外ではもう一人の僕が荻野の気を引いてくれている。僕は今やるべきことをやろう。

 時計塔。僕が二十年前、仲間とともに何度も苦難を乗り越え、そして、夢を叶えた場所。

 研究室に使っていたのは、時計盤の裏。エレベーターはなく、古い階段を昇っていくしか辿り着く手段は無い。

 もう二十年、誰も来ていないから階段は埃を被っている。

 だからこそ、真新しく出来ていた足跡が一際目立っていた。

 そんな足跡をを辿るように、一歩、一段を踏みしめるように、踏み割るように進む。


 微かに残った感情が、歩を進めるごとに、感傷をもたらす。

 二十年前、方舟に派遣された頃、そのときは男子学生として方舟で活動をしていた。

 初めは、誰も巻き込みたくなかったから、あえて嫌われるような振る舞いを演じていた。授業をサボったり、意識して言葉を発しないようにしたり、睨んだり、無視したり。

 それでも、付きまとってくる連中がいた。


 居場所がない奴、勘違いなシンパシーを感じた奴、噛み付いてくる奴、それに引っ付いてくる奴、世話焼きな奴、矯正しようとしてくる人。

 僕が不死の化け物だと知っても、共にいてくれた、おかしな連中。

 そして、気がつけば、この時計塔がそんな変わり者の連中の溜まり場のような場所になっていた。

 たった三年間、それでも、色んな記憶が染み込んでいた。

 まるで、そんな思い出たちを、踏み壊しながら進んでいるようだった。最初の踊り場に付くまでに、果てしない時間を要したような気分に陥る。


 これ以上、登っていくことを体が拒否している。

 こんなんじゃ、何のために感情を切り離してきたのか、わからないじゃないか……。

 まるで、まだ人でありたいと、思ってるみたいじゃないか、辛うじて人型を保っているだけの、人でなしの化け物の癖に。

 登るたびに、内側から何かが壊れていくような感覚が、なおのこと踏み出す足を重たくする。


「Mein Herz ist……Eiz Blume」


 それは、まじな いだった。

 オリジナルの何の根拠もない。非合理で、意味も薄弱な、けど、そうでもしないと――。

 長い時間を掛けたと思っていたが、実際の時間はそんなに経っていないだろう。かつて、僕たちが研究室として、秘密基地として使っていた部屋の前に辿り着くのに掛かった時間は。

 先行していた足跡もここで途切れている。

 呪いが効いたのか、なんの躊躇いも無く、そのドアノブを捻ることができた。


「よ、朝から待っていたけど、思ったより早かったな――アル」


 中で待っていた奴は、気の置けない友人を出迎えるように窓際で腰掛けていた。


「菅野……」


 部屋の中は、二十年前と変わらず、とはいかなかった。

 調度品や各人が持ち寄っていた娯楽品は撤去され、面影が残っているのはテーブルと、菅野が持ってきていた電気ポットとインスタントコーヒー、そして、アキレウスの中枢コア


「キミだったのか、アキレウスの情報を黄金の環にリークしたのは」

「まるで、今知ったみたいな言い方だな。お前のことだ、とっくに解ってたんだろ?」


 可能性はあった。

 菅野に渡された甘ったるいコーヒーの味に、違和感があった、多分、睡眠薬を盛られていた。だから、想定より、起きるのに時間が掛かった。

 その時は目的がわからなかったし、今でも確証とまではいってない。だから、疑いきれなかった。

 ただの消去法だった。方舟にいてアキレウスの居所を知る、三角、姐御、菅野の中で、菅野だけが信じ切れなかった。


「間違ってない、確証を得たのは今さっきだ」

「正直な奴」


 まるで雑談をしているように、彼は明るく笑う。

 どうして菅野はまるで、まだ友人であるかのように話すんだ?


「まさか、キミまでもが黄金の環の考えに賛同していたとは、思わなかった」


 短剣型にして持ってきた『形の無い物語』を突きつける。


「別に俺は黄金の環の理念なんかに興味はない。ただ、俺の目的のために協力しているに過ぎない」

「目的?」


 またしても、菅野は昔のような微笑を浮かべる。



「お前の夢を砕く、それが俺の目的だ」



 それは、首を刎ねられるよりも、身体に異物を流し込むことよりも、辛く残酷な真実だった。

 かつて、共に夢を追い、理想を手助けしてくれた友であったはずなのに、どうして……?


「僕が化け物だからか? 僕が二十年前と姿が変わらない、化け物だからなのか!?」

「違うんだ、そうじゃない、そうじゃ、ないんだ……」


 わからない、僕には菅野の真意が読めない。


「もしかして、キミは僕を恨んでいるのか? また気が付かないうちに、友を傷つけていたのか?」


 目的が僕の夢を壊すことなら、原因は僕にあるはずだ。

 切り離した感情が吼え猛るのがわかる。怖い、知らないうちに誰かを傷つけていたかもしれないという恐怖を理性で締め上げる。


「違う! これはあくまでも俺の身勝手だ」


 形の無い物語を突きつけているのに、菅野は臆することなく近づいてくる。


「この前、お前に質問したな、何故、世界を守りたいのか? 平和にしたいのか? その時、お前はなんて答えたか憶えているか?」


 僕が寝過ごして、菅野に送ってもらったあの時のこと。


「憶えていない、そう答えた」


 僕の記憶、願いの源泉、それはとうに失われてしまった。

 この願いを叶えるために必要だった悠久を手にするために、魔女と取引きしたのだ。未来を手に入れるために、僕は過去を捨てた。

 かつての名前を、思い出を。きっと、かけがえの無いものだったはずだったのに。

 そして、魔女は僕から時間という概念を抜き取った。

 僕の身体は壊れた秒針のように、進んでは戻りを繰り返す。

 条件は大きな身体の変化、大怪我、死によって『肉体の時間が進んだ』と判断されれば時間を抜き取った頃の肉体に戻っていく。

 どういうわけか時間が止まってからの記憶は続いている。

 しんじつを嫌う魔女は、魔法だから、と詳しいところまでは教えてくれないが、使える以上は文句は言わないことにしてる。


「学生時代、潰れてしまいそうな俺に手を差し伸べてくれたお前がどんな人間でも救おうとする姿に憧れた。だから、俺はどんな協力も惜しまなかった」


 近づいてくる。言い表しようの無い脅威が、悲しそうな笑顔を携えて。


「けど、違った……その執念はお前を苦しめていたんだ。二十年前のあの日、アキレウスがなかったあの頃、全身に異物を流し込みながら、苦痛に耐えながら獣のように『月下の真実』を振るっていたお前は、血の涙を流していた。死なないからと、どれだけ血を流しても、笑いながら他人に手を差し伸べるお前の狂気は見ていられなかった」


 違う、狂ってなどいない、もし狂えていたのなら――。


「俺には計り知れないきっかけがその願いを突き動かしているんだと思っていた。もし、そうなら俺に止める権利はないと、だから、あの日、聞いたんだ」


 菅野との距離はもう腕一本分だった。刃先は菅野の身体に触れているのか触れてないのか曖昧なほどに近い。


「お前は憶えていないと、その願いの根源を! だったら、どうして涙を流しながら、苦しみながら、人間を辞める必要がある! そんなのはのろいだ、憶えてもいない願いのためにその身を削るなんてのは」


 その目は真っ直ぐと僕を、見つめていた。ただ、僕を思ってくれていた。


「俺は、そんな苦しみから、お前を解放したい。二十年前、俺を暗闇から救ってくれた時から、お前のことが――」


 その先を、聞いてはいけなかった。


「黙れ」


 今度は僕から近づいた、白金に煌く刃先を躊躇いなく、目の前のモノに押し付ける。


「たかだか、三年間の付き合いなど、瞬きする間に等しい。それとも、この三年間は僕にとっての特別だとでも思っていたのか?」


 コード003、それは第三機関に与えられた、もう一つのやくわり

 裏切り者の粛清。常にNNNが中立であるためのバランス制御システム。

 それがたとえ、かつての友だったとしても、非情に刃を振るわざるをえない。


「キミとの会話も、コトを円滑に進めるためにやっていたに過ぎない。キミの思いが僕を止めれるなんて、思い上がりも甚だしい」


 肋骨の隙間を縫って心臓に刺さった刃を引き抜く。刃に引っ掛かった肉に引っ張られ、菅野の身体が僕に寄りかかり、顔が隣り合う。


「あいかわらず嘘、下手過ぎ……やっぱり、泣き虫だなぁ、お前は。少しでも、お前には心から笑っていて欲しかった……のに、こんなことになるなんて、な……」


 この期に及んでも、菅野の声は優しかった。


「悪、かったな、約束を、守れなくて……」


 息も絶え絶えに僕の耳元で呟いたソレを最後に、菅野の鼓動は制止した。

 約束。なんでもない日常の一幕のどこにでもあるスーパーの一角で交わされた、遂げることになんの障害もなかったはずの、簡単でかけがえのない約束。


「そんなの、もっと早く、言ってくれよ……僕は向けられる好意に鈍いことくらい、分かってたじゃないか……」


 彼と過ごした三年は、間違いなく大切だった。特別ではないからこそ、大切だった。

 約束なんてきっかけに過ぎない。この願いはもう既に、小さな今を生きるキミたちを思った僕の決意に変わっていたんだよ。

 そんな、小さな時を積み重ねてきたから、こんなに果てしない時間になってしまっていた。


「片方の加勢に行かないと。アキレウスが壊されたら元も子もない」


 階段を降りている際中に、感情を殺したはずの頬に伝うモノが、また僕に人間のフリをさせていたのだと悟った。



「無理だアルベルト、そいつの心臓は直に止まる。助けられはしない。それに、そいつは敵だ。救助したって意味はない」

「うるさい! 敵だからなんだ! まだ子供なんだぞ!」


 白衣を赤黒く染めるアルベルトの傍に横たわるのは、脇腹から腰にかけてドッジボールほどの大穴を開けている少年だった。


「そいつは自分の身体に爆弾括り付けて来やがったんだ。端から俺たちを道連れにするために!」

「子供が与えらた選択肢を正しく選び取れるわけないだろ! 自分の意志で選んだ。なんて、そう思い込んでるだけだ。もっと多くの選択ができて、引き返すことができたなら、もっとマシな未来があったはずなんだ!」


 さっきから子供子供って、お前の方が、俺よりよっぽど小さいじゃないか。と倒れている少年は、朦朧とした意識の中で呟いた。


「だから、絶対に諦めない。未来が、希望がある子供を殺す選択なんて僕は絶対に許さない!」


 それは無理だ。設備や道具が充実した集中治療室ならともかく、ここは戦場のど真ん中、応急処置でどうこうできるレベルの怪我ではない。

 アルベルトは止血や治療術を行使するが、部位が抉れるほどの損傷は、自然治癒能力の促進程度の効果しか出せない治療術では到底完治はできない。


「足りてない、血も肉も骨も……」


 アルベルトはこの環境の中で最善を尽くした。見る人が見れば奇跡か神の所業を疑うほどの施術だろう。しかし、それでも足りない。

 バイタルは刻一刻と下降していき、少年を現世から遠ざけていく。

 どんな名医だって諦める。もう手の施しようがないと。だが、彼、アルベルトは、いやアート=テイルは「諦める」というブレーキをぶっ壊していた。

 アルベルトは白衣の裾から一丁の拳銃を取り出した。

 銃などに詳しくない少年だが、その用途くらいは知っている。

――せめて苦しまないように、介錯してくれるのか、俺は敵なのに変な奴……



「血液型はAB型のRH-だな。丁度よかった、手間が一つ省ける」



――ズドン!


 銃弾が撃ち抜いたのは少年ではなく、アルベルトの左足だった。

 ありとあらゆる装備をドイツ製でないとという謎のこだわりがあるアルベルトが、ただ一つ、こだわりよりも人命救助のために性能を求めた武器が拳銃、デザートイーグルだった。

 拳銃としては破格の威力、改造なしで熊でも殺せるが、アルベルトは一環して、この銃を医療に使っていた。


「っつ!」


 着弾した部分は弾け飛び、骨を砕いた。

 そして、膝から先がアルベルトの身体から分断された。


「おい! 馬鹿かお前! 何やってんだよ!」

「何って、近くに足りないパーツがあったから有効活用してるだけだが?」


 千切れた身体側を凍らせて止血しながら、すぐに切り離した足を形成し始める。

 つまり、アルベルトは足りない、抉れた部分の肉や血、骨を自身の足で代用しようというのだ。


「めっちゃ痛いし血液型が合ってるからって拒絶反応が起きないとは限らない。もしそれで死ぬことがあったら、僕を恨むといい」


 少年の耳元で囁くように告げる。涙を流した笑顔で。

 何を恨むことがあろうか、まさに身を削って、自身を救おうとしてくれている医者の施しが、どんな結末を持ってこようと。

 感謝こそすれ、恨みなどあるわけがなかった。


 

「術後経過良好、拒絶反応なし、感染症も見られない。神経が定着するまで――移植部分が完全にキミのものになるまでには時間が掛かるが、なんとか生命維持に成功した」


 どこかの病院で、片足を失くした医者が飴を頬張りながら少年に語りかける。


「あの……足……」

「ん、ああこれか、問題ない。この程度の欠損なら何日かすれば治る」


 本当は移植したパーツがまだアルベルトの肉体扱いなので、完全に少年のモノになるまで不死の能力で再生できない、というわけなのだが、他人の少年に不死であることを打ち明ける義務はない。


「多分、テロリストに加担したキミにはこれから色々あると思うし、つけるべき落とし前はしっかりつけてもらう。けど、それからは、キミの自由だ。誰に与えられるでもない、キミが選ぶ未来だ。好きに生きるといい」


 淡々とした表情に微かに浮かぶどこか満足げな笑み。それを美しいと、少年は思った。


「名前を聞いてなかったね、僕はアルベルト=ウィンジッド、医学者で技術者だ」

「俺は……菅野、菅野 秋人。俺もいつか、アンタみたいな、人のためになれる人になりたい!」

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