#008:拙速かっ(あるいは、アグリエストドリーマー)
かぐわしいコーヒーの香りが心地よく鼻腔をくすぐる。ああ、何だろう、嗅覚だけなら最高の目覚め。でも眼前には鼻血を垂れ流しながら、ばんだるすりぶがわん……みたいな世迷言を白目でぶつぶつと呟いている長髪男、アオナギが横たわっているわけで。
どこ?
十何畳あるんだろう? 広すぎて三方に窓がある。そしてそこからは、柔らかな、朝の陽射し。リビングダイニング……いや、何人生活出来んのよ。アイランド型の落ち着いた焦げ茶色のキッチンが鎮座していながら、リビングには大型のソファがL字に組まれている。
「……」
まだ夢の中みたい。
いや、私がかつて夢見ていたような、そんな上級な暮らしがここにはあった。たぶん20階以上なんだろうねえ~、と、私はベランダのその先の、遮るものが直近には見えない景色を眺めつつ、ぼんやりとそう思うことくらいしか出来ない。
改めて周りをふんふんと見渡すと。私はそのL字型の黒いレザーのソファたちに囲まれるようにして敷かれていた布団に横たわっていたことが分かった。
そういや昨夜、ガード下の居酒屋でわやくちゃやってたその後の記憶が無い。もしやと思い、体を点検するものの、スーツの上は着ていなかったが、その他は昨日のままだ。
じゃ、ここはアオナギの家? いやいや見かけによらず……ってことが多々あるのは、伊達に人生歩んできてるわけじゃないから、よく知ってるけど。
それにしたって、見かけによらず過ぎだろ! と、とにかく落ち着きたい私が虚空に向かってそんな空つっこみをかまそうとした、その瞬間だった。
「……起きたか、客人」
おおっとぉ、いきなり声を掛けられたぁ、のは誰!? どこぞに通ずるこれまた高級な木材なんだろう、重厚そうな作りのドアを音も無く開けて入ってきたのは、ワイルドなざく切りヘア? っていうのかは分からないけど、少し茶色が入った、ゆるいウェーブがかった長髪の、痩身の男性だった。すらりとした身体には高級ブランドのロゴの入った黒いジャージを着ているけど、よく似合ってる。部屋着使い? いいセンス。
「コーヒーを。その前にシャワーの方がいいか?」
投げかけられる言葉は随分ぞんざいで、素っ気ないけど、それがまた私くらいの世代の女にはどんぴた来るわけで。涼し気な目許に、きりりとした口許。はっきり言って美青年。モデル? 見たことないけど。
やっぱりまだ夢なんだろうか。と思い、目線を下にずらすと、そこには固まりかけた血を口許にこびりつかせた汚らしい物体がある。夢だとしたら、悪夢も少し混ざってるわね。
うーんうーん、と大脳を振り絞るかのようにして考えるけど、どうにもこの状況は読めては来ない。なら、
「タオルと着替え、貸してもらえる?」
その麗人の方を満面の笑みで向きながら、やば、今、顔どうなってるかわかんないわ、と慌てて俯き、枕元にあった自分のバッグを引き寄せる。
向こうに用意してある、との言葉を待たずに、私は示されたバスルームへの扉へ、物体Xを踏んずけながら足早に向かうのだった。もるとべぇね、みたいなカエルが潰れたかのような音が足元でしたけど、そんなのに構ってはいられない。
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