少年は心を決めた
保護区に帰って来ると、アイラスも授業を終えて戻って来ていた。何故かトールと一緒にロムの部屋で待っていた。
「どうじゃった?」
「うん、まあ、とりあえず方針は決まったよ。俺、ランク上げようと思う」
「では今後はギルドに通うようになるんかの」
「そんなには行かないよ。急いでも仕方ないし。アイラスの手伝いもあるしね」
「その事じゃが、アイラスは今後、音楽の授業は受けぬそうじゃ」
「えっ、そうなの?」
だとしたら自分はどうしよう。アイラスに付き合って音楽の授業を受けてきたけど、この先続けるかどうか。ロムは、ホークの言った癒しや浄化という言葉が気になっていた。
「じゃあ、これからは俺一人かぁ……」
その言葉に、アイラスとトールは顔を見合わせ、少し微笑んだようだった。
「アイラスは今後、読み書きの授業を受けるの? 他はまだ早いかな?」
そう問われて、アイラスは紙を取り出した。見覚えのある顔が、炭で描いてあった。素人目に見ても上手い。右目に被るように傷痕がある。
「これ、俺……?」
アイラスはにっこり笑って頷いた。どこで描いたんだろう。アイラスの部屋には、紙も炭もなかったはずだ。
「もしかして美術の授業にも行ったの?」
アイラスは再び頷いた。美術の講師もホークだ。それなら念話も通じるし、それほど心配ではない。
「ランクを上げるには、討伐依頼とやらをこなさねばならんのじゃろう? どうするのじゃ?」
「う~ん……」
方法は三通りある。
一人行くか。
トールと行くか。その場合アイラスはどうするか。
ホークに頼むか。
他に頼めるような人は居ない。今まで何でも一人でやってきたことが仇になっていた。
討伐任務に一人で行く事は、少し自信がない。敵わない自信ではない。殺す自信だ。その必要に直面した時、迷ったりしないだろうか。
誰かが目の前で危機に陥っているなら迷いなく殺せるだろう。でもそうじゃないなら。自分に命を奪う資格があるのか。理由なく殺すのは嫌だ。漠然とそんな迷いと嫌悪感がある。その思いが土壇場で足を引っ張らないだろうか。
「……一人で行くのは自信ない。トールか先生がついてきてくれたらなって思う」
「先生とは、ホークとかいうやつかの?」
「うん」
「あやつは好かぬ。わしがついていきたいところじゃが……」
「アイラスだよね」
自分の名前が出たせいか、アイラスが顔をあげた。
「残してゆくのは不安じゃ。かといって連れてゆくのもな……」
「依頼内容を選べばいいかな。対象が単体で、周りにも危険がない依頼……」
「そう都合よくあるかのう」
「まあ、ゆっくり探してみるよ。本当に急いでないから」
ロムはそこで言葉を切り、二人を交互に見た。
「二人と会ってから、俺、良い事ばかりだと思うんだ。アイラスのお陰で、先生と仲直りっていうのかな、ずっとピリピリしてたのが無くなった。そうしたら、先生が相談に乗ってくれるようになって、色々助けてくれて。それで自分のやりたい事も見つかったし」
いつだったか、誰かが『何かが変わればいい』と言っていた気がする。その時は一体何が変わるんだろうと思っていた。でも今は、こういう事だったのかなと思う。
「わしもアイラスも何もしておらぬ。むしろ助けられておる。お主の周りが改善したのは、お主の努力が実を結んだだけの事」
「そんな事ない。こうやって相談出来るだけでも嬉しいんだ。答えが出なくても、話を聞いて貰えるだけで、側に居てくれるだけで心強い。なんだか……上手くいきすぎて怖いくらい。だから急がない。ゆっくりやるよ」
アイラスが立ち上がり、座っているロムの頭をなでた。
彼女は本当によく触れてくる。最初は他人に触れられるのは少し嫌だった。別に相手が嫌なんじゃなくて、自分の身体は汚いと思っているから、触れれば汚してしまう気がして、それが嫌だった。
でもいつのまにか、嫌悪感は無くなっていた。自分が変わったとは思わない。ただアイラスは、自分ごときでは汚れないような気がする。今は彼女になら触れられるのは嬉しいし、気持ちいいとすら思う。
そういえば、一番伝えたい事を言ってなかった。
「二人共、ありがとう」
アイラスは照れくさそうに笑い、トールはそっぽを向いた。
アイラスが再び立ち上がり、部屋の角に置いてある弦楽器を持ってきた。弦が三本しかない故国の楽器で、随分前に旅の商人から手に入れた物だ。最近まで埃をかぶっていたが、アイラスに歌を聴かせる事になった時、それを手入れして使えるようにした。
「歌が聴きたいの?」
うんうんと嬉しそうに頷いた。ホークの言葉を思い出した。自分が浄化されるとは思えないけど、アイラスを癒す事ができるのなら、それで良いかもしれないと思う。
——少年がゆっくり弓を引く。変わった異国の音色が響き渡る。そこに少年の歌声がのると、みながよく知る大衆歌でも異国の情緒があった。
毎日宿舎に響くロムの歌は、保護区では話題になっていた。
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