第2話夢噛む年代記その2 東京時代編

 夢噛む年代記その2 東京時代編 天派64

              §

 Q「あなたの夢は何ですか?」

 A「他の十四人より先に漫画家になることです」

 年号が変わった今年は2019年だから四十年以上も前の話である。ボクは高校を卒業して一度は就職したものの、三ヶ月でケツを割り、その会社を辞めて、

後から上京してきた兄のアパートに転がり込んだ。

 東京に対する漠然とした憧れと、何かいいことがあるかもしれないという希望

を抱いたからだ。

 それからボクは親の仕送りでアパートを借り、専門学校に通い始めた。

 寿荘という名前のアパートだったが、改築したばかりだったので、住人は同期の大学生がほとんどだった。それと管理人夫婦がとても世話好きで、みんなを自室に呼んでは茶話会を開いたから、すぐに学生寮みたいになった。

 十二部屋あるアパートのどの部屋にも、なんだかんだと集まっては、ゲームをしたり、ギターが得意の大橋さんのギターに合わせてフォークソングを歌ったり、トランプゲームなどもやった。

 その大橋さんという人が切れ者(賢いという意味の方)で、最初、七並べとかのトランプゲームから始めて、いろんなトランプゲームを皆に覚えさせてから、

実はトランプゲームよりもっと面白いゲームがあると言い始めた。

 それが麻雀だった。トランプゲームの一つが麻雀のルールに似ていたというか、

似ていたから大橋さんはそのトランプゲームで麻雀の基本をレクチャーしたものだから全員、大橋さんの思惑通り麻雀に嵌まっていった。

 ボクも見事に嵌まり、挿絵も描ける小説家の夢はどこへやらになってしまった。

 そんな東京寿荘生活も、三年が過ぎると大橋さんをはじめ。同期の大学

生達が一斉に就職活動を始めた。

 今と違って大卒の就職率はほぼ百パーセントだったから、みんな、あっという間に就職先を決めてしまった。目的もなく漫然とあちこちの専門学科を渡り歩いていたボクだけが取り残された。

 それでボクも就職活動をすることにした。

 ボクが通った専門科目は電気科、デザイン科、それと漫画科だった。

 数字に弱いので電気関係は無理目。デザインのセンスもいまいち。それで漫画関係の就職先を選ぶことにした。

 その頃は漫画なんてもまともに描いたことがなかったから、漫画家になってやろうなんて事は全く考えていなかった。アシスタントでいいやと思っていた。

 ただ、どうせなら有名な漫画家のアシスタントになろうと思いつつ食堂でラーメンを食べながら少年チャンピオンのブラックジャックを読んでいたら、脚注に手塚治虫先生のアシスタント募集が記載されていた。ボクは即応募した。

 背景の絵と、日暮里デザイナー学院のデザイン科と漫画専科卒業の履歴書を同封して応募。一次は突破。二次の面接となった。

 面接にはボクも含めて十五人が参加。

 ボクは面接の順番待ちの暇潰しに隣りにいた男子に応募した理由を聞いてみた。

「手塚先生の大ファンだから。わざわざ静岡から出てきたんです。君もでしょ」

 彼の目はキラキラ輝いていた。

 取りあえずアシスタント志望のボクとは大違いのテンションで少し気後れした。

 その後、また会おうよという話になった。

 それで「ボクの電話番号はこれだよ」と言ってボクは寿荘の玄関の下駄箱の上にあるピンク電話の電話番号を書いたメモを彼に渡した。

 すると彼を含めて全員の目の色が変わった。当時は家庭に黒電話一台の時代である。個人で黒電話を持っているなんてのは贅沢なことだったから、彼は勘違いしてボクを金持ちの息子だと思ったのだろう。

「ゴメン、『ボクの』じゃなくて、『ぼくのアパートのピンク電話』の番号や」

 当時、喫茶店やアパートでは街頭用とは別に、お店等用にピンク色の公衆

電話がよく使われていたのだ。

 彼の目から異様な嫉妬心が消えた。

 で、面接の結果だが、ボクは不採用。彼は採用となった。

 結果が出たあと、暫くしてアシスタントを始めた彼と会うことになった。

 今度はボクが嫉妬する番だった。

 彼の四畳半の部屋にデンと置かれた電気コタツの上に、デーンと黒電話が置かれていたのだ。

「手塚先生、超忙しいでしょ。だから、いつでも呼び出せるように、アシスタント全員に黒電話を手配してくれたんですよ。いいでしょ」

 幸せオーラを放つ彼がさらに言った。

「あ、そうそう、アシスタント落ちたの、君一人だけだったよ」と。

 ボクは彼のその一言で「お前ら十四人より先に漫画家になってやる!」

と決心したのである。作り笑顔で彼のアパートを出てからすぐに寿荘に帰り、漫画を描き始めた。

  怒りの漫画家初挑戦

              §

 狙いは当然、手塚先生の名前を冠した手塚賞である。

 手塚賞で受賞して、手塚先生と握手をしながら『実は手塚先生のアシスタント募集で落っことされたんですよ』と言ってやるのだ! と意気込みは凄かったのだが、漫画科では落書き程度でお茶を濁していたので、初めて本気で描く漫画である。高校時代、美術部だったので写実的な背景は何とかなるが、漫画独特のアレンジがあるキャラ顔が描けないのだ。

 主人公もヒロインも格好良く描きたいのだが、いくら頑張っても悲惨な絵にしかならないのだ。

 だからさすがにストーリー系の手塚賞でリベンジを果たすのは無理だと思った。でも、手塚先生を見返してやりたい。今でもだが、手塚賞と赤塚賞はセットになっていた。

 今更絵を上手くなるなんて無理だから絵は下手でもアイデア次第で何とかなるギ

ャグ系の赤塚賞受賞に目標を変えた。赤塚賞でも受賞すれば手塚先生も来ているので、イヤミを言いに行くことができるからだ。

 当時はオイルショックで世間が右往左往していたのでボクは石油ネタのギャグ漫画を描くことにした。

                  §

「よう、お前、漫画描いているんやてな」

 勝手にドアを開けて部屋に入ってきた谷さんは、そう言うなり一応描き上がっていた一発目の漫画原稿を読み始めた。

 あぐらをかき、煙草をくわえながら、原稿用紙を一枚一枚めくって読んでいく。

 時折、口元に笑顔がよぎる。 目元も笑っているように見える。それとも煙草の煙が目に入ったからなのか。

 谷さんは読み終えると言った。

「面白いやん。このオチ、最高やな」

「ホンマにホンマ?」

「オイルショックの今なら絶対受けるわ。キャラも今までにないタイプやしな」

「お世辞やなく面白いで。持ち込みにいけば?」

 ボクはその言葉を信じて手塚賞、赤塚賞をやっている少年ジャンプに持ち込みに行くことにした。ボクは原稿を入れた茶封筒抱えて、お茶の水で降りた。

 お茶の水駅から少年ジャンプ編集部までの信号は全部青。幸先がいいと思った。

 ちなみに当時、少年ジャンプで連載されていたのは、サーキットの狼、ドーベルマン刑事、包丁人味平、プレイボーイなど。凄い作品群だが、まだボクの人生を左右した漫画は登場していない。

 初めての持ち込みである。おそるおそる編集部のドアをノックして入った。

 若手編集者の堀内氏が応対してくれて、自分の机の所までボクを案内して自席に座り、ボクに隣の席を勧めてから原稿を読み始めた。

 同じ読んで貰うにしても谷さんとは大違いである。緊張感でコチコチになった。

「もう一度描き直してみませんか? 取りあえず、この作品は預かっておきます」

「はい。分かりました」

 ボクには堀内氏の反応が読み取れなかった。けれども描き直してこいということは、少しは脈があったのだろう。

 ボクは寿荘に帰って谷さんに結果を報告、作品を描き直して一週間後に持っていった。

 堀内氏は不在で描き直した原稿を机の上に置こうとしたら、警官ネタのギャグ漫画の生原稿が置かれていた。

 見たことがないキャラだから持ち込みに違いない。つまりライバル。ボクはその原稿の上にボクの原稿を乗せて帰った。

 その後、堀内氏から連絡は来なかった。処女作で掲載なんて所詮、夢だったんだと思った。

 1976年になった。冬が過ぎ春になった。寿荘の連中も居なくなるし、

ボクも田舎に帰ろうかなと思った時に堀内氏から電話があった。

「赤塚賞、準入選しましたよ」

「え? 赤塚賞に出してないんですが」

「ああ、あの持ち込み原稿、私が勝手に応募しておいたのですよ」

 唐突に夢が叶ったのだ。その時では準入選がトップだったので受賞者代表

でスピーチもした。

 問題の手塚治虫先生も来られていた。

 授賞式後、立食パーティーになった。イヤミをいう絶好の機会到来である。

しかし、手塚治虫先生はいろんな人達に取り囲まれていて新参者が近寄る術もない。

 と思ったら、手塚治虫先生自らボクの方に寄って来られて「頑張ってね」

と握手して下さったのだ。

 握手しながらイヤミを言うという想定通りの最高のチャンスが訪れたのだ。

しかし言えるワケが無かった。「ありがとうございます」としか言えなかった。

 ボクは今でも、その時の手塚治虫先生の分厚い手の感触を覚えている。

 不思議なことに肝心の赤塚不二夫先生は来られていなかった。

 処女作で授賞してその受賞式でスピーチ。ボクは完全に舞い上がってしまっていた。漫画がバカ売れして外車を乗り回し美女にモテモテ……そんな妄想をしながら新作を描いた。

 しかし現実は厳しい。ボツばかりなのだ。

 そうこうしているうちに例の警官ギャグ漫画が月間賞で入選し、連載が始まった。そしてブレイクし始めた。

 また新作を持ち込みしたボクに堀内氏は言った。

「彼、忙しくなってさ。手伝いに行ってよ」と。

 最初に行った時は彼は実家の二階で漫画を描いていた。

 漫画が仕上がった後、彼自ら七輪の炭火でハマグリを焼いてレギュラーアシスタント達と一緒に食べた。

 暫くして二度目に手伝いに行ったときはもう人気沸騰中で、仕事場がアシスタントが寝る部屋付きのマンションになっていた。

 ただご本人は机の前でうつらうつら。

 仕事がアップすれば堀内氏がみんなを焼き肉屋に招待で食べ放題。七輪炭火焼きハマグリとは雲泥の差だった。

 スタートは同じ堀内氏の机の上だったのに、いや、彼は月間賞、ボクは赤塚賞、

どちらかといえばボクの方が格上なのである。

 それなのに何処で天と地ほどの差がついてしまったのだろう。

 再び堀内氏から彼のアシを頼まれた。

 いつの間にかアシスタントが職業になりつつあった。こんなはずじゃなかったのだ。連載漫画家になれるんじゃなかったのか?

 彼とボクでは一体何が、どこが違うというんだ?

 答は仕事用マンションの休憩室に置かれていた。

 休憩時間となり、別室でワイワイ行っていた時だった。

 ボクは部屋の隅に置かれていたダンボール箱に漫画の生原稿が一杯はいっているのに気がついた。

「これって新原稿ですか?」

「いや、デビュー前に同人誌とかで描いていた漫画原稿だよ」

「デビューまでにこれだけ漫画を描いていたんですか!」

 ボクは悟った。これだけキャラとか物語を作っていたから連載になってもネ

タやキャラに困らなかったのだと。

 入選して漫画家になるというチャンスを貰うまでに彼は充分準備をしていたから、連載漫画家になれたのだ。

 一方、ボクはキャラもネタもあの受賞作一本だけ。絵も下手。プロの漫画家になる準備も覚悟も全く出来ていなかったのだ。

 今からプロの漫画家になるにはあと何年準備しなければならないのだろう……

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 遂に寿荘の面々と別れの時がやって来た。盛大なお別れ会の時、谷さんが訊いてきた。

「お前、これからは一人東京で漫画家を目指すんだろ?」

「諦めた。漫画家になるには準備が足りなさすぎたから」

 そしてボクは帰郷した。

               §

 ボクは田舎に帰った。

 一年後、同窓会があった。

「久しぶりやな、いわと。お前、東京で何してたん?」

「赤塚賞準入選して、それからこち亀のアシスタントをちょっと」

「こち亀、大ブレイクやん。なんで帰って来たんや。もったいない」

「だって、警察をパロッてるから、いずれ警察からクレームが入って打ち切りになると思ったから。で、お前は今何してる?」

「今、三菱重工。お前は?」

「今、仕事探し中……」

 その日、東京で四年間フラフラと生活していた代償の大きさに気づかされた。

 大学を出た同級生は新卒として、大企業に就職していた。高卒の連中は、すでに会社勤めをして四年が経ち、バリバリ仕事をこなしていた。

 ボクだけが無職だった。

 彼らと対等になるにはもう一度漫画家になるしかないとボクは思った。

 それで就職先を探しながら入選した漫画のキャラでギャグ漫画を描き始めた。

 しっかり準備してもう一度漫画家になって母校に凱旋してあの時の教訓を子供達の前で語ってやるのだと夢見て。 しかし夢は一向に叶いそうになかった。

 一年後、ボクはやっと地元の印刷会社に就職した。 







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夢噛む年代記/ルネ・デフォルト氏の第六十感 天派(天野いわと) @tenpa64

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