「午後一発目で眠てぇだろうが、シャキッとしとかねぇ痛い目見んのは自分らだからな」


 地獄のような昼休みが終わり、5時限目。

 日向の所属するクラスの担任教師のおっさん、三角がもっさりとしたジャージに身を包み、二クラス分の生徒の前に立って教鞭を執っていた。

 場所は艦内部にある第一演習場。広さはバスケットコートを2枚並べても余裕がある大きな体育館ほど、床はグラウンドのように砂が敷き詰められている。


「休みの報告は聞いてないが、一応、出欠取るぞ」

「先生、ドク……白雪がいません」


 出席番号が一番の日向が三角に欠席者を報告する。

 昼休みのチャイムがなると、未希はやることがあるから午後の授業は休む、と日向たちに告げて、そそくさとどこかに行ってしまったのだ。


「ちっ……野郎……サボりやがったな。まあいい、もともと、うちのクラスの戦闘訓練コースは奇数人だったし、余りモンなしで二人一組ができる。他に休みいねぇ見てぇだし、今日の授業だが――」


 頭をボリボリ掻きながら舌打ちという、概ね教師にありえない振る舞いを見せながら、三角は生徒たちに初回の授業の説明に入った。

 だが、日向は前で話す三角の話など上の空で未希に言われた「リハビリ」について考えていた。

 おおよそ、普通の生活を送っている人間にとっては『友達』などは意識せずとも自然とできるものである。

 しかし、幼少期を隔離された空間で過ごし、人と関わることを断ってきた日向からすれば、花蓮や桜以外の同年代の少年少女との関わり方というのは、これ以上とない難題だった。


「――説明は以上。とりあえず、出席番号順に二人一組を作れ、まずは一番から半分まで、それより後の奴らは見学だ。ああ、このクラスは中等部から上がってきた連中がほとんどだし、基礎すっとばせてほっときゃいいから楽で良い」


 欠伸混じりで三角が締め、他の生徒が次の行動に移り周りがざわつき始めたことで日向はようやく現実に引き戻された。

 三角の話を聞いてなかった上に、前半組に入ってしまっていた日向は、まずった、と内心焦る。しかし、二人組の内容ならパートナーに聞けばいいと思いつき、後ろにいるパートナーに振り返る。


「すー……すー…」


 まるであてにできない。

 ちょうど出席番号が折り返しでパートナーとなっていた桜は、昼食後で腹が膨れていたからか、体育座りのままうたた寝していた。


「使えねぇ……」


 取り繕っても仕方ないため日向は気は進まないが三角に再度、授業の内容を聞くことにした。


「すいません先生、考え事してたんで話を聞いてませんでした」

「ああ? 面倒くせぇ、パートナーにでも……クソっ、春原の奴寝てやがったのか」


 どうして教師になれたのか、職業適正を疑う三角の態度に、最初からちゃんと聞いておけば良かったと、日向は後悔した。


「まあいい、やることはシンプルだ。徒手での組手スパーリング、中等部からいる連中は基礎訓練の過程でCQC近接格闘を修得してるから、その動きの確認と応用だな。お前と春原は高等部からだが、葵の家で一通りは叩き込まれてるだろうから手ほどきはいらんと判断した。一組ごとに与えられた白線内で終了の合図まで好きにやれ、以上」

「その間、アンタは何すんだよ……」

「何もしねぇよ。特に教えることもねぇし、見学してる奴らから質問があれば答えるくらいはするがな」


 説明は終わった、と言わんばかりに三角はかったるそうに日向を追いやる。

 どうもこの教師はまるでやる気が無いらしい。


「だとよ、聞いてたか? 桜」

「ふぁ~あ、うん、聞いてた聞いてた。高校入ったからって言っても、大して変わったことはしないんだねぇ」


 欠伸と共に身体を伸ばす桜と日向は自分達に割り当てられた白線で仕切られた範囲に入る。


「ようするに、いつも通りやれってことっしょ。んじゃ、初動は軽~く、いこっか」


 特別段取りを決めなくても、日向が修行を始めた時点で、いつも組手の相手は桜が務めていたので、なんの弊害もなく始められる。

 両者は互いが腕を伸ばしても指先が触れ合わない程度の距離で向き合う。


「問題ない、始めるぞ」


 動き出しは桜から。

 全身がバネのような瞬発力を持つ彼女は、座り込んだように見えるほど膝を曲げて一直線に日向に突進する。

 大した距離ではないが、それでも最初から二人の間に距離が無かったかのような間で桜は日向の懐に潜り込んでいた。


「そう言やさ」

「何だ」


 今の脚運びは『縮地』と呼ばれる武術における奥義の一つなのだが、そんなことを二人は気にもすることなく、いつもの調子で雑談を始めていた。

 急接近した桜は日向の顎を狙って右足を軸に上段蹴りを放つ、桜の身長は丁度日向の顎先くらいの高さにあるので、彼女は自分の頭頂までつま先を掲げたことになる。


「いつもはクソ真面目な坊ちゃんの日向が、先生の話を聞いて無いなんて珍しいじゃん」

「昼にドクターに言われたことについて少し考えていた」


 桜の日向に対する皮肉はいつものことなので、特に意に介することなく。放たれた蹴りを上体を反らして躱す。

 外れた脚を直ぐに引っ込め、今度は蹴りを放った方の足を軸に、バランスが悪くなった日向に足払いをかける。


「ああ、なるほどね。日向にとって、友達なんて、高嶺の花、どころか、オリハルコンみたいなものだしね」

「伝説クラスかよ、たまげたな」


 足払いを受けた日向だが、二連撃目の技で踏み込みが甘かったのと、日向が祖父から習いうけた薊一刀流の根幹である体幹により、ヒットはしたがしっかりと踏み留まった。

 体勢を戻した日向は、足技を連続で使いバランスが不安定になっている桜の頭を片手で掴み、硬い地面に後頭部を叩きつけた。

 昔は石畳でこれをしていたので、衝突時の音に物足りなさを感じてしまう日向は少しおかしい。


 良家の出身ということもあり、同年代の男子に比べて紳士的で女子に手を上げることはまずない日向だが、例外的に桜のことは女子と見なしていない。

 凶暴さ、それに見合う運動性能、ウルフヘア、総合して、『春原 桜』という獣なのだと、日向は認識していた。


「だってさ、病弱な身体を克服して、ちゃんと通えるようになった中学でもずっとムスッとして、誰とも話さなかったじゃん」

「話さなかったわけじゃない、誰も話しかけてこなかったんだ」


 見ている側が悶絶しそうな攻撃を受けてもほどほどに石頭な桜は怯むことなく、顔を掴んだ日向の腕を掴み返し、地面に背を付けたまま、一回りデカイ体を投げ飛ばした。


「だから、それが話さないって言ってんの、自分から話さない奴に友達なんてできるわけないじゃん」

「特に話すこともねぇのに、ベラベラ話すお前とは違うんだよ」


 起き上がり、投げられた日向の着地のタイミングで胸ぐらと肩に掴み掛かり、柔道でいうところの大外刈りを掛けようとする。


「さっきの、授業の内容が分からなかったときも、クラスの子に聞きにいけば、話すきっかけになったんじゃないの? そういうことを自分から話すっていうんだよ」

「それは、盲点だった」


 日向は転ばされる前に引っ掛けられそうになっていた足を上げて、その足で突き飛ばして距離を取る、俗に言う「ヤグザキック」というやつだ。


「とにかくこういうことは日向だけじゃ、どうしようもないし、花蓮ちゃんと一緒に作戦会議が必要だね」

「同感」


 距離が開いた状態で優位性があるのは桜、それを失念していたわけではないが、突き飛ばしてから悪手を取ったと後悔する。

 走り幅跳びの要領で桜は跳んだ。いや、走り幅跳びのような動きをしていると認識しているのは本人と日向だけだ。傍から見れば元の位置から日向の目の前までひとっ飛びしたように見えただろう。

 先程間合いに入ったときと違い、桜は動きを止めず日向に衝突しにいったのだった。飛び膝蹴り、それを怒涛のスピードと全体重を載せて日向の鼻先に向けて打ち込んだのだ。

 ぐしゃっと、最早二人にとっては環境音に等しいほどに聞いた音が鳴る。おそらく二人とも、いつもこれを治療するはめになる未希の苦々しい顔を想起したことだろう。

 桜の体重が軽いこともあり、日向は仰け反る程度に踏みとどまる。


「そろそろ、温まってきたね」

「いい頃合だろう。んじゃ、ヒートアップだ」


 会話の片手間にやっていたウォームアップのような打ち合いを止め。ようやく二人は組手に集中することにした。

 口火を切るのはいつも桜、初動と同様に体を深く沈み込ませ、自身を弾丸のように射出する。先ほどと違うのは姿勢は低いままでの突進という点。

 狙いは鳩尾、軽い体重ゆえに一撃で沈められないからこそ、急所を強打し動きを鈍らせてから、さらに連続して顎、鼻柱と有効打を重ねる。というのが桜のプランだった。

 ブレーキは拳、当初の狙い通り日向の鳩尾に少女にしては無骨な拳が突き刺さる。


「っつ……!」


 えづく日向に空いたもう片方の拳で顎を打ち上げようと握り締める。

 だが、日向はこの程度で完全に怯むほど軟くはなかった。

 追撃を掌で受け止め、丁度いい位置に置いてあった桜の顔を膝で蹴り上げる。

 桜の飛び膝蹴りと違い派手な音はせず、ごっ、という音から眉間に膝が入ったのだと日向は判断した。

 顔が上に向き、体を動かすことを純粋に楽しんでいる桜の笑顔と、ただただ真面目に訓練をしているだけの日向の仏頂面と視線が交差する。


「ははっ!」

「……」


 カウンターを決めると、膝を食らわせた箇所にもう一撃、重い拳を叩き込む。

 桜は大きく仰け反るが、二本の足で踏みとどまっている。

 ここで日向は気がついた。なぜ初動と同じように自慢の健脚を用いた蹴りではなく打拳で攻めてきたのかということについて。

 地面を蹴る力が凄まじいということは、自身を地面に固定させることもできる。

 縫い付けるというよりかはボルトで固定されているかのようにビクともしない下半身、それは鍛え上げられた背筋を使って拳のダメージを反らすため。

 そして反った上半身を腹筋で弾くように持ち上げる。それは石頭をしなりの聞

く身体で投石するようなものだった。

 有効打となったヘッドバットだが。痛い、程度の苦痛で折れる日向ではない。

 苦痛そうな表情を見せず、日向はむしろ余裕すらみせるように、かかってこいよ、と無言のジェスチャーで挑発する始末である。


「いいね、面倒なのは嫌いだし、もっと単純にやろう」


 ノリノリで挑発に乗る桜もボクサーのように拳を構える。

 この二人の組手の終着点はいつもこれだ。

 ノーガードの殴り合い。

 もはや組手といえるのか怪しいところだが、日向の祖父どころか兄弟子達すらも止めるどころか、野次を飛ばして煽っていたほどだ。

 桜は軽いが速いジャブを小気味よく打ち出し、日向は一発一発が重いストーレートをフェイントを交えながら狙い済まして放っていく。

 どちらもボディには目もくれず、KO狙いで頭をガンガン狙っていく。

 躱す、殴る、受けながら殴る、それの繰り返し。周りのことなど目もくれず、どちらもこの殴り合いに集中していた。片や笑顔を携えながら、片や無表情で、その様子はまるで狂戦士のようだった。


「――い、おい! 止まれ、馬鹿ども!」


 白熱していたその時、三角の怒声で、二人はようやく我にかえったように動きが止まった。


「なに、もう時間?」

「体感五分くらいだが」


 熱くなっていた分、冷水を浴びせられたような気分の二人は若干不服そうだった。


「時間はまだだが、お前らな……誰が殴り合いの喧嘩しろつったよ」

「「?」」

「なんで不思議そうな顔してんだよ。普通訓練でひしゃげる音とか顎が砕ける音とかしねぇんだよ」

「それって本当に訓練っていうのか、腕の一本や二本や三本、折れてナンボでしょ」

「こんなんまだまだ肩慣らしですよー、どっちも気失ってないし」

「骨折したり気絶するようなもんを訓練とは言わねぇよ。ああクソ、脳筋葵家基準の奴に一任するんじゃなかった……。お前らな、一度冷静になって周りを見てみろ」


 三角に言われて、他の生徒を見てみると……。


『あんな音どっから出てんだよ……』

『女子の顔をあんなにボコボコにするなんて……』


 クラスメイト達が遠巻きにドン引きしている姿があった。

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