4-1

「よくも私を蹴り飛ばしてくれたな」

「だから悪かったって、いつまでも根に持つなよ。てか、蹴ったのは蛍火だろ」


 すでにあの喧嘩から二日経過して日曜日、それでもまだケイカはあのとき日向に蹴飛ばされたことを根に持っているようだ。


「同じようなものだ! それに、お前、私の制止を無視したな」

「それは……」

「まさか突沸するとは思わなかったが。それでも少しは落ち着いて考える余地は無かったのか」

「なんていうか一瞬で……頭ン中が熱くなって」


 自身への悪口雑言は一切意に介さなかった日向だが、関係のない、しかもいわれの無い身内への侮辱には歯止めが利かなくなるらしい。


「投薬治療が裏目にでたな。感情を押さえ込んだ生活によって慣れない未経験の感情に耐性が無さ過ぎる。そういう意味でもあの蔦原とかいう少年との相対はいい経験になったことだろう――ところでお前はどこに向かっているんだ?」


 日向は黙って進行方向に指し示す。


「遅い、もう蔦原くんも司馬くんも船で行っちゃたわよ」


 もはやアレがデフォルトなのではと思うほどに板についた腕組み仁王立ちで待ち構えている花蓮、すぐ傍に桜、どちらも私服に身を包んでいる、当然日向もだが。

 日向がケイカを引き連れてやってきたのは、方舟の端の連絡港。

 ここは方舟と本州を唯一結ぶ港で、学生や方舟に住まう人々が利用する定期便や企業向けの貨物船などが行き来する。


「結局、アイツの眼鏡に付き合わされるわけか」


 一度は断った日向だが、壊した当人であるわけで誠意を示すためにも、とかなんとかってことで本州の方にあるショッピングモールに行くことになったわけだ。


「わざわざ、お前らまで付き合うことないんだけど」

「暇なのよ」

「わたしは仕事、方舟の中なら別にべったりじゃなくていいけど、外ってなるとしっかりしとかないとなもんで、未希に任されてるし」


 今日は、というか昨日もだが、未希は早朝から出かけている。相変わらず、読みづらい微笑みではぐらかして詳しいことを話さないが。


「ほら次の定期便が来るわよ」


 少し急ぎ足で待合い場所に向かう花蓮の背中をゆっくりと追う日向と桜。


「遊びに行くわけだしてっきり、お前はもうちょいはしゃいでるもんかと思ったんだが」

「いやいや、わたしは仕事だし、未希もいないのに好き好んでリア充カップルのデートに付き添うわけないじゃん」


 カップル? という表情をした日向に、花蓮と日向を順番に指差す。


「誰がカップルだ、アイツとはただの婚約者で幼馴染だよ」

「はあ?」


 なにカマトトぶってんだよ、と怪訝そうな眼で桜が睨む。


「ただの婚約者で幼馴染がこんなとこまで付いてくるわけないじゃん。私なら仕事でもないのに日向なんかに付いてかないよ」

「おう、結構きついこと言ってくれるな、船乗る前に一戦するか?」

「そりゃ、日向のことは好きじゃないもん。けど、そのきついことを、わたしじゃなくて花蓮ちゃんに言われたらどう思う?」


 言われて、想像して、日向は後悔し、膝から崩れ落ちた。


「そんな風になるくらいなんだから、少しは自覚したら?」


 それは、理解しているが、それより、こんな自分を花蓮が好いているとは思えなかった。

 方舟にやってきたのも、自分とは関係のない理由かもしれない。自信をもっていない日向には花蓮が何を思っているのか解らなかった。


「気にしなくてもわたしは離れて警護してるし、眼鏡の件が終わったら蔦原くんたちを遠ざけておくから、存分に二人を楽しめよ」

「いらん世話を焼くな」


 いつか、口に出来るのだろうか、あるいは花蓮の口から。かつては停滞して欲しいとまでに願った時間を急かしたくなる。





「うるせぇな! お前には関係あらへんやろ!」


 若干、聞きなれ始めている純関東産の関西弁が怒鳴っているのが聞こえる。

 定期船に乗って本州に辿り着いた日向たちは港で誰かと言い争いしている蔦原と後ろで頭を抱えている司馬を遠目で確認した。


「以前のお前の眼鏡は丈夫さが売りの代物だっただろう。それを壊したということは、喧嘩したんだろ、どこのどいつと、どういった理由で」


 言い争いをしている相手は日曜日だと言うのに制服姿の少女、花蓮のように仁王立ちだが、花蓮と違い胸を張って腰に手を当てている。スポーティーなポニーテールで、キリッとした表情から強気さと自信を感じる。


「ガチで上から上から目線にものいうのやめぇや!」


 あと若干蔦原より背が高い。


「いいから白状しろ、喧嘩したんだろ、少しはウチの学生としての自覚をだな――」


 説教モードの少女と辟易している蔦原を傍目に後ろで呆れている司馬に日向は話しかける。


「どうした」

「お、ようやく来たか、少し面倒なのに絡まれた」

「俺も面倒なのに絡まれたからここにいるわけだが?」

「それは言葉が多少通じない『面倒』な方、こっちはある程度話せば解る『少し面倒』な方」


 司馬の話によると、日向たちを待っていたら普段眼鏡の蔦原が裸眼でいるところを今、蔦原を説教している風紀委員の少女に気づかれ、問題児として要注意人物に指定されている蔦原がまた問題を犯したと疑われ尋問を受けている状態らしい。


「今回は教師立会いのもと行なわれた試合だからグレーゾーンよりの白なんだがな」

「日頃の行いね、司馬くん止めないの?」

「そう思ってたんだが、擁護しきれるだけの証拠がなかった。が今しがた到着した」


 なるほど。


「あー、遅れてすまんかった。蔦原」

「あぁん? ってなんや葵か、丁度よかった。この仁王像にゆうたってくれや」

「誰が仁王像だ。それで、キミは確か高等部からの編入生の葵 日向だな。最近の授業で大立ち回りしていた。よく憶えている」


 どうやらこの少女も、日向と桜の殴り合いに良い顔をしてないらしい。当然といえば当然だが。


「こいつの眼鏡を破壊したのは俺だ。放課後に三角先生に立ち会ってもらった試合でバッキリと」

「そうや、そうや、それで今日はコイツに弁償してもらうために本州コッチに渡って来たっちゅうわけや」


 我が意を得たとばかりに、蔦原は少女に詰め寄る。ただ、弁償云々は余計だ。


「ふむ、では教務係に確認を取らせてもらうが、何の問題もないな」

「ああ、構わない。えーっと」


 日向は名前を聞いてなかった。


「菊月 真弓だ。まだ新しい慣れていないのは仕方がないが、隣の席のクラスメイトの名前くらいは記憶しておいた方がいいぞ、葵」


 険しい表情で日向を一瞥した後、手早くケータイで学校の方に連絡する菊月。


「おい、おっかねぇぞ、何だアイツ」


 背筋が凍った思いを感じた日向。蔦原が花蓮の突き刺すような視線に耐えられた理由も解った。菊月の視線は突き刺すなんてものじゃない、槍で貫き穿つような視線だ。

 単純に態度だけでなく、権力や実力がないとあれだけの気迫は生まれないだろう。


「せやろ、アイツはなにせ風紀委員やからな。知っとるか、ウチの風紀委員って実技成績上位二十名からさらに五人選抜しよんねん、んで、アイツはウチの学年一位、選抜も主席」


 そんな奴に噛み付いてたのか、と日向が蔦原に感心しかけていたが、良く見ると脚とかガックガクに震えていた。


「なるほど、確かに金曜日の放課後に三角先生の名で模擬試合が受理されている。は濡れ衣だったようだな」


 再び強い視線で蔦原を睨みつける菊月、初めて日向は蔦原を庇ってやりたいと思った。


「だが、いや、特にここは方舟の外では一般人も多数いることを考慮して慎んだ行動をとるように……キミ達もこの馬鹿犬の手綱を握って置くように、話は以上だ」


 最後まで険しい表情を崩さず、ぴんと張った背筋のまま菊月は立ち去っていった。


「せめて無駄に疑ったことを謝ってからどっかいけよ」

「本人を前にして言える自信は?」

「あるわけねぇだろ……」


 その場にへたり込む蔦原に傍観していた三人が寄ってくる。


「立てるか誠」

「今の娘、いいね、強そう」

「かっこいい……」


 三者三様の反応、特に女子は蔦原を気に掛ける素振りすらない。

 男子からすればおっかないという印象が強いが、女子的にはかっこいい部分がフィーチャーされるようだ。


「男の方が俺に優しい現実が憎い」

「交通事故にでもあってくるか? 上手いこと転生できたら万々歳だぞ」

「やめとけ、車の方が気の毒だ」


 魔術使いが車と衝突すれば十中八九、車だけがダメージを被る。


「俺はこの辛い現実を背負いながら生きていく。それだけだ、行くぞ」


 なんか格好つけてるが、あの男は先ほどまで子鹿のように震えてへたり込んでいたのだ。


「すごいな」

「ああ、台詞パワーを借りてもかっこよくならないところが」 

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