「入らないのか?」


 顕れたケイカが玄関前で立ち止まっている日向が中に入るのを待っている。

 すっかり遅くなってしまってからの帰宅、寮を出る前に花蓮には一時間で戻ってくると告げたのに、もう三時間は経ってしまっている。


「なんて言われるかな……」

「そんなものは蓋を開けてみるまで分からんだろ。尻込みしたところで結果は変わらん、さっさと入れ夜は冷える」


 日向は幽霊でも寒さを感じるのかと思ったが、ケイカは日向の身体を心配しているのだとその表情から読みとった。


「それもそうだな……」


 ケイカに急かされながら、日向はおそるおそる、まるで重たい鉄の扉を開けるようにゆっくりと開ける。

 できれば誰とも顔を合わせることがないように祈りながら、そろりそろり顔を覗きませる。


「…………ただいま」


 玄関に人影はない、誰にも気づかれず入るなら今だろう。

 こそこそと忍び込むように日向は玄関から二階の自室まで最短のルートを通っていく。

 階段を上って突き当たりを右ですぐに日向の自室、つまり階段を上りきればゴール――。



「おかえり」


 

 階段を上り右を向くとソコには腕を組みながら仁王立ちで待ち構えている花蓮がいた。

 その表情はいつものしかめっ面ではなく、本気で起こっているときの感情が死んだような無表情。

 花蓮はただ無言で日向を睨みつけ、日向は目を反らしたくなる。

 けど、本気になってくれてる相手から逃げるというのは、日向にとって心苦しいものでもあった。


「怒ってる……よな」

「あたりまえでしょ」


 観念したように日向は花蓮と正面から向き合うと、花蓮は表情は変わらないままだが強い口調で圧力を掛ける。


「とりあえず、部屋に入りなさい、話はそこからよ」


 まるで投獄される囚人のように俯きながら看守役の花蓮を伴い自室に入る。

 部屋に入るなり日向をベッドに腰掛けさせた花蓮は断りを入れる素振りも見せず、しかも全く遠慮することなく日向のクローゼットを開け寝巻き用のジャージを迷うことなく取り出す。

 これが物心付いたことからほとんどの日常を共にしてきた幼馴染の成せる技か。


「脱ぎなさい。汗で濡れてる服なんていつまでも着てたら悪化するわ、身体拭いたげるから」


 花蓮は手際よくあらかじめ用意していた濡れタオルやら一式をスタンバイしている。


「いいよ、そのくらい自分で出来る」


 花蓮は日向に鼻がつきそうになるほど顔を近付ける。


「今のアンタに私の言うことを断れる権利があると思ってんの?」

「それとこれとは話しが――」

「いいから黙って脱ぎなさい! 別に下まで脱げって言ってるわけじゃないでしょ!」


 日向が自主的に出来る出来ないでなく、花蓮としてはこれ以上不足の事態が起きて欲しくないから過敏に心配しているのだろう。それにプラスして日向に施しを拒絶されて躍起になってる部分もある。


「動けないほど重症ってわけじゃねぇんだから自分でやるっての」

「善意は黙って受け取りなさい、さもないと――」

「待て、なぜベルトに手を掛ける! その理屈は解らん! 少し落ち着け!」


 花蓮は冷静に見えて実はかなり狼狽えているのだ!


「花蓮ちゃん、スポーツドリンクとか買ってきた……よ……」


 タイミング悪く、花蓮に頼まれておつかいに出掛けてた桜は帰ってくるなり鉢合わせてしまった。概ね日常とはかけ離れたその光景を認識するのに時間を要した。

 それは見たままを言えば簡単である、花蓮が頬を紅潮させた日向のズボンを脱がそうとベルトに手を掛けている、という状況だ。


「…………」

「…………」


 桜の出現により暴走気味だった花蓮の動きが凍り、世界が止まったような時間がその空間に充満する。


「把握、邪魔をしました。買ってきた物はここに置いておきますので必要とあれば」

「待って! 急に敬語にならないで、立ち去らないで!」


 花蓮が誤解を解こうと桜を引き止めるが足運びの極意を修得している桜のスピードに追いつけるわけもなかった。


「少しは頭冷えたか?」

「なんでアンタはそんなに冷静なのよ……」

「疲れてるから一々反応するのが面倒なだけだ。百歩譲ってやるから、上半身だけなら清拭を頼む」


 うなだれる花蓮に対して、熱で体力が消耗している日向の反応は薄い。

 それと、日向には桜が解っていて、からかっていることもなんとなく察しがついている。

 今更、桜ごときにどう思われようと構わないとも思っているので、日向からすれば大した問題ではないのだ。

 結局、ベッドの上で上裸で胡坐をかく日向の背中をベッド脇に腰掛けた花蓮が濡れタオルで丁寧に身体を拭くことになった。

 目的は果たせただろうけども、どこか悔しい思いを噛み締めながら、花蓮は日向に迫った理由、ことの本題に移る。


「どうして怒ってるか、それは分かってるわね?」

「ああ」

「未希から連絡があったから、大体なにがあったかは知ってる。どうして黙ってたの?」


 背中を拭く少女の潤んだ声に、日向の心はざわついてしまう。


「あんまり大げさに心配されたくなかったんだよ。それに、ドクターにはこれ以上気負って欲しくなかったから……」


 取り繕っても仕方がないと日向は観念して少しずつ花蓮に話していく。


「祖父ちゃんや寺のみんなが黄金の環に殺されたとき、俺は無念無想をコントロール出来ずに高熱でぶっ倒れた。今だって、怒りが完全に収まっていない。けど、それ以上に、ドクターにあんな顔をしてほしくなかったから」


 もう二度と、未希にあんな笑い方をして欲しくないから。

 そのために、自分が強くなりたいと、日向は思ったのだ。


「その結果は?」

「返す言葉もないな」


 結果として、日向のやったことは余計に未希を追い詰めることになっていた。


「心配を掛けたって分かってるなら一つだけ、ちゃんと分かってて欲しいことがあるの」


 花蓮は日向の肩を掴み、強引に日向の身体を自身の方振り向かせる。

 本気で怒っている状態の強張った無表情が解け、穏やかさと悲しさが入り混じった複雑な表情を見せる花蓮。


「日向の考えてることは分かった。けど、あんたがそれだけみんなのことを思ってくれてるように、あんたのことを思ってくれてる人がいることを忘れないで。本当に思ってくれてるなら、ちゃんと話して、自分を大切にして」

「二つじゃねぇか」

「そんなことはどうでもいいの。約束して、無茶なことをするならまずは相談、絶対に私たちが知らないうちに倒れたりしないで」


 確約できる自身のない日向は顔を逸らそうとするが、花蓮に両手で顔を押さえられ否応なくその曇りない瞳を見せ付けられる。

「約束、して。私はアンタみたいに強くないから……身体を張って守ってあげることが出来ないから……!」


 純粋すぎる黒い瞳、ただ一途に目の前の少年のことを思慕するその瞳から、日向は逃げ出すことが出来なくなった。


「わかった……」

「絶対に……絶対にだから……」


 花蓮は念を押すように軽く額を付き合わせた。

 不意に近くなった顔の距離に日向の熱が上がりそうになる。

 ついでにこの空間に居合わせていることを完全に忘れ去られているケイカは、とてつもない胸焼けを起こして悶え苦しんでいる。


「ただいまー、今からご飯作るから少し待っててねー。日向ースポーツドリンクと滋養強壮剤、ようは栄養ドリンクだね。体力が消耗しているときは荒療治だけど栄養補給に効果的だから、買ってきた……よ」

「…………」

「…………」


 ひょっこりと買い物袋を携えて帰ってきた未希が日向の部屋を覗きこむとそこには、上半身の肌を晒している日向とそれに顔を接近させている花蓮が(しかもベッドの上に)いたッ!

 再び(主に花蓮の)時間が凍る。

了解Einverstanden、ここに差し入れを置いていく。未成年の子作りはリスクが大きい避妊だけはしっかりとしておくんだ。それでは邪魔したね」


 いつも以上に優しい微笑を浮かべて立ち去る未希だが、それが今の花蓮には相当突き刺さる。


「……」

「今度は大人しいな」

「私も疲れたのよ……ほら身体拭いたら水分とって栄養剤飲んで休んでなさい。それにしてもしまった、桜に買い物頼んだこと未希と共有するのを忘れてたせいで同じものがいくつか被ったわね。二人ともアク○リアス派なのね」


 未希も桜もアク○リアスと栄養ドリンクを買っていて、桜は花蓮のオーダー通り冷却シートと制汗シート、未希は首に巻くタイプの保冷枕に氷嚢、ご丁寧にどちらも直ぐに使える状態になっている。


「流石は未希ね。用意がいい……ん? 何これ」


 桜と未希両方の買い物袋の底から似たような見慣れない箱が発見された。表面には何を表しているのかわからないがそれぞれ「0.02」「0.1」と記載されている。


「薬かしら? けど未希なら自分で処方するはず……」

「ドクターのヤツの裏に付箋が張ってあるぞ」


 横から覗いた日向が発見した付箋には未希からのメッセージが添えられていた。


『体力を損なっているときほど、人間は種の保存を本能的に優先させようとするんだ。つまり性欲、性力が増加する。誘うなら今がべス――』


 そこまで読んで花蓮は付箋を破り捨て、裏付けからその箱に入っているものの用途を理解し二つの箱を部屋の外へ投げ捨てた。 


「余計なお世話よ!」


 日向はあの箱が何だったのかわからず結局なんだったのか気になったが、疲れから襲い掛かってくる睡魔に勝てず、結局そのまま倒れるように眠りに付いたのだった。

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