#009:豪勢かっ(あるいは、往生際/瀬戸際/窓際プラチナム)
まん丸のジャグジー付きのバスタブは、大きな窓に面していた。見渡せる景色は大体が青い空。やだすごい開放感。20階どころじゃないわこれ。50はいってるんじゃ……
「……」
心地よい温度に調節された洗面室兼脱衣所のシックな雰囲気にもきゃーとなったけど、浴室は浴室でゴージャス極まりなく、今度は足裏にさらりとした感触を与えてくる石造りと思われる洗い場のタイルの上で、しばし棒立ちとなってしまう。
バスタブに張られた清浄そうな湯面は、たくさんの泡を抱き込みながら、外からの陽光を受け煌きながら、そんな私を誘うかのように揺らめいていた。
何か三ツ星高級ホテルみたいーと放心してしまうけど、湯気の温かさと快い湿度に包まれ、汗と酒と老廃物でどろどろでべとべとだった体が、早く早く漬かりましょ、と先ほどからずっと囁いているわけで。よし。
まずは大振りのシャワーヘッドからスコールのように降り注ぐ強めの水流を頭から受け止めて、表面で煮こごってんじゃないの的、諸々の汚れをざっ、と洗い流す。
髪の雫を大雑把に払い、いよいよ光沢を放つ白く滑らかな泉へと。
淵に手をかけ、そっと右足からバスタブに入る。皮膚の表面を細かな泡が駆け上ってきて、くすぐったいけど気持ちいい。ちょっと熱めに感じるけど、それくらいが低血圧の朝にはちょうどいいくらい。それに膝下の湯面から立ち上ってくるこの柑橘系の香り最高。シトラス……? いや、ちょっとした甘さも含んでるからベルガモット?
何にせよ、この家の主、先ほどちらと見ただけだけど、ほんと、いいセンスしてるわ。外見もイケてたし、チャラくもない。
でも、それだけに、あの薄汚い長髪アオナギとどう絡んでくるのか皆目見当もつかないんだけど。
まあいいか。この後聞けば。と、私はごく自然に、「先」の事を考えている自分に気づく。昨晩までは、「先」なんてないと当たり前のように考えていたのに。
やっぱり体は現金。こうして心地よさを与えられると、今日は何着てどこ行こうみたいな予定とかを考えてしまう。単純。でも悪い気持ちじゃない。ちょっと浮世離れしたこの空間で、私は久方ぶりの開放感を味わっていた。
「あのー、お風呂どうも……」
先ほどのリビングダイニングに通ずると思われるドアを押し開け、おずおずとそうお礼を述べる。髪はざっとドライヤーを使わせてもらい、あらかた乾かした。そして迷ったけどすっぴんを晒すことに決めた。まあどうせ今更減るもんじゃなし。
と、私の鼻腔を、香ばしく生地が焼けるようないい匂いがくすぐる。キッチンの奥、コンロ前に立つ先ほどのイケメンが、底の薄いフライパンを前に、何やらヘラでクレープみたいな生地を折りたたむようにしていた。
「適当なところに座ってくれ」
私の方にふっ、と視線を送りつつ、その麗人は落ち着いた低いテノールでそう言ってくる。
私が寝ていた布団やマットレスは片づけられていて、アイランドキッチンのカウンター側から、引き出し式のテーブルがずいと1m余り迫り出してきていた。
その向こうには退屈そうに頬杖を突いていたアオナギがいたわけだけど、私の姿を認めるやいなや、気持ちの悪い愛想笑いを浮かべ、どうぞどうぞと向かいの席を勧めてきた。けど食欲が減退しそうなその対面は避け、斜め向かいに腰かける。椅子もクッションがみっしりとした感触で座り心地がこの上ないけど。
「ガレットを焼いてみた。はじめてなので、まあどんなもんかはわからんが」
おおう、どこまでもしゃれおつ。私はこれはまだ夢なんじゃないかとの疑いを抱き、テーブルの下でアオナギの脛目掛けトーを撃ち込む。
えるむがい、みたいな呻き声を上げて硬直するアオナギだったけど、ああ、じゃ夢じゃないのね、と、私はようやく納得する。
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