第6話 幕間

佐伯が出ていった扉をぼんやりと見ながら、秋元美雪は独りごちた。


「どうしたものか……」


元の小綺麗な姿の見る影もなくなってしまった保健室。

シーツやカーテンは無理を言って買ってもらったばかりなのに、新調しなくてはならないし、花瓶も買い直し。

花もまた新しいのを生け直さなくてはならないだろう。


思わぬ出費に痛む頭を抑える。


本来ならば。

学校側の教師として、生徒である若宮にそれ相応の損害賠償をするのが一般的なのだろう。

が、彼女の両親は特殊だ。

こんな事が知られたらまず間違いなく大事になるし、何より監督責任を問われることが面倒だ。


「出世払いでいいから半分出せよ」


未だ泣き止む気配のない少女にそう大人げなく言い放つと、箒を手に取った。


若宮莉奈という少女は

10年近く、養護教諭として数多の生徒を見守ってきた美雪が最も同情する生徒であり、

最も助けてやりたいと願う生徒だった。


家庭環境は最悪。

学校では友達に裏切られ、手酷い虐めを受けていた。

男子は女子を怖がり、傍観を決め込んでいたらしい。

学校側すら虐めを隠蔽。


そんな体験をしたら誰でも人間不信に陥る。


今や彼女は美雪以外の人間と会って話すだけで錯乱してしまうまでになってしまった。


ずっとどうにかしてやりたいと思っていた。

だが、美雪では力不足だった。

どれだけ努力しても、彼女の心は閉ざされたままだった。


だから美雪は彼に頼ることにしたのだ。

___この学校で唯一若宮の心を開ける可能性のある佐伯 晴人に。


気が付けば、部屋の片付けは一通り終わっていた。

どうやら没頭してしまっていたらしい。

泣き止んだものの、所在なさげに立ち尽くす若宮に視線を向ける。


「お茶にしよう、若宮。

話したいことがあるんだろ?」


その言葉に若宮はこくりと頷いた。


「私に何か言うことがあるんじゃないのか?」


未だ所在なさげにする若宮に、美雪は紅茶に口を付けながら催促する。


「ごめん……なさい」


先程の勝気な態度とは打って変わり、おずおずといった様子で謝罪の言葉を口にする若宮。


が。


「私はそんな言葉が欲しいんじゃない」


美雪は突き放すように言った。


「君がああやって取り乱してしまうのは仕方が無いことだと承知しているから思うところは無い」


と、そこで言葉を切る。

その先を考えさせる為に。

少しばかりの逡巡をする時間を与えたあと、

美雪は回答を口にする。


「が、片付けは別だ」


その言葉に、若宮ははっとした表情をする。


「ありがとう……」

「どういたしまして」


多少強引な手口ではあったが、

"あの"若宮 莉奈から礼を引き出せたことに美雪はにやりと形の良い唇をほころばせた。


これも"アイツ"のお陰なんて考えていると、

すっかり平常運転に戻って美味しそうに紅茶を嚥下する若宮が問いを投げる。


「さっきの男の子って誰だったの?」


「ああ、私のよく話していた2学年の問題児その2だ」


「やっぱり?

なんか、普通の人と違ってた」


だって、と。

若宮は呟く。


「見ず知らずの人間の為にあんなに必死になれる人他にいないよ」


___どうしたらあんなふうになれるのかな?」


その声音には、明らかな憧憬があった。

人に憧れを抱く事を忘れていた少女の抱く純粋な想い。

それを美雪は純粋に喜べなかった。


彼のあの言動の根底にあるものを知ってしまっているから。


"その優しさ"は決して綺麗なものでは無くて。

それはもう傷つきたくなくて、もう誰も傷つけたくないからこその優しさで。


過去に負った深い深い傷に起因するものだ。

綺麗な感情で語ってはいけないものだ。


そんな美雪の思いを他所に、若宮は笑う。


「私、彼となら上手くやれそうだよ」


「……そうか。

なら、よかったよ」


美雪はそう取り繕ったように笑うと、冷めきってしまった紅茶を無理矢理流し込んだ。



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歪な世界の歪な彼等 瀬良 真水 @sela1654sela114514

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