少女は工房にたどり着いた

「レヴィ・クロンメル……」


 ロムの帰りを待つ間、トールが工房一覧を見ながら呟いた。

 えっと思って顔を上げた。ホークと同じ、姓が街の名前。それは、保護区を真っ当に出た者の証だった。


「保護区出身の画家とは、あやつの事じゃったか……」


 これは使えるかもしれないと考えた。

 熱意は見せた。絵も見せた。それでも断られた。アイラスにはもう切るカードが無かったが、保護区の事を聞いた時に、レヴィの表情が変わったような気がした。同情でもいいから、弟子にして貰えないだろうかと考えていた。


 ちょうどその時、ロムが戻ってきた。


「わかったか」


 トールの問いに、ロムは少し得意そうに頷いた。


「荷物持ってるせいかな、遅かったからすぐ追いつけたよ。多分、尾行も気づかれてない。行こう」


 ロムの案内で工房に向かった。少し小走りになった。アイラスは背が低い分、足が遅い。絵を入れた袋も持っていたので、置いて行かれないよう頑張らなければならなかった。

 途中でロムが振り返って気づいて、アイラスのところまで引き返してきた。


「ごめん、持つよ」


 アイラスは、大丈夫と言いかけて止めた。


「アリガトウ」


 絵の袋を渡してそう言うと、彼は少し嬉しそうだった。アイラスも嬉しくなった。


「あやつ、保護区出身だったぞ」


 トールはそういいながら、工房一覧をロムに渡した。


「本当だ……気づかなかった。同じ出身のよしみで弟子にしてくれないかな?」


 ロムはアイラスの考えと同じ事を言った。だが、トールは首を横に振った。


「どうじゃろうな……あやつ、真っ直ぐな感じがするからのう。正攻法の方がいいと、わしは思う」


 その言葉に、アイラスは再び考え込んでしまった。




 目的の場所に着いた。工房と呼ぶにはお粗末な、小さな納屋のような建物だった。でも、入口の横に干した筆や画材が並べられていて、そこに画家が住んでいる事は明らかだった。


「コンニチハ……」


 恐る恐る声をかけた。返事はない。開け放たれた入口から中を覗いた。

 天窓から光が差していた。その光の中心にイーゼルがあり、キャンバスが立てかけられていた。日焼けしないのかな、いや、乾かしているのかも。アイラスはそう考えながら中に入り、絵が見える角度に移動した。


 美しい、白い衣の女性が描かれていた。光に透ける白い髪、薄桃のような、薄灰のような不思議な目の色。アルビノの特徴。よく似た人を、アイラスは一度だけ見た事がある。街の魔法使い、ニーナだ。


「なんでお前らがここに居んだよ……」


 背後から、ため息交じりの声がした。アイラスからは姿が見えない。外に出ると、ロムとトールの視線の先に、水の入ったバケツを持ったレヴィが立っていた。


「オ願イシマス!」


 アイラスは、また頭を下げた。レヴィはすぐには答えなかった。ゆっくり三人の脇を通り過ぎて、工房の中に入った。


「……お前の熱意はわかった。実力も認める。だがな」


 そう言って、レヴィはバケツをむき出しの地面に置いた。そのまま左手で、油絵に使う金属のパテを取った。ロムがはっとして刀の柄を握った。どうしたんだろうと顔を向けると、絵の入った袋が乾いた音を立てて地面に落ちた。


 風を切る音と、金属がぶつかり合う音がした。


 レヴィがパテを振り下ろしていて、ロムがそれを刀で受け止めていた。


「へえ……?」


 レヴィが楽しそうに、口の端を上げた。

 ロムの背後に居たトールのフードに、斜めの切れ目が入り、はらりと肩に落ちた。トールの頭がむき出しになり、獣の耳があらわになった。頬に切り傷が出来て、つうと血が流れた。


「あいつは使い魔だな? 俺は隠し事をされるのが嫌いでね。魔法使いは、お前とあの娘のどっちなんだ?」


 ロムは答えず、刀をひねった。パテのわずかなくびれに刃をひっかけて、レヴィの手からそれを弾き飛ばした。そのまま追撃したが、かすりもしなかった。


 ロムはレヴィから目を逸らさず、トールの側まで下がった。


「大丈夫?」

「ああ、薄皮一枚切れただけじゃ。問題ない」


 レヴィはゆっくりと二人に、いやロムに向かって歩いていった。丸腰なのに威圧感が半端ない。ロムは攻撃しあぐねているようだった。


 アイラスは自分の血が沸騰するのを感じていた。

 レヴィにつかつかと歩み寄った。ロムの止める声が、酷く遠くに聞こえた。手を振り上げたが、レヴィの頬を狙ったその手は、たやすく掴まれた。そのまま後ろ手に回され、動けなくなった。痛みで声が漏れた。


 だが、レヴィはすぐ手を放して後ろに飛び退いた。彼女の居た位置に、ロムの刀が振り下ろされていた。急に支えを失って倒れかけたが、ロムが抱きとめてくれた。


「二人共やめよ! わしは大丈夫じゃ!」


 同時に同じ意味の思念が届いた。それでも心は静まらなかった。


 ——トールを、傷つけた……許せない。


「アイラス、落ち着け。こんな傷、すぐ治せる。わしらの方にも落ち度があった。とにかく落ち着け。おぬしの師になるかもしれぬ奴じゃぞ」


 だとしても、いきなり斬りつけてくるのは酷い。謝罪がなければ、弟子なんてこっちから願い下げだと思っていた。


「すまぬ。隠すつもりはなかった。この姿で街中を歩くと、色々と面倒でな」


 アイラスはイラッとした。なぜトールが謝るのか。前もそうだった。トールは自分の価値を低く見積もり過ぎている。


「アイラス、認識票を出すのじゃ」


 言われて、しぶしぶポケットから認識票を出して、レヴィに示した。


「ニーナの認識票か……」


 いつの間にか、レヴィからは威圧感は消えていた。


「まあ俺も悪かったわ。怪我させるつもりはなかったんだがな。想定外の事で手元が狂った」

「俺のせいですか?」


 ロムは刀を鞘に納めつつ、心外だとでもいうように言った。アイラスが預けていた袋を拾い、中の絵を確認して安心したような顔をした。ロムの警戒も解けているようだった。


「散々子供扱いしてたくせに……大人気ないんじゃないですか?」

「魔法使いに大人も子供もねえだろうが」

「ていうかその切り裂いた服、俺のですからね。俺も保護区に住んでるけど、それは支給品じゃなくて俺が買ったやつです。ちゃんと弁償して下さい」

「そこかよ!?」

「あなたも保護区出身なら、あそこでお金を貯めるのがどれだけ大変か知ってるでしょ? 自分だけが貧しいと思わないで下さい」


 レヴィは反論できず、ため息をついた。


「現物支給でいいか……?」




「しかしロムと互角とはすごいのう」


 トールは感心しながら、頬の傷を魔法で癒していた。


「互角じゃないよ。この人右利きなのに、左手を使ってた」


 ロムは少し悔しそうに言った。右利きだなんて、どこでわかったんだろう。少なくとも、アイラスにはわからなかった。


「利き腕に何かあったら、絵が描けなくなるだろうが!」


 レヴィは、何か色々詰まった箱を漁りながら答えた。


「ほら、これでいいか?」


 薄汚れたマントをロムに渡した。渡されたロムは、露骨に嫌そうな顔をした。


「きったな……」

「このクソガキ……」


 場の空気が変わっていた。自分以外の三人から怒りは感じない。自分だけが固執しているように思った。トールが怒らないのはアイラスのためだ。


 ――それなのに私は……。


 アイラスは短気な自分を反省した。

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