3-1
「起きたか」
「デジャビュ」
腕組している幽霊と目を合わせるなんて人生のうちでそう経験できることではないことを短い期間に二回も日向は経験してしまっていた。
「Hey、ケイカ、今何時?」
「真夜中の二時だ。というか人を便利AIみたいに使うんじゃない」
「今んとこ目立った活躍してねぇんだから時計機能くらいあってもいいじゃねぇか」
上体を起こして今の自分の状態を確認すつ日向。
服装は帰ってきて直ぐの状態から、花蓮が用意した寝巻きの姿に、熱は実感できるほどに下がっている。
額に張られている冷却シートや腋や太ももの内側に当てられた氷嚢、首に巻かれた保冷枕が熱を吸って元のヒンヤリ感がなくなっている。
「お前が眠ってから花蓮が甲斐甲斐しく介抱しておったぞ。処置も適切で手際がよかった、良く出来た娘じゃないか。それなのにお前という奴は……折角許婚という大義名分があるのになぜ彼女から一歩引いている?」
呆れ返ったようにケイカは腕を組みながら宙を漂う。
「お前は遠慮がないな……簡単な話しさ、自信が無いんだよ。葵家の御曹司だからアイツの許婚、けどそれは俺の中から生じたものじゃない、いや、そもそも俺から生まれたモノなんて、何も無い」
生まれてからの十二年、日向は隔離されて過ごしてきた。
外界からの刺激を断絶されて育った日向は、自分には大多数の人間が持つ多くの要素からの影響を受けて生み出される『
自分は空っぽで虚ろな存在であると。
「積んできたものなんて何一つない、隔離生活が終わってからも結局俺はほとんどを寺で過ごしていたから、人よりも圧倒的に蓄積されているものが少ない。そんな俺を誰が好ましく思ってくれる?」
「少なくとも、うじうじと卑屈になっていては誰も好意的に見てくれんだろうな」
どうにもいつもは他人の言うことなどどこ吹く風の日向が見受けられず、ケイカは日向に異変を感じた。
「お前普段はそんなに後ろ向きじゃないだろ。どうした、体を壊して精神的にもやられてるか?」
「かもな、けど、普段から思っていることだよ。中身がないのに外聞だけは上等なもんだから色んなモノを上から乗っけやがる」
どこか大人びた雰囲気の少年の殻は、僅かに生じたヒビから徐々に中身がこぼれていく。
「しかも、今の状況はなんだ? 葵なんてでかい看板を背負ってるせいで家族が殺されて、家族が背負ってたもんまで俺に回ってきて……それならせめて、もうちょい形だけでも、外身だけでもしっかりしたモノにしないとって思ったから強くなりたかった。けど、中身が入ってない空の容器だから簡単に潰れちまった」
中身はぐちゃぐちゃに本音が入り混じった、ただの十五の少年だった。
『歳相応』であることを剥奪され、奥底に閉じ込めていた不器用な少年の胸の内。
きっと、決して露出されることのなかったモノ。
ケイカという自分にしか見えない、ある意味自分の内世界でのみの存在だからこそ、吐き出せたのだ。
「強くなりたいなんて、
鬱屈した思いに明確な正体は見出すことはできない。あるのは漠然とした自分という存在への劣等感と不信感。
「見えてないな、お前は何も」
それまで黙って日向の独白に耳を傾けていたケイカが口を開いた。
「要領を得んのは仕方ないとして、結局お前が望んでいることはなんだ? 誰かに承認してもらうことか? 葵の名を背負うことか? お前の言う中身を満たすことか? それはどうすれば満たせる? どうして、自分を保っていたい? そこまでお前を苦しめているモノの正体はなんだ? その苦しみの始まりはどこにあった?」
見えていない何かを相手にするのは先の見えない道を歩くように不安なモノだ。だから、それを形のあるものにすれば多少の不安は和らいでく。
そして形にするには『始まり』を見つけ、そこを起点に探っていくしかない。
「俺の苦しみの始まり……漂白された部屋、俺の空っぽを象徴したあの部屋」
必要最低限のモノしかない、ただ寝て起きて食事をするだけで一日を終わらせるあの部屋。
何もないから、いや、ただ一つ、自分があったから、自分のことを考えるしかなかった。不自由な自分の身体を呪うしかなかった。
「もう一歩だな。本当に空っぽならそんな悩みすら生まれない。なにも無いならそんなことを気にする必要すらないのだからな」
「あ……」
漂白された世界にあった異分子、チョコレートのような色と光沢を持った髪の腕組をする少女。
「花蓮……」
「彼女がいたから、お前は自分を呪い、呪ったからこそ克服したいと願ったのだろ」
「けど、花蓮が俺に会いに来てたのは、許婚だったからで」
「理由はどうあれ、彼女がいてくれたから、空っぽである自分が嫌だと思えたのだろ。それは間違いなくお前の中身に積み上げられた要素の一つだ」
変化を望む。それ自体が変化の一つであり、
「始まり、そしてどう変わった?」
「そのあと……ドクターがやってきて、俺にくれた……ちゃんと自分の意思で動かせる身体を」
「それも、お前の中身の一つだろ」
「違う、どっちも俺は動いてない、俺が行動してない! ただ与えられただけだ、自分で生んだものじゃない!」
「それがどうした」
触れることの出来ない幽霊は真正面から少年にぶつかっていく。
「始まりなど誰であれ何もない。いや、そんなものを始まりなどと呼ばん! 誰一人としてただ一人から何も生み出しはしない! 誰かに与えられて初めて『自分』が始まるのだ!」
始まりは、与えられた葵の名、隔離された離、不自由な身体――許婚。
「花蓮と出会えたのも、未希に巡り合ったのもお前が生んだモノが結んだ縁ではないだろうさ。しかしな、与えられたモノであろうと、お前のモノであることに変わりはない」
そして、花蓮が会いに来てくれたこと、それが生んだ劣等感。未希がやってきて、施してくれた新たな身体。
「中身もないのに形を保ちたいなどと望むわけがない。お前は確かに積み上げてきたものがある。だからこそ、保っていたかった。それが無くなることを恐れているんだ。あの日のように……」
自分に与えられたモノが壊されていくのを、何も出来ずにいた、あの日。
「それがお前の中にある漠然とした不安の正体だ。答えは二つ、空虚だと思い込んでいた自分への不信、自分の内にあるものを二度と失いたくないという焦燥。その二つから分岐して多くの問題があるように見えているだけで、考えすぎるから複雑に感じるんだ」
だが、根幹を成すその二つはとても大きい。
文字通り日向に根付く太く、そして枝葉が絡まりあった二つの樹木。
「なに、焦ることはない。誰もまだお前を急かしていない。自分ひとりで抱え込んで
日向では想像も付かないほどの時間。世界を眺めてきたこの幽霊は果たしてこのちっぽけな少年にどんなモノを見ているのだろう。
それはまだ読めないが、ただ幽霊は年長者らしい落ち着いた笑みを浮かべるのだった。
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