4-2

「いらっしゃーせー、あ、いつものですね」


 蔦原の顔をみた店員がおおよそ眼鏡屋で聞くことの無い台詞とともに奥に引っ込もうとする背中に蔦原がストップを掛ける。

 というか蔦原は店員から顔を覚えられるほどの常連なのか。


「いや、今日はこの店で一番高くて丈夫なフレームを頼む」


 そして、蔦原もおおよそ眼鏡屋で一生することのない注文を告げる。


「『とりあえず端から端まで』の方が夢があったな」

「他人の金で言ってる時点で格好ついてない」

「そもそも、俺が壊したのは一本だ、それ以上は認めねぇよ」


 店員が蔦原のオーダーした商品を取りに下がったあと、男子三人が軽口を叩き合う姿は普通の高校生のように見える。

 それを傍目に女子二人はトーク。


「なんだかんだいって、いい感じに友情芽生えてんじゃん」

「不良だけどね、てかたかられてるし」


 状況だけまとめれば、因縁つけられて、壊したものより高い弁償払ってと、完全に当たり屋である。


「いいんじゃない? 別にあの二人は日向が坊ちゃんだからって、ヘコヘコしてるわけじゃないし。自分の身分を感じさせない対等な立場の方が日向には心地いいでしょ、わたしはどこまでいってもアイツの護衛で部下なんだから」


 日向から自信を奪うモノ、それは、彼に纏わり付く肩書き。それは他人がどう思っていても彼にとっては重荷であり、それが本来の彼を覆い隠すモノだった。

 だからこそ、行動や態度でそれを払拭してくれる相手というのは彼にとって気持ちのいい存在なのだ。


「私もどこまでいっても許婚、日向に『葵家の御曹司』のレッテルを感じさせる存在そのものよね……」


 確かにその通りである。

 日向が自分に価値を求めたい思いと肩書きしかないという思い込みのジレンマの原因の第一に花蓮がいる。それに間違いはない。


「けど、日向にとっての花蓮ちゃんはそれだけじゃないんだよね」

「どういうこと?」

「日向とって花蓮ちゃんは、わたしにとっての未希ってことだよ。ないとあんどぷりんせす」


 どっちが騎士か姫かは知らないけど、と付け足しそうになったが、姫と呼ばれる方が花蓮的に気分がいいだろうと思い飲み込んだ。


「ありがとう、桜はかわいいわね」

「うおっ、実りを押し付けるのはやめて……辛くなってくる」


 嬉しくなった花蓮が桜を胸に抱き寄せるが、桜は猫のように両手をピンと伸ばして拒否する。


「どうや!」

「あんま見た目に違いは見られないが」

「どーでもいい、それでいいなら会計するぞ」


 黒い角眼鏡を掛けてポーズを取る蔦原に適当に相槌を打つ。


「おう、やっぱ高級なもんはなんか付け心地がちゃうな!」


 蔦原はあえて値段を見ないで買い物をしないのが夢やった。とか言って受け取った眼鏡を選んだのだが。


「実はアレいつものなんですよ、蔦原さん、いっつも一ヶ月くらいで壊してくるから、高いのも壊されては眼鏡も浮かばれないので」

「あー」


 実際に購入する日向に店員は真実を告げる。どうやら、蔦原の格付けチェックは不正解らしい、待遇は現状維持だけど。


「んじゃカードで」


 薄い財布から日向が取り出したのは漆黒のクレジットカード。


「……」

「……」

「……」


 黙り込む少年たち、凍りつく店員と店内、ため息をつく少女たち。


「あれ、ここカード使えませんでしたっけ?」

「いえいえ、かか、か、カードをお、預かりします」


 花蓮はあんなものをお預かりしなければならない店員を気の毒に思いながら顔を背ける。


「矯正ポイント、常識的な財布の中身、日向そういうとこやぞ」

「あれのどこが普通の高校生よ……」


 とにかく、いいとこのボンボンのレッテルを引っぺがすには、直すべき点が山ほどあるらしい。



「心臓鷲掴みにされた気分よ……」

「普通、高校生はクレカ持ちじゃないのか、勉強になった」

「違う、そういう次元の話じゃない」


 頭が痛い花蓮は出発前に頭痛薬を未希から処方してもらうべきだったと後悔する。

 ブラックカードを見ても蔦原も司馬も態度を変える様子は無かったからよかったものの、あまり迂闊なことをしすぎると、これ以上、友人カウンターは増えないだろう。

 眼鏡を買い終わったあと、蔦原と司馬は本州にあまりいたくはないと、いって方舟に帰っていき、桜は花蓮と日向に気を使って姿を隠している。

 なので、今は日向と花蓮の二人きりである。


「別にここに残ってもやることないしな、俺たちもさっきの便で帰れば良かったか」

「やることならあるわ」

「買い物ならこの間したばっかりだろ」


 急な入寮となったのでほんの一週間前にここに来たばかりの日向には特に欲しい品があるわけでもない。


「アレは生活必需品の補充でしょ、今日は私の趣味に付き合ってもらうわよ。ココ最近私に迷惑掛けてる詫びだと思いなさい」

「まあ、用事も無いしな」

「それじゃあ決まりね、行きましょ!」


 実を言えば、花蓮は日向と二人で歩きたいだけ、そして日向も満更ではない。


「どうして、アレで付き合ってないんだ? あいつら」


 姿を隠してSPごっこをしている桜は、見てるだけでもどかしい二人を観察するという地獄のような苦しみを味わっていた。


「私も未希とデートしたいなぁ……」



「あれ、ドクターか?」


 不意に放たれた日向の一言に逸早く桜が反応する。

 日向の視線の先にいるのは確かに未希だ。普段との違いは制服ではなく私服の上から白衣を羽織っている点と大型のバイクに跨っている点。


「いいもの見れた♪」


 普段の眠気眼と違い、仕事モードの真剣な眼差しの未希をケータイのカメラでズームし記録することに成功した桜は『未希も仕事頑張ってるみたいだし、わたしもがんばろー』と気合を入れ直すのだった。


「頑張ったら、また褒めてもらえるかなぁ」


 優しく触れてくれる未希のヴィジョンを思い浮かべながら、きっつい友達以上恋人未満のデートの観察を続ける。


「今更、未希が何してようと気にしたってしかたないでしょ。秘密主義なんだから」

「それもそうだな」 


 その後も繰り広げられる、胸焼けのするシーンの連続に桜のSAN値正気度はクリティカルを食らいまくることになるのだった。



「満足したか?」

「ええ、充実した休日だったわ、掘り出し物もかなり見つかったし」


 日が落ちるには少し早いが花蓮は目的を十分に達成したようでこれ以上長居することもないと方舟に帰るべく来たときの港に戻ってきた。というか、桜がグロッキー状態で救難信号を送ってきた。


「……吐いていい?」

「魚の餌にしてこい」

「了解……うっ」


 波止場に跪く桜の背を見ながら、体調が悪いなら最初から言えばいってくれればいいのにと思う、原因の自覚がない日向と申し訳ない気持ちでいっぱいの自覚たっぷりの花蓮。



「港から魔術使いを追い出せー!」

「追い出せー!」

 


 桜を置いて先に定期船の待合所付近に行くと、なにやら人だかりが出来ていた。


「何よあれ」

魔術使い排斥アンチグリム団体のデモだ、日曜恒例のな」


 怪訝そうな表情で人だかりが掲げる看板やら横断幕にでかでかと書かれる『魔術使いは邪魔だ』とか『大衆>魔術使い』とかを眺める花蓮に、答えを用意したのは少し前に遭遇したばかりの菊月だ。

 なるほどデモか、菊月の口ぶりからするに方舟の人間なら周知なのかもしれない、だから蔦原と司馬は早々に帰ったのだろう。


「また会ったな。キミたちも今帰りか?」

「ああ、それにしても随分な人だな」


 ざっと数えるには多すぎるくらいの人、おそらく大衆たち。


「まあな、最近だと黄金の環の報道で機運が高まって割り増し気味だな。署名活動なども行なってるらしいぞ」


 方舟歴が長いからか、菊月はこのパッシングの嵐にも慣れているらしく他人事のように語る。


「気にならないのか?」

「初めは少しびびってたが、今となってはこういう活動している連中の絶対数が少ないことも分かってるし大したことはないさ、まあけど、これでは通行の邪魔だな。シフト明けだがちょっと交通整備してくる」


 まさか方舟の制服のまま菊月は魔術使い排斥団体の海に潜り込んでいく。


「はいはい、デモは結構ですが道を塞ぐ行為は辞めてくださーい、ここは公共の路上です。路肩に寄って意見を述べてください。あと拡声器は市の条例違反です。控えるようにしてください」


 初めて言葉を交わした瞬間から芯の強い少女だとは直感していた日向だが、ここまでのブレイバーだとは思っていなかった。


「あぁん! 何だてめぇ、方舟の学生かぁ!? どの口が偉そうな口を――」

「誰も、あなた方の主張に意見した憶えはありませんが、公共の場での迷惑行為を止めてほしいとお願いしているのです」


 団体の先頭にいるリーダーのような人物に頭を下げる菊月。それでもどこか論点がずれている団体の連中。


「勝手に俺たちの海にあんな方舟モン浮かべてる連中が、俺たちに楯突くなって言ってるんだよ」

「ですので、我々はあなた方のルールに則って――」

「意見するなって言ってんだよ」


 構わず怒鳴り散らすリーダー格に、冷静さを保っていた菊月の表情が歪み始める。


「――っはあ、言葉も通じない。文章も聞き取れない。自分達は大衆の品位を落としていることにも気が付かない。まるでキーキー騒ぎ立てる猿ですね。猿の方がまともな根拠を持って講義するだけ幾分マシですが」

「て、てめぇ!」

「顔を真っ赤にされてどうされました? まさか本当に言葉が通じるお猿さんだとは思わなかったもので」


 かなり頭に来てるようで、とんでもないことを笑顔で言ってしまった。

 リーダー格は掲げていた看板を振りかぶっている。


「これはまずいな」

「分かってる、何が慣れてるだよっ!」


 数時間ぶりに現れたケイカの呟きも程々に聞き流して日向は動き出す。

 今なら日向も、蔦原との喧嘩のときに自分を制止しようとしたケイカと未希の気持ちが理解できる。

 方舟歴が先輩と言えど、そりゃ言葉が通じないモノを一人で相手させるのはまずかった、と日向は思い至り、軽く分厚い人垣を跳び越える。


「悪い、ちょっと痛いぞ」


 菊月の傍に着地する寸前、耳元でそう囁き、その頭を鷲掴みにして港のコンクリートに叩きつける。それと同時に日向は跪き菊月より高い位置に頭を置く。

――バキっ

 振り下ろされた看板を日向の頭部に直撃すると共に、重たい音を鳴らしながら真っ二つに折れる。


「痛っ……これで気が済んだなら、手打ちにしてくれないですか。こっちは方舟に帰るための道が欲しいだけなんで」


 リーダー格の攻撃を受けたにも関わらず無表情を貫き、菊月を脇に抱え船の方に向かう日向の背に気圧され、デモはモーゼに割られた大海のように中央を空け始めた。


「これでも、大衆との共存の道があると思うか?」


「え?」


 ただ呆然と見ているしかなかった花蓮の背後から、そう問うた声があった。

 あったはずだった。

 振り向いた先には騒動に群がる野次馬たち、声はどこから聞こえたのか、本当に聞こえたのかすらも曖昧になってしまっていた。



「迷惑を掛けた。すまない」


 意気揚々と大勢に向かっていく姿は格好よかったのに、結果はコンクリートに頭を埋めることになった菊月は少ししょげていた。


「気にするな。それより、お前こそ大丈夫だったか、急なことだったから上手く加減できていたかどうか」

「問題ない、というかあそこで止めに入ってもらわなければ、もっと大変なことになっていた、正直感謝以外に言葉が出ない」


 船の甲板で二人のやり取りを眺めてるのは、ゲロ吐いていて一部始終を見逃した桜とただ見てただけの花蓮。


「なんで菊月ちゃんは日向に叩き付けられたのにお礼してんの、まぞひすと?」

「違う違う。日向はうっかり大衆に手を出しそうになった菊月さんを止めたのよ。いつぞやアンタが日向にやったみたいに抑え込んで」


 リーダー格が看板を振りかぶった瞬間、菊月が腰を落とし拳を握り締めたのを確認出来たのは最初からリーダー格大衆の逆上よりも、菊月魔術使いの暴発の方を警戒していた日向たちだけだ。


「下手したら、っつうか俺たち魔術使いが大衆に手を上げりゃ、その時点で流血、いや殺人事件になっちまう。昔何かで見た。そんだけ身体能力に差があるんだ」


 そう、現に大衆如きが振り下ろした木製の看板程度では、掠り傷にもなっていない。

 仮にあの時、日向が止めに入っておらず、菊月の思うままにさせていたら? 正解はあのリーダー格の腹に孔が開くか、上半身が吹き飛んでいただろう。


「普段からあんな調子なのか?」

「まさか、いつもはもう少し大人しいし、そもそも人数が大したことない」


 『あんな調子』というのは菊月のことを聞いたつもりだったのだが、まあ、それが菊月の忍耐が限界を突破した原因、ということだろう。


「あそこまで数が膨れ上がると、個々の強気さも増すのだろう。それに私もあてられたわけだが、だが、少し不本意なことがある」


 少し、と前置きした菊月だが、その実、「かなり」というほどに気分を害している風だった。


「確かに私が手を出しそうになったのをキミは止めてくれたことには感謝している。それでもあえて言わせてもらう、どうして、私を庇う必要があった?」


 思わぬ角度からの非難に日向は面を食らう。

 てっきり頭をコンクリに叩きつけたことを非難されるものだと思っていたから。


「そりゃ、あんなんでも当たったら痛いだろ」

「アレは私が受けるべき応報だった。私が火をつけたのだから始末をつけるべきは私であるべきだ」


 どうやら、菊月という少女は自分の不始末を他人に背負わせることを好まない性質たちらしい。


「どうだろうな。必ずしも因果応報が成立する世の中でもないだろ」


 まさか日向も善意による行為を非難されるとは思っておらず、どう返していいものか戸惑うしかなかった。



「所詮はキミも他の人間と同じなのか……期待外れだ」



 何を期待させていたのか分からないが、ただ、菊月が日向を突き放したということが現実として残っただけだった。

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