#013:混迷かっ(あるいは、夢追い/おい夢!)

「『格闘』……って言ってたけど、どんな系なの? 私、実はそれほどやってるってわけじゃないんだけど……」

 

 まさに生まれ変わったかのような強烈なリフレッシュ感を体の外部・内部から受け、私はまるで清浄な空気と一体化したかのような、やばいくらいの万能感に包まれていた。

 ソファから立ち上がり、ベランダへと通じる大きな出窓を主の許可を取ってから開け放つ。うーん、陽射しが今日もきつい。けど、風も吹きつけてきて、それらが相まって非常に気持ち良い。そして海が、東京湾がこんなに近くに臨める。何か私があくせくしていた街とは思えないほどに、天上からの景色はゆったりして見えた。


「……そうは見えないけどな。しなやかな筋肉だ。バネもあると見える」


 カワミナミくん(と呼び続けることにする)は、いまだ突っ伏していたままのアオナギの両脇あたりに手を差し込むと、何やら気合いのような喝のようなものを入れて目覚めさせていた。そしてその脂ぎった額からペンをきゅぽっと引き抜くと、ペン立てに戻す。

 一方の長髪の方は、引き抜かれた衝撃で、めめんと、みたいな声を立てたが、無事こっちの世界に戻ってこれたようだ。まあ、そこはどうでもいいけど。


「小学校の時、空手習ってたくらい。あと今は体のラインを維持するためのボクササイズに勤しむくらいよ」

 

 そう。実はそれほど、というか中途半端な感じだ。まあ何においても、私は適当で広く浅くだった。心からのめり込めるものなんて、考えてみれば無かった。

 何でもそこそこ出来たから。そして結構周りに流されやすいから。


 のめり込んでいたと、自分では思ってた仕事だって、結局はどうでもいい見栄と、わけのわからない強迫観念とで、無理やりのめり込んでいたと思ってただけかも知れない。思い込まされていただけなのかも知れない。


 熱を孕んでいるけど、清々しさを保ったままの外気に、自分の中のやるせなさを伴ったため息を吐き出してはみるものの、気分は晴れてくれやしない。


「……さっきアオナギが言っていた『チェスボクシング』とは、その名の通り、チェスとボクシングを交互に行い、相手を負かした方が勝者という、一風変わった競技だ。それを性懲りも無く、ほぼ思いつきで無理やり取り入れたのが、今回、君にやってもらう事になる『女流謳将戦じょりゅうおうしょうせん』ということになる」


 カワミナミくんは、ベランダの柵に両腕を掛けて寄り掛かっている私の背後まで近づいて来たようだ。その穏やかな声も近づく。

 けど、私まだ正式にやるとは言ってないんだけど。


 でもいいか。流され続けてきた人生だったし。ここは、ここ一番の流され所でしょ、と私は思うことにする。いまさら失うものなんて無いわけだし。


「……言い忘れていたが、試合は2週間後だ。私からはみっちり『格闘』部分を叩き込むことになるので、そのつもりでいてくれ」

 

 カワミナミくんにそう言われつつ、ぽんと肩に手を乗せられたけど。


 えー、どのつもり? とやっぱり隙を見てずらかろうと考え始めるけど、それまでここで寝泊まりしてくれて構わない、と続けて放たれた言葉に、いやまだだ、おさらばするのは、この黄金生活を堪能できるだけ堪能してからでも遅くない、と急速にここに居座るぞ感も湧き出てくるのが私のダメなところでもあり。


 結局、私はずるずると、この得体の知れない業界に、足をくじくようにして踏み入れてしまうのであった。


 だって、正直、夢のような生活なのだもの。おほほ。



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