「おめでとう」の作法
小嶋ハッタヤ@夏の夕暮れ
ミス続きの毎日
「まだそんな暗い顔してんのか? もう気にすんなよ」
「すいません……」
上司の高田さんと喫茶店に入ったはいいが、気分は沈んだままだった。頼んだコーヒーがいつも以上に苦く感じられる。
「川崎、お前まだ入社して半年だろ。新人なら仕方ないって」
俺はミスを犯していた。取引先の企業から頼まれていた物品を届けるのを忘れていたのだ。今日は高田さんと二人で謝罪へ向かい、どうにか事なきを得たが、未だ内心には尾を引いている。
「向こうさんもそんな怒ってなかっただろ? 大したミスじゃねえよ」
「でも、俺。迷惑かけてばっかりで……すいません」
数日前、俺は電話を取った際に相手の名前や連絡先を聞かずに切ってしまった。おかげで折返しの連絡が出来ず、取引先を怒らせてしまった。
「ああ、電話応対のミスね。よくあるね。新人の頃は電話を取るのが怖かったもんだよ」
「高田さんもですか?」
「ああ。俺も出来た新入社員ってわけじゃなかったからな。それでも、どうにかなってきた。そもそも、新人に任される仕事なんぞたかが知れてるんだ。川崎がヘマをするところまで織り込み済み。ミスなんてあって当然だ」
「すいません……」
高田さんにそう言われて、少し気が楽になった。
「だから俺も、新人の頃の経験があるから、今のお前の気持ちも分かるつもりだ。でもな、川崎と俺とでは絶対的な違いがある。何か分かるか?」
「えっと……分かりませんでした。すいません」
「そう、それだ!」
高田さんはビシっと指を差した。どういうことだか分からなくて困惑してしまう。
「お前、さっきからすいませんすいませんって、謝ってばっかだよな? それだよ!」
「すいません!」
「また出た! お前漫才やってんじゃねえんだぞ」
そうは言われても、もはや口癖のようになってしまっているんだ。仕方がない。
「あのな。謝るのは間違いじゃない。自分の非を認めずにブスっとしてる奴よりかはよっぽど上等だ。でもな、他にもやれることがあるだろ?」
「他に……?」
「感謝の気持ちだよ。俺も偉そうなこと言うつもりじゃないけどさあ。『助かりました』とか『ありがとうございました』とか、そういう言葉が出てこないのはどうしてなの?」
「あっ……」
言われて気付いた。確かに俺は今日、高田さんや取引先には謝ってばかりで、それ以外の言葉は発していなかった。それに確かに、高田さんはよく人を褒める。些細なことでも「ありがとう」とか「よくやった、おめでとう!」と言ってくれる。そうか、俺と高田さんとの違いとはここだったのか。
「今日は、フォローしていただいてありがとうございました」
「よしよし、だいぶ分かってきたじゃないか! やればできる!」
高田さんは俺の肩をバンバン叩きながら、上機嫌に言った。
「人間、誰だって感謝の気持ちを伝えられたら悪い気持ちにはならねえよ。謝罪と共にそういう言葉を添えるのが大事なんだ」
「なるほど。勉強になります」
俺は自身のメモ帳にその言葉を書き記した。するとまた、高田さんの様子が怪しくなってきた。
「川崎の、そういうとこなんだよなあ……」
「何が、です?」
「真面目過ぎるっていうか、抱え過ぎちまうところがさ」
「俺、また変なこと言いましたか……?」
「そうじゃない。いいか、今から今日一番大切なこと言うぞ。メモなんかしなくていい。脳髄に叩き込め」
よく分からなかったが、とりあえずメモ帳はしまい、拝聴に徹することにした。
「世話になった人へ感謝の気持ちを伝えること。それ以上に大切なのが、自分自身を褒めてやることだ」
「自分自身を……?」
「ああ。例えば『俺は今日よくやった! また一つ成長した、おめでとう! なんて出来る社会人なんだー!』ってな」
何だかむずがゆい。自分自身を褒めるなんて。
「お前いま『自分で自分を褒めるなんて馬鹿みたいだ』って思っただろ?」
うっ。高田さんには見透かされていたみたいだ。
「でもな。これが存外大切でな。やるとやらないとでは大きな差が出てくる」
「そんなにですか」
「ああ。社会人として生きていく以上、いろんなストレスはつきものだ。今はうちの部署の労働環境だって悪かないが、一寸先は闇だ。異動になったとたん激務の仕事が待っているかもしれないし、会社の方針だっていつ変わるか分からない。このご時世、自分の心を労ってやらないと、すぐに駄目になっちまう。俺の知り合いも、思い悩んだすえに首をくくっちまった奴がいた。俺もお前も、いつかはそうならないとは限らない」
ごくり、と生唾を飲んだ。
「だからこそ、自分のメンタルケアってのは大事なんだよ。『おめでとう』って言葉は他人にだけ言うもんじゃねえ。むしろ自分に対して積極的に言ってやるべきものなんだ。誰だって『頑張った自分へのご褒美』くらい用意するだろ? 世界中の誰も褒めてくれなくなった日が来たとしても、自分自身だけは自分を褒めてやれるんだ。ならそれを活用しない手はない」
気がつくと、あれだけ苦いと思っていたコーヒーを飲み干していた。それだけ、心がリラックスしていたのかもしれない。
「まあ、ちょっと長くなったが……。要は、あんまり思い悩むなってことだよ。川崎、何かあったら相談に乗るから、遠慮せずに言ってくれ。俺はお前の上司なんだからな」
「ありがとうございます!」
「さて、それじゃあ話は変わるが。新入社員のお悩みにはこのライターが効きますよ? 今なら分割手数料無料で、なんとお一つ五十万円! どうですかぁ?」
「なっ、高田さん。霊感商法ですか?」
「はっはっは、冗談冗談! ちょっと新興宗教みたいな話みたいになっちまったなあと思ってつい、な。それじゃ俺、外の喫煙スペースでタバコ吸ってくるから。まったく、喫茶店なのに喫煙所が無いなんて矛盾してねえかあ?」
「俺、これからどうすれば?」
「ああ。直帰していいよ」
「え? 今日の日報を書く必要が……」
「んなもん明日でいいよ。どうせ読むの俺だし。今日は疲れただろ、さっさと帰って英気を養ってくれ。それじゃあな」
そう言いながら、高田さんは代金を置いて行ってしまった。
適当なようでいて、よくよく出来た人だと思った。俺も、あんな風にはなれないだろうけれど。
それでも、学びを得た俺はこう心につぶやいた。
「今日はよく頑張った。おめでとう、また一つ成長したな」と。
「おめでとう」の作法 小嶋ハッタヤ@夏の夕暮れ @F-B
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