「馬鹿じゃない?」

「馬鹿なんじゃないかな?」


 放課後、教室にて戻ってきた未希と花蓮に馬鹿二人は呆れられていた。


「女の子に手を上げる男なんて、まあ、印象悪いに決まってるよね」

「あんな、骨が軋むような殴り合いをしたいなんて誰が思うわけよ」


 極めて客観的かつ冷静に妥当な評価を下す二人に、件の二人は少し不満げだった。


「桜相手に手ぇ抜いたら、フルボッコだし、ていうか、もはや桜は女子って区分じゃねぇだろ」

「真の友情は本気のぶつかり合いでしか芽生えないんだよ」

「けど、現実として、キミたちの『じゃれ合い』を見た子たちはドン引きしてたわけでしょ」


 どれだけ言い訳したところで、事実として日向&桜と他生徒との間に日本とブラジル並みの距離とアビスより深い溝が生まれたことには変わらない。


「どうして、自分たちで難易度を上げてしまうのかしら……」


 計画を委ねられている花蓮は、マイナスからのスタートをどう乗り越えるかで、頭を抱えるしかないだろう。


「リカバリーの方法も踏まえて、帰って作戦会議ね」

「それなんだが……」


 日向が続きを言う前に、キッ! と鋭い瞳で射るように睨む花蓮。


「アンタのせいで、こちとらやること増えてるのよ、それをちゃんと理解した上で何かッ! 文句ッ! あるのッ!」


 普段からキツめの印象のある花蓮だが本日は一層お冠のようだ。


「ああ、っとな……文句じゃねぇよ、少し学校に残る用事があるから、先に帰っといてくれ」


 少し言いにくそうに目を逸らし首筋を掻きながら答えた。


「用事ってなんだい?」

「編入の書類に不備があったみたいで、職員室まで書き直しに来いってさ」

「そのくらいの用事なら待ってるけど?」

「いや遅くなるかもだから先帰っといてくれ、んじゃ時間だから」


 明らかに不自然な日向は何かから逃げ出すように教室から出て行った。

 ちなみに几帳面な未希は全ての書類を提出前にしっかり目を通しているので不備など無いことを知っている。


「下手な嘘ね。思考あたまんなかでも覗いとくべきだったかしら」

「いや、そんなことをしなくても理由は解るよ」


 プライバシーなど知ったことかと物騒なことを呟く花蓮を暗い表情をした未希が嗜める。


「極力僕と一緒にいるのを避けたいんだろうね。昼も逃げ出されちゃったし」


 普段微笑を絶やさない未希も今ばかりは、その微笑もどこか力ない。


「アンタは気負いすぎ。あのとき、アイツの傍にいたのが誰でも結果は変わらなかった。むしろ、よくやった方よ」


 今度は呆れたように花蓮が未希を慰める。


「日向がどんな馬鹿だってそのくらいのことは解ってるよ。それに、あからさまに避けるようなな奴でもない。それは未希だって解ってるんじゃない?」

「そうだったらいいんだけどね」


 桜も励ましてくれるが未希の不安は拭いきれなかった。



 自分に実力があれば、日向は家族を失わなくてすんだはずなのに――



 そんな後悔が彼の中に渦巻いていて、どうしようもなく、動けなくしてしまっていた。ゆえに、日向からの拒絶は酷く未希を苦しませていた。


 

「後悔してるのは、アンタだけじゃないのよ」



 それは誰のことか、そこまで言わないのが花蓮だった。



 桜の言うとおり、未希の不安は杞憂だった。

 確かに、日向は皆に嘘をついてあの場から逃げ出したが、決して未希を避けようとしたわけではなく――。


「集合二十分前……どうして、葵家の連中はこうも時間に忠実なのかね……」 

「そういうアンタも、ちゃっかり時間前に来てるじゃないか、三角先生」


 日向がやってきたのは授業でも使った第一演習場。そこで、彼を待っていたのは担任の無気力教師、三角。

 あろうことか校内の、しかも日常的に生徒が利用する施設で三角はヤンキー座りで臭いのキツイ煙草を吹かせていた。


「わざわざ、職員室に戻るのが面倒だったんだよ。餓鬼どもが思うほどあの場所はイイモンじゃねぇからな」


 それは単に素行不良が目立つから職員室に居場所がないだけでは? という無邪気な質問は無為に三角を傷付けるだけだと思い、言葉を飲み込んだ。


「まあ、いい、やる気があるのは悪いことじゃない。早く始められる分、俺は早く愛する家族のもとに帰れるて訳だからな」


 まだ残りが長い煙草を携帯灰皿に押し込み、おもむろに立ち上がる。


「準備運動は……必要ねぇか」

「ああ、さっきの授業で身体は暖まってるさっさと始めよう」

 日向は授業後も着替えておらず、戦闘服のまま、授業の時と違うのは手に嵌めた篭手ガントレットと腰の左側に提げた日本刀。


「薊一刀流、零ノ型――空木ウツギ

 

 灰皿をジャージのポケットにしまい込むのが前触れ、二人の間に交わされた合図サインだった。

 日向が両の篭手を打ち鳴らすとそれらは、淡く輝く紅に染まる。

 日向が修得している数少ない魔術の一つ。魔力を熱エネルギーに変換し、特注の耐熱素材で製造された篭手と合わせた『竜爪』と呼ばれるている高熱の拳、彼の主戦力だ。

 右の竜爪から軌跡を描いて繰り出される掌底、病弱さから脱した後、祖父から習った薊一刀流の基礎の型、無手の剣術、零ノ型、その一形態。


「1、型に押さえ込み過ぎ。固い上に読みやすい」


 三角は日向の襲撃を完全に見切り、軽く横に飛び退いただけで躱しきる。

 冷めた目で動きの酷評を付け加える余裕すら持ち、それでいながら、三角は隙だらけの日向に手を出すことは無い。


「くっ……変成アレンジ衝羽根ツクバネ


 突き出した掌底を平泳ぎの要領で宙を引っかく、指を竜爪の名の通り爪に見立ててサイドにいる三角に食らい付かせる。


「2、発想は悪くないがお行儀が良すぎる。普段使わない動きをするぶん、動作の連結にぎこちなさがあるわけだ。繋ぎはキレと滑らかさが重要になる」 


 今度は指が当たる前に手首を掴み取る。

 だが、日向とて、この程度の付け焼刃が通じると考えるほど、三角の反射神経を侮っていたわけではない。


「参ノ型、アサガオ!」


 空いた左手で、側に提げている日本刀の柄に手をかける。

 固定された鞘から、逆手でアッパーカットのように刃がはじき出される。


「3、アホかお前。空いた片手に注意を払わん敵なんているわけないだろ。虚をつくならもっと右手に集中させてるときだ」


 振り上げた手中に刀はなく、抜刀して間もなく三角に蹴り落とされていたのだ。

 三角は日向の手首を離し、新しい煙草に火をつける。

 僅か数十秒の攻防は唐突に始まり、唐突に終わりを迎えたのだ。


「はい、お疲れ様、残念ながら今日も三手で俺をその気にさせることが出来ませんでしたよ、っと。またの挑戦をお待ちしております、ってな」

「難易度高ぇよ……」


 唐突に始まった手合わせは、日向が三角に付き合ってもらっている、訓練の一環だ。



 ことの始まりは、日向が方舟にやってきてすぐにあった編入試験。その場で三角に日向は桜と組んで挑み、秒殺されたのだ。

 後に未希から聞いたところ、この三角奏という男は現体制のNNNで最強の称号をほしいままにしているとか。

 以来、日向は三角に指南を願い出ることになるのだが……三角の物臭な性格から弟子を取る気はなく、無下に断って来た。

 しかし、日向もしつこく。粘りに粘り、挙句の果てには職員室から自宅まで押しかけて土下座で頼み込むものだから、折れた三角は条件付きで、日向に個別講義を放課後に執り行うことを約束したのだ。

 その条件とは、三角の談にもあるように、日向に与えられた猶予は三手。その間に三角に武器を取らすことが出来れば師事するというものだ。


「どう考えても不公平だ……アンタ、薊一刀流の特性知ってて、この条件突きつけてきただろ」

「当然、お前らの薊一刀流の得意分野は神速の抜刀から放たれるカウンター。つまりは必殺を念頭においた剣術だ」


 そう、日向の使う薊一刀流は相手が手を出してからこそ、真価を発揮するのだ。絶対に先手を取らないと宣言している三角とはすこぶる相性が悪い。


「真面目に俺の相手をする気はねぇってか」

「いんや、得意分野を伸ばすってのも教育の一手段ではあるが、もっと重要なのは弱点を無くすことだ。お前だって感づいてるだろ、弱点を突かれれば、そもそも得意分野に持ってこれねぇってことに」

「……」

「お前の祖父さん、葵瀧貴局長が現役の頃は完全無欠の対人剣技とも謳われた薊一刀流。だが、お前は未熟ゆえに、完璧の剣術に弱点を生んでいる。どういうことか解るか?」

「誘いの零ノ型が上手くいってない、だろ」

「そん通りだよ、誘い、挑発、誘発、相手が手を出したくなるような方法をお前は理解していない。ただただ、教科書通りに動きを真似てるだけなんだよ、それじゃあ、俺を釣れない」

「種を知ってるアンタ相手じゃ。どうしようもないだろ、それに、俺はそこまで器用じゃない」


 小さく煙たいため息を吐く三角の表情は、呆れ半分といった様子。


「図体ばっかし大人びて、中身が伴ってねぇなぁ……まあ、自分を客観的に分析できてるのは悪いことじゃねぇがな」


 もう半分は安堵、といった具合だろうか。三角は無邪気さを失っていたと思われていた日向の中に、僅かな子供っぽさを垣間見たことに妙な安心感を憶えたのだ。


「たしかにお前は薊一刀流の修練を始めてたった三年ぽっちのぺーぺーだ。それに加えて仕方ないとはいえ、一番感覚吸収の良い幼少期に寝たきりで過ごした分、本来の精密な技術がかなり粗い。だがな、遅れを挽回できるほどにお前の身体は仕上がってる、弱点を補うのは自分の強みだってのを憶えておけ」


 三角の話を聞いて日向は目を丸くしていた。


「アンタ、ちゃんと教師だったんだな」

「いんや、駄目なおっさんだよ。好き嫌いで物事を判断するのがご立派な先生様なものかよ」


 そのように嫌味を溢しつつも、口元が緩んでいる三角は日向に『教師』として認められたのに悪い気はしていないようだった。


「今日は気分がいいし、少しヒントをやるよ」


 肺いっぱいに煙を味わって吐き出すと、不気味な笑みで三角はこう言ったのだ。


「殴り殺す気で来い」

「また難しいことを、ここじゃ、どれだけ殺せないってのに」


 この学校、いや方舟全体を実験場にして試験運用されている装置、『絶対防御結界』通称、『アキレウスの鎧』。人体に受けるありとあらゆるダメージを0にする「怪我という概念を取り除く」ことを目指して二十年前に開発された大規模魔術礼装。

 アキレウスが正常に稼動している以上、方舟の中で流血、ましてや殺人などあり得ない。


「この言葉の意味が理解できれば、まあ半人前くらいには成長できるだろうよ。とにかく精進しな、葵日向少年」


 最後はいつもの適当なおっさんのテイストでひらひらと手を振りながら、三角はふらふらと演習場と日向を後にしていったのだった。


「殴り殺す……ねぇ……」

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