少女は計画を立てた
「弟子の事だがな……」
レヴィは少し声を落とし、言いにくそうに話し始めた。
「俺はお前の師匠にはふさわしくない。画家への道が遠ざかるぞ」
「どういう意味じゃ?」
「ちょっと画商と揉めてな……俺の絵は扱ってもらえなくなっている。その俺の弟子ともなれば、同じ目に合う可能性が高い」
アイラスは首を横に振り、ニーナらしき絵にそっと近づいた。
そんな事、ずっとは続かない。
この絵が世間に認められないわけがない。誰かの目に触れさえすれば、絶対にその価値は知れ渡る。この絵には技術も、技術以上のものもある。
——やっぱり私、この人に師事したい。
ちょっと性格に難がありそうだけど、それはちょっと置いておこう。
長い沈黙を破って、トールが話し始めた。
「アイラスはまだ幼い。画家になる事を考えるのは、もう少し先で良い」
そう言ってレヴィの反応を待っていたが、何も答えなかった。レヴィの顔は目の下まで髪で隠れていて、表情がよくわからなかった。
「今日は朝から色んな工房を見て回ったのじゃが、アイラスがここまで入れ込んだ画家は他におらなんだ」
そこでまた言葉を切った。話すのが得意ではないトールは、考えながら話しているようだった。
「わしにはようわからんがの、お主の絵にはアイラスを惹き付ける何かがあるようじゃ。頼む。こやつを弟子として迎え入れてはくれぬか」
そう言ってトールは頭を下げた。アイラスも慌てて下げた。
「俺からも、お願いします」
ロムまで頭を下げた。アイラスは嬉しくて、申し訳なくて、でもやっぱり嬉しくて、泣きそうになった。
「しょうがねえなぁ……」
アイラスは顔を上げた。ロムとトールと顔を見合わせた。二人共嬉しそうだ。自分も嬉しいが、二人が喜んでくれる事の方がもっと嬉しい。
「だが俺は弟子なんぞ取った事はねえ。教え方なんかわからねえぞ」
「イイ! アリガトウ!」
「あと顔料も少ない。自分で使う分は自分で用意してくれよ」
「何ですか? それ」
「絵具の材料だよ。鉱石とか植物とか、色々だな。それを砕いたり潰したりして、油と混ぜて絵具になる。油はあるが、顔料が足りねぇ」
面倒くせえなぁ、と呟きながら、レヴィは頭をかいた。
「わからなかったら、ホークにでも聞いてくれ。保護区に居るだろ?」
「先生を知ってるんですか?」
「まあ、同期だしな」
「先生が書いてくれたおすすめ工房の一覧に、あなたの所も入ってましたよ」
「んにゃろぉ……」
レヴィはホークを恨んだようだったが、アイラスはとても感謝していた。
「で、いつから来るんだ?」
「明日!」
「待って待って、明日は読み書きの授業があるから……」
「別に無理して毎日来る必要はないからな?」
「ちょっと相談するから、あなたは黙ってて下さい」
ふてくされたレヴィを放っておいて、三人はひざを突き合わせ、今後について相談した。
「美術の授業はどうする? ここに来れたら、無理に出る必要はないと思うけど……」
「ホーク自身も、教える事は無いと言うておったしな」
「当面は、読み書きの授業だけでいいかな。ある程度覚えたら、他の基礎教育も受けるようにしよう。そうなったら、ここに来れる日が減っちゃうけど、そこは仕方ない」
アイラスは、ホークの授業風景を思い出していた。自由に描けて、他の子の絵も見られて、結構楽しかったように思う。アイラスに話しかけてくれる子も、居なくはなかった。あの場にもう行かないとなると、それはそれで寂しい気がする。
「美術、授業、受ケタイ」
「えっ、でも……」
言いよどむロムを遮って、レヴィが口を出してきた。
「なぜ行きたいんだ? お前よりレベルの低い奴しか居ねえだろ」
そういう問題じゃない。アイラスは首を横に振った。
「楽シイ」
「友達でも居んのか?」
「ワカラナイ。話ス子、居ル」
「ふ~ん……ま、それなら受ければいいんじゃねーの」
ロムとトールが、少し納得できない顔をしていたので、レヴィは向き直って言った。
「舌足らずなこいつにわざわざ話しかけてくる奴は、こいつの絵か、こいつ自身を好意的に思っている奴だ。そういう奴は味方になる。大事にしたほうがいい」
「アイラスに来てほしくなくて、そう言ってるわけじゃないですよね?」
「そこまでセコくねーよ!」
ロムはなんだかレヴィに手厳しい。もしかしたら彼も、トールを傷付けられた事を根に持っているんだろうか。だとしたら少し嬉しい。アイラスにも、少なからずそういう気持ちがあるのだから。
「俺だってそうなんだよ。画商に紹介してくれたのはホークだ。……まあ潰しちまったけどな。路頭に迷った時に、ここを無償で貸してくれたのも、同じ保護区出身の奴だ」
そこまで説明されて、ようやくロムは納得したようだった。レヴィは面倒くさそうな顔をしていた。
「で? 明日はどうすんだ?」
「明日は、お昼くらいに来ます。……それでいいよね? 明日は美術はなくて、午前に読み書きがあるから……」
ロムがアイラスに確認してきた。アイラスが頷くのを見て、話を続けた。
「明後日以降の事は、まだわかりません。時間割を、俺もはっきり覚えてないから。そっちの予定はどうですか?」
「何日も先まで予定組んでるわけねえだろ。まあ、もし出かけるような事があったら、前日には言うようにするさ」
そういうわけで、今日のところは帰る事にした。
明日は何を持ってくればいいんだろう。と言っても、スケッチブックと炭くらいしかないのだけど。弟子は最初、雑用をするのかな? 雑用って何だろう。掃除? この工房は掃除のしがいがありそうだ。それとも絵具作り?
初めての経験で分からない事だらけで、楽しみでもあり不安でもあった。保護区に帰り着くまで、地に足がついていないような、ふわふわした気分だった。
その夜ロムの部屋で、ホークを含めた四人で今日の事を話した。ホークは訪ねてきたわけではなく、夕食の時に捕まえて来てもらった。
「レヴィのところに弟子入りしたのかい?」
ホークはしたり顔で微笑んだ。
「なんじゃ、予想しておったのか?」
「そういうわけではないよ。なんとなく、そうなるかなとは思っていたけどね」
「住所が変わってたから、会うのがちょっと大変でした」
「住所が? なぜ?」
「以前の所は、家賃滞納で追い出されたそうじゃ」
ついでに、レヴィが画商とトラブルを起こした事、レヴィの絵を取り扱ってくれなくなった事、今は春画を売って細々暮らしている事を説明した。
「なるほど……そういう事か。ちょっと手を打っておくよ」
「何とかなるんですか?」
「確証はできないから、本人には言わないでくれたまえ。無駄に期待させると悪いからね。まあ、やれるだけはやってみるよ」
美術講師だけあって、コネでもあるんだろうか。でもこれで、レヴィの環境が少しでも改善すればいいなと思った。
次に顔料の事も聞いてみた。
「顔料に限らず勉強のための画材なら、保護区の研修費用で買う事ができるよ。国は今、芸術に力を入れているからね。補助金も多いんだよ。才能を示す必要があるけど、アイラスなら大丈夫だろう。この前描き溜めていた絵を提出すればいい」
それから、ホークの授業も受け続ける事を伝えた。ホークは少し驚いていたが、そうか、と微笑んだだけだった。
ホークは帰る間際に言った。
「君達は、まるで家族みたいだね」
その言葉で、アイラスはロムとトールを見た。トールはお父さんみたいで、ロムは弟みたいな気がする。いや、年上でしっかりしたロムを弟なんて言ったら悪い。悪いけれど何だかそんな気がする。
「保護区に入る者は、みな家族が居ない。その中で、家族のように大切な人を見つける事ができたのは幸運だよ。今後もお互いを大切にしたまえ」
トールは少し照れくさそうにしていた。でもロムは。
無表情だった。
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