アイネ・クライネ・ナハトムジーク
てこ/ひかり
第0章
「私、外に出てみることにするわ」
薄暗い部屋の中で、彼女は僕の隣でそう告げた。彼女と一緒にこの部屋に閉じ込められて、早半年以上が経過していた。
「じゃあね」
素っ裸で部屋を出て行こうとする彼女を、僕は無理に引き止めなかった。どのみち僕はまだ鎖に繋がれたままだし、引き止める言葉も持たなかった。僕は扉の前に立つ彼女の背中をじっと見つめていた。僕の視線に気づいたのか、彼女はふと肩越しに僕の方を振り返り、そして小さく笑みを浮かべた。
「お兄ちゃんも、いつまでこうしているつもりなの?」
「…………」
僕は彼女から目を逸らした。この部屋の中で、彼女は僕のことを親しみを込めて『お兄ちゃん』と呼んだ。僕はと言うと、『妹ちゃん』と呼ぶのもバカらしいので、『ねえ』とか『なぁ』とか呼んだ。
僕らははじめ、知り合いでも何でもなかった。狭っ苦しい部屋で、お互い何度気まずい思いをしたか分からない。僕らに共通点があるとすれば……そう、僕らには家族がいなかった。父親も、それから母親も……まだ本当の親と呼べる人を見たことがなかった。二人とも、そう言う境遇だった。
そんな二人が、灯り一つない狭い部屋の中で、鎖で繋がれ監禁された。
……半年以上前の話だ。
助けも来ない。着るものも碌に用意されていなかった。
僕らは裸のまま、鎖に繋がれて暮らした。
どんなに泣き叫んでも、僕らの声は誰にも届かなかった。
いや、あるいは聞こえているのかも知れない……時々、壁の向こうからドンドンと叩く音や、誰かの笑い声が聞こえることがある。またある時は、有名なナントカと言うクラシック音楽が響いてくることもある。だけど、僕らからの「help」は全て無視された。鎖に繋がれた僕らがどんなに必死に足を伸ばして壁を蹴ろうが、壁の向こう側にいる誰かさんは、不気味な笑い声を上げるばかりで、扉は一向に開かれなかった。
食べ物は一日に何度か、壁の中央付近に開いた穴からチューブで運ばれてくる。最早『人の食事』の形を成していない、どろっどろに溶けた液体のようだったが、僕らは鎖に繋がれたまま、それを犬のように這いつくばって分け合って食べた。狭い部屋で身を寄せ合って、二人で泥のように眠った。
「ね? お兄ちゃんも行こうよ」
「だけど……」
彼女が僕に笑いかけ、ゆっくりと細い手を伸ばした。僕は座り込んだまま、その手を握り返せずにいた。
……正直、僕は怖かった。
ここから出たいと言う気持ちは痛いほどよく分かる。だけど……申し訳ないけれど、僕にはまだその勇気がなかった。万が一この部屋から出られたとしても、助かる保証などどこにもないのだ。
おそらく僕らをここに閉じ込めた奴は、僕らがちゃんと部屋の中にいるか、定期的に点検している。そいつらに見つかったら、最悪殺されないとも限らなかった。外に出た時のことを想像して、僕は小さな体をブルっと震わせた。
「じゃあ、ね」
彼女はもう一度僕にそう告げた。それから彼女は再び視線を前に戻し、それから狭い扉へと向けて進み始めた。彼女の背中が扉の向こうへと消えていくのを見て、
「待って!」
気がつくと、僕はそう叫んで慌てて彼女を追っていた。
確かに外に出るのは怖かった……だけど、こんな訳の分からない場所に、一人で残される方がもっと怖かった。彼女が立ち止まり、僕の手を握ってくれた。
僕らは鎖を引き摺りながら、扉を出て、そこから暗く狭い道を二人でひたすら進み続けた。
どれくらい時間が経っただろう。
道なりに進んでいくと、さらに扉があった。『向こう側』から光が漏れているのが見え、僕は思わず目を細めた。
「あそこよ!」
彼女が光の差す方を指差し、嬉しそうに駆け出した。先に『外』の世界に辿り着いたのは、彼女の方だった。彼女の背中が、光の『向こう側』へと消えていき……
「ぎゃああああああああああああああああああああ!!!!!」
……突然、『向こう側』から彼女の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
僕の心臓は張り裂けそうなくらい飛び上がった。逃げようにも、彼女は僕の手を握りしめたままだった。泣き叫ぶ彼女の手に引っ張られるように、僕も『外』へと引き摺り出された。
「ぎゃ……ぎゃああああああああああああああああああああ!!!!!」
『外』に出ると、目も開けてられないほどの眩い光が僕を包んだ。僕はこれから起きるであろうことに思わず体を強張らせ、彼女に負けないくらいの大声で絶叫した。すると、僕の頭上から、『外』で僕らを待っていた誰かさんの笑い声が降り注いだ。
「おめでとうございます! お姉ちゃんの次は、元気な男の子ですよ!!」
アイネ・クライネ・ナハトムジーク てこ/ひかり @light317
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