「絵の、女のヒトのコト、教えて欲しいノ」
「描くのに必要なのかい?」
「絶対、必要なノ。私が知らないと、絵に心がこめられナイ。何でもいいノ。あの人が好きだった事、一緒に過ごした話。何でもいいカラ、教えて欲しいノ」
騎士は返事をしなかった。長い沈黙に、アイラスは心配になってきた。
「あの、ダメ? 辛いコト、思い出させル?」
「そんな事ないよ。涙はもう枯れてしまったからね。少し長くなるけど、いいかい?」
「平気。……あ、ロム、大丈夫?」
「俺も平気だよ。……トールが少し心配だけど。工房に行っても俺達が居なくてびっくりするだろうね」
可笑しそうに笑うので、アイラスは少しほっとした。
「じゃあ、お願いしまス」
「わかった。お茶とお菓子を用意させよう」
騎士はメイドを呼びつけた。見覚えのある人がやってきて、アイラスに片目をつぶって見せた。絵を買ってくれる常連さんだ。この前は、騎士の制服を着たロムの絵を買っていってくれた。アイラスもペコリと頭を下げた。
三人はテーブルにつき、アイラスはスケッチブックと炭の入った袋を取り出した。話を聞いて何かイメージが湧いたら、すぐ描きとめようと思っていた。
「どこから話すかな……」
騎士は、少し照れ臭そうに話し始めた。
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