#042:懸案かっ(あるいは、何てんたって/アンビリバブってる/モンスター)

 リング上には、「オフェンス・アドバンテージ」なる、アルミホイル然とした装置を両手両足に装備した私と土師潟が対峙している。


 <圧倒的なリーチとパワー打撃で、相手を懐に入らせてこなかった土師潟選手っ!! これにどう対処する? 手負いの水窪選手っ!!>


 いや、実況。だからこその「これ」でしょーよ。もうなあ、こっちは臨戦モードに入ってんだよぉ。


「!!」


 私は銀色に光る右グローブを、ぷん、と手首の返しだけで振り抜く。瞬間、その延長線上にあった土師潟の長汚い顔面がカク、と向かって左に向いた。


 なるほど「遠距離打撃」? おもしろい。


 てめッ、と怒鳴りながら、土師潟が一歩を踏み出すものの、


「!!」


 私の教科書通りだけど、射程は想定外の「遠距離」右ローが、あっさりその踏み込まれた左膝側面にいい打撃を与える。顔を歪める土師潟。足止めちゃってぇ、いいの?


 <ご、ゴング!! 早く鳴らしてくださいっ>


 慌てた様子の実況を尻目に、私はその場で舞いを踊るかのように、ワンツーから大技、先ほどは不発に終わった右後ろ回し蹴りを、これでもかの高い打点にて炸裂させる。


「ご、ご、びゅっち」


 相手との距離感・間合いを測らなくていいのは慣れるとほんと楽。先行入力気味の左・右が相手のガードを揺さぶった瞬間、右こめかみを狙って放った踵の「情報」が伝わったのだろう、ゴングの音と共に、ヘッドギアがひしゃげるほどの衝撃が土師潟を襲い、そのうすら長い体がたたらを踏んで向かって右に流れる。でも、


 楽には倒さねえぞ。


 振り回した右脚は、実際には相手にヒットしていないから、虚空を空振りのように抵抗なくスムーズに移行する。次の動作に移りやすいわ。


 リングに右爪先が触れた瞬間、右後方に捻じれた上半身をそこで止め、溜めを充分作ってから、右拳を相手の肝臓を目掛けて撃ち抜く。


「これは私の自尊心のぶんっ!!」


 やや大げさな振り抜きでも、縦横軸さえ見誤らなければ問題なし。私の渾身のリバーブローが土師潟の顔を土気色に染め、その動きを止める。存分におあがりなされよぉぉぉぉ、


「これもぉぉぉぉぉっ、自尊心のぶん!! これも!! これも!! これもぉぉぉぉっ!!」


 <め、メッタ打ちだぁぁぁぁぁっ!! 水窪選手のっ!! 鬼気迫りまくりの凄まじいラッシュがっ、嫌な音と共に土師潟選手の腹部にごんごん撃ち込まれていくぞぉぉぉっ!! これはもう一方的っ、セコンドさんっ、止めるなら今ですっ>


 実況がそんな興ざめなことをのたまうけれど、そうはさせない。私は黄色が映されているスクリーンの方へ向き直ると、掠れた声で呟く。


「シアイ……トメル……オマエ……コ〇ス……」


 <ひぎぃぃぃこわいぃぃぃぃぃぃっ!! ひ、ヒトの顔をしていないよこわいよぉぉぉぉぉ!!>


 怯えて泣き叫ぶ実況少女を尻目に、今度はタオルを投げ込もうとしている向こう陣営のセコンドを見やると、私は軽い左フックを、限界、のような顔で立ち尽くしていた土師潟の左頬あたりに入れる。


 その衝撃に押されるようにして力無く自陣コーナーまでヨタヨタと歩を進めた土師潟は、トップロープに寄り掛かるようにして覆いかぶさった瞬間、口から大量の吐瀉物をまき散らし、リング下にいたセコンドに浴びせかけた。慌てて距離を取るセコンド。


 よしこれで邪魔は無くなった。私の背後のロープ外から、逃ゲテー逃ゲテー、壊サレチャウヨーと、お前どっちの味方だよみたいな警告を続けていた丸男アオナギを裏拳ではたき落としてから、グローブをかぱりと開き、上から掴むかのポーズをして、それを自分側に引き寄せる動作をする。


 それに頭を掴まれて引き寄せられるように、土師潟がリング中央へと表情の抜けた青い白い顔で戻ってきた。


 <そそそんな使い方もできるんだぁぁぁぁぁあはははは、すっごぉぉぉぉぉい!!>


 何かのタガが外れちゃったかのような実況黄色の声をバックに、私は再度、土師潟と向き合う。


「……誰をツブすって?」


「ち、ちち違うんですぅ……盛り上げようと思って、やっすい挑発をしてしまっただけなんですぅ……」


 土師潟はフラフラの内股で、何とか立っているような状態だ。その顔色も、もはや白い。ちょっと小突いただけでぶっ倒れそうね。でも。


「……誰が腫れまくったツラの、行き遅れオールドミス日本代表だって?」


「こ、ここ後半は本当に言ってないですぅ……というか平成生まれそんな単語身近じゃないですぅ」


 何だと?


「確かに昭和の脊髄が記憶してたぞこらぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 <い、いけませんっ、いけませんよ水窪選手っ!! SATURIKUはらめぇぇぇえっ!!>


 実況の制止も無視して、私は土師潟の鼻下を狙ってヘドバン仕込みの高速/拘束パチキを放り込んでいく。と、


「やめろ水窪っ!! 勝負はついた」


 コーナーに登って来ていたカワミナミ君の鋭い言葉で、ようやく轟く野性から現世に戻って来れたわ。眼前で鼻と口から盛大に血を垂れ流しながら、タスケテロマンスノカミサマ……みたいな世迷言を呟いている土師潟を見て、急速に冷えていく大脳を感知する。


 でも。


 ……でも私の自尊心はこの程度では癒えない。


 冷えきった脳で、私の代わりに戦ってくれたワカクサ姐やんの事を思い出す。まだ……足りないよね?


「……」


 眩いライトが照らすリング上空を見上げる。そこには、何というかギリシャっぽい、神々とか天使が身に着けていそうな白く長い布を巻き付けた、姐やんの金色に輝く神々しいビジョンが、確かに浮かんで見えた。


 ―ん存分にぃぃぃぃぃぃぃ、お殺りなさいですわぁぁぁぁぁぁ


 はいですっ、とそのお告げのような声に曇りない笑顔でいい返事をすると、私の両肩に手を掛け体重を預け始めていた土師潟の右肩に、自分の頭をくぐり込ませる。


 <水窪選手っ!? いったい何を……>


 そのまま腰を降ろし、土師潟の両膝裏を両手で抱えるように掴むと、


「おおおおおおおおおおおお」


 重量上げのような格好で、土師潟の体を上下逆さに持ち上げた。そのまま両脚を大きく割り開くと、キャンバスに背を向けた状態で、コーナーポストの二段目までバランスを取りながらゆっくりと登る。


 <ああーっとお、この、この体勢は伝説の……っ!! わ、我々は伝説を目の当たりにしようとしているのでしょうかっ!!>


 我に返ったけど引っくり返ったままの黄色の実況に、辺りもどよめきが包んでいく。


「このボディスーツは、衝撃を受けると硬化するけど……脆くもなるってことをさっきの試合で学んだ」


 いきなりの私の説明調の言葉に、どよめきはさらに増す。私は土師潟の膝裏を支えていた両手を、尻の方へと移動させ、その割り広げられた股布の部分を左右からしっかりと掴んだ。


 <ま、まさか……>


「……このまま落下重力も足して、キャンバスに叩きつけると同時に、このスーツの股間部分を力の限りひっちゃぶくっ!!」


 ヒィィ、と私の右肩に乗せられた土師潟の逆さになった口から恐怖の声が漏れ聞こえてくる。


 <破壊する気ですっ、誰か止めてくださいっ、彼女は相手の身体と共にっ、精神をも破壊するつもりだッ!!>


 黄色の声と共に、何人かの黒服がリングへと駆け寄ってくるけど、もう遅えっ!!


 シズ「タタタ助ケテェェェェェェ、ヒトの心ガアルノナラァァァァァアァァっ!!」


 ワカ「人の心など……所詮、電気信号か、化学物質の反応に過ぎない……私はもう何も信じない……私はもう……あとは重力に任せた自由落下をするのみだ」


 黄色<何か悟った目をしてるけどそれ混じりけのない狂気ィィィィィィ、早くぅぅぅ、早く黒服さんたち止めてぇぇぇぇぇぇっ>


 ワカ「……この『アルティメット若草・OPPIROGE MAN 29 バスター』にて、我が『自尊心補完計画』は完遂となる……っ」


 黄色<そんなにも人を犠牲としなければならないのですかぁっ、その計画とやらはぁぁっ!? それに技名が度し難く狂気過ぎるゥゥゥゥゥっ>


 ワカ「……貴様の爛れた円光観音を、ソーシャルネット全域に爆散するがいいっ!!」


 シズ「許ヒテ……許ヒテクダサイ……おカネならあげまふからぁぁぁぁぁ……」


 ワカ「……もう私は大脳で物を考えることを停止している。許すか許さないかは……」


 私は両膝を軽く曲げると、そのままの体勢を保ったまま、後方に向けて跳躍した。


「……脊髄にっ!! きいてみろぉぉぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 暗転。


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