#016:陳腐かっ(あるいは、巷で猛威のブンブンブン)

 何の因果か、早朝ロングジョッグや、高級そうなジムでのマシントレーニングなど、連日に渡る壮絶なシゴキに付き従うことになっている私だったが、痒いところに手が届く絶妙なキツさで為される訓練のようなものに体が音を上げていた。


 といったら嘘になるか。


 トレーニング終わりには私にだけ、カワミナミくんによる入念なマッサージが全身に施され、その筋肉の内部まで指が入り込むような優しく時に強い指使いに、よだれが垂れそうなほど気持ちよくなって気を失いそうになる。


 そして体がほどよくほぐされたところで、日替わりでアロマの異なる湯量たっぷりの一番ジャグジーへと通され、小一時間ばかりかけて体を磨き上げる。


 食事はいつもカワミナミくんの手作りだ。タンパクとビタミン重視の味気ない料理になってすまんが、と言うものの、どこぞの創作イタリアン顔負けの、彩りとフレッシュさが見た目にも美味しい、鶏肉とサラダメインの皿が日々違った顔を見せて並ぶ。


 お酒も少しなら、ということで、料理に合わせたワインが夕食には常に添えられるのだけれど、最近の当たり年のは、本当に美味しい。


 そして夜九時には就寝と。要はものすごく健康的な生活を強いられているのであった。


 今まで私は外面を装うことに血道を上げてきたわけだけど、この数日間の規則正しい生活で、体の内部の臓器とかが浄化され、血の流れが正常に行われているかのような、内側からオーラのようなものが発せられるかのような、そんな、世界の中心に自分が存在しているかのような充実感、万能感に包まれていきつつあるのであった。


 もしかして、これこそが「浄化」……? どうなんだろう。そして、


 一週間が経った。自分の体が良い方向に変わっていくのは、楽しい。


 無駄な肉は驚くほど落ちて、体重はさほど減ってないのに、体つきは鏡を自分で見ても引き締まってきていることが分かった。くいくいと色々な角度から自分を眺め回してみる。顔もシャープになった感じ。会社帰りに適当に月何回かボクシングをやってた頃とは明らかに違う。やっぱり重要なのは、食事、睡眠、運動の三つのバランスだったのね、と何かの宣伝のような文句が、妙に今、自分自身で納得できる。


 必死こいて色々塗り込んでいたのに失いかけていた肌のハリ・ツヤも、まるで十代と見まごう(それは言い過ぎた)ほどの輝きを取り戻していたのであった。

 嗚呼、今の私なら、あいつとよりを戻すことが出来るのかも知れない……と一瞬、そんな思いに捉われてみるものの、もうそこまで未練は正直無かった。強がりとかではなく。


 過去の男、過去の仕事、過去の失敗、過去の人生。


 そういった諸々のことが全て容認できるようになっていた。容認して、自分の一部として取り込む。その上で、新しく作り上げられていく自分を乗せていっているような……そんな少し超然とした感覚の中に、いま私はいるわけで。


 私は早々に脱落した他二名を尻目に、変わろうとしていた。ふたりともインフルエンザ発症だという。この夏場に。嘘こけ。


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