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 ソイツはどんなときでも微笑ほほえみを絶やさなかった。

 いや、そんなこともないか、怒るときとか真面目な話のときは真っ直ぐな目になる。

 ただ、その微笑ははぐらかすようなものではなくて、なんでも受け止めるような感じの真摯なモノで、決して逃げたり背けたりするモノではなかった。


 そんなソイツはただの一度も諦めたりしなかった。


 多くの人間が匙を投げ、何度も希望を持たされては諦めさせられた少年から逃げずに向き合い、可能性を手繰り寄せた。

 親から見捨てられ、小さなおりの中にいた少年に、扉を抉じ開けて差し伸ばされた小さな手は本物の希望だった。

 だからこそ、少年は許せなかった。

 眩しくて、釘付けになるような微笑に影を落をさせた存在を――自分自身を。

 そんな笑顔かおをしないで、そんな泣きそうな表情かおをしないでくれ――



「――ドクター」

 


 無意識のうちに自分の口から零れ落ちた驚いて日向は飛び起きた。


「お、お目覚めか」


 今の寝言を聞いていなかったのか特に気にする様子もなく、保健室のソファーで寛いでいた三角はゆったりと立ち上がる。

 目が覚めると居場所が変わっていることに僅かな戸惑いを見せた日向だが、すぐに設備や環境から校内の保健室であることを察して胸を撫で下ろす。


「俺、確か演習場にいて、それで……」


 まだ目覚めたてで朦朧とした頭で日向は事前に起きたことを霞を取り払うように思い出していく。


「なんだ……その、悪かった」


 日向が完全に思い出す前に三角が歯切れ悪く謝罪の言葉を口にする。

 そこで、ことの顛末を思い出した日向は未希の処置もあって熱が引いたこともあって、激しい怒りの熱も冷めていた。


「気にしないでくれ先生、アンタなりに俺のことを考えてくれた結果こうなってしまっただけなんだ。厄介な体質を持った俺が悪い。それに言われてみればアンタの言うことはあながち間違っちゃいないし、祖父ちゃんのことも本心じゃないのは分かってる」


 不意の挑発にとことん弱い日向だが、一度落ち着いて考える時間が与えら得れると冷静に言動を分析してしまい感情が凪いでしまう。

 感情メーターが0と100にしか動かないのだ。


「気にしてないなら助かる。そそ、ソイツからの伝言なんだが」


 『ソイツ』と三角が指差すのは日向、伝言を渡す相手にそれはおかしい、それに、指し示すことができる距離にいるのに伝言というのも、日向は少し不思議に思って三角の意図を探る。

 指を差すというのは人や場合によって示す範囲が違う、日向は指先の直線上のモノを指し示すことが一般的だと判断していたが、例えば方向であったり、指先から扇状に広がって面で示している可能性もある。

 それで且つ、近くにいながら伝言を頼まざるをえないということは、発言できない状態にあるということ、ここは保健室、つまり、先ほどまでの日向同様にベッドで休んでいる。


 つまり、①日向のいる方向、または三角の正面の広い、けど短い距離の範囲 ②発言出来ない状態=ベッドで休んでいる。という二つの条件を満たしている存在からの伝言。

 日向は実に無駄に冷静な分析をしていた。

 視界の端に映る灰銀からさっきからチラついていて、もう誰のことを指しているかわかっていたから。


「見て見ぬフリをするな、現実を受け入れろ」

「待って、まだ早い。現実を受け入れるために状況をゆっくり認識してるんだ。俺はまだこの腰にしがみつくモノの正体を確認してないし、銀髪も白衣も見ていない!」


 そう、三角が指差しているのは日向……の腰の辺りを抱き枕の代わりにしている未希だった。


「仮眠を取るつって、お前を寝かせてたベッドに潜り込みやがった。止めたんだがすでにスイッチをオフにしていたコイツを止めることはできなかった。本当に悪かったと思ってる」


 仮眠を取ろうと保健室のベッドを使おうとした未希だが、養護教諭に使用済みベッドを増やすなと苦言を呈されたため、日向と同じベッドを使えば問題ないと、ある意味正しく、確実にどこか間違えてる行動に出たのだ。

 嫌われているかもと心配していた割りに図太いというか、妙なとこでドライ。

 なんとか未希を引っぺがし、ベッドから転がり落ちて尻餅をつきながらも脱出した日向。

 はがされた未希は代わりに掛け布団に抱きついている。どうやら側臥位(身体の側面を下にして横になる体位)でなければ寝られないらしい。


「仮眠とか言ってた割りにぐっすり眠ってんな」

「それで、コイツからの伝言って?」

「そのことだったな。とりあえず帰ったら自室で安静に待機。次に、大事を取って明日は学校を休めとのことだ、診断書はもう受け取ってる」


 そんなに心配されなくても、と反論しようと立ち上がろうとする日向だが普段より重く感じる身体によって生じた立ちくらみに、未希のドクターとしての判断は間違いなく正しいことを認識する。


「まあ妥当な判断だな。説教の一つや二つは覚悟しておけよ、ほれ」


 三角が差し出した肩を借りてバランスを取り戻す日向。

 そのまますっかり日の落ちた学校の駐車場に連れて行かれ、車の助手席に放り込まれる。


「わざわざ送ってもらわなくても……」

「お医者様に寮まで送ってやれって頼まれてんだよ。黙って乗ってろ」


 三角が手早く発進準備を整えてしまったため、降りるに降りれず渋々シートベルトを絞めて状況を受け入れる。

 初めて乗る三角の車は煙草の臭いが染み付いていた。日向の故郷では喫煙者がいなかったし、周囲から煙草なんてものは徹底して排除されていたため少し新鮮である。


「面白いもんなんてなんもねぇよ」


 もの珍しそうに日向が社内を眺めていると、それを咎めるように三角が釘を刺す。


「悪い、祖父ちゃんの車以外に乗るのが初めてだったから」


 そんな煙草臭い車内には似つかわしくない有名テーマパークのぬいぐるみ型のストラップがルームミラーに引っ掛けられていた。


「似合わんだろ?」

「正直……」

「そりゃ、俺が選んだわけじゃないからな。娘が俺に選んでくれたモンだよ」

「…………」

「んだよ、俺に娘がいちゃおかしいか?」

「正直……」


 教師として不真面目な三角が家庭を持っている姿を日向は想像出来なかった。


「そもそも、俺なんかが教師やってることがおかしいって思うだろ。仕方ないのさ、俺が教師なんて面倒なもんを生業にしてんのは家族がいるからだ」


 言われてみれば、最強と謳われる三角が一介の教師に留まっているというのは奇妙だと日向も思っていた。


「俺が一人だったらなんも考えなくていいただ敵を斬ってるだけの現場でも良かった。どんな結果になろうと独りなら、自分で決めたことなら甘んじて受け入れることができたからな。けど、あの人と出会ってから理由が出来ちまった」

「理由……」

「それまではただ魔術使いとして生まれたからってだけで、なんとなくでNNNに方舟に入っただけだった。それでたまたま戦うってことに向いてたから、何も考えずに剣を振り回してた。目的なんてなかったから生きていたい理由も死にたい理由もなかった。なんとなく今息をしているから生きていた。そんな俺に生きていたい理由をくれた。死にたくない理由を」


 初めて見た、三角奏という男のやる気のない教師でも、余裕ぶった師匠でもない、ただ一人の人間としての父親としての表情。


「理由を与えられちまったから、死ぬのが怖くなったし、家族の傍で過ごしたいと思った。だから俺は方舟で教師をしてる、ここが一番、すぐに駆けつけられるからな」


 ああ、成るほど――


「それがアンタの強さの秘訣か」

「そうだな、俺は守るべき愛する家族がいる限り絶対に死ねない。ただ、それだけの理由なんだよ。死にたくないの最適解が強くあることだった、それだけだ」


 少し、三角という人間が解った気がする、そして、あの言葉の真意も少しは。


「下らん話をしたな。ほれ着いたぞ、さっさと休んで体調を万全にしておけ。んで、俺の言ったことの意味をしっかり噛み締めろ」


 三角の話に聞き入っていると、気がつけば寮に到着していた。


「じゃあな、回復したらまた手合わせくらいは付き合ってやるよ」


 そう言い残して去っていく三角の姿は日向の見慣れたどこかくたびれたおっさんの三角に戻っていた。

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