2
夢を見た。
いつかの、遥か遠い、知らないどこか。
穏やかに流れ、時折魚が跳ねる小川。青々と生い茂る木々が生命を育む山林に囲われ、誰もが支え合い、互いを活力に生きている。そんな小さな小さな、箱庭のように美しく優しい世界。
争いを起こす意味は無く、それぞれが役割を持って、誰か一人でも欠ければ支障を来たすから、隣人同士が互いを労わり明日の無事を祈り合う。
そこには生きるため以外に、慈しむことを心から幸福に感じている人々の姿があった。
足り過ぎず、不足し過ぎない。バランスよく成立していた、その世界は理想的と言えた。
けど、その理想的な世界は、大きくなるほどに維持が難しくなっていった。
数が増えれば個の必要性が希釈され、他者への慈しみの心が段々と薄れていき、やがて、互いが互いの居場所を奪い合う醜悪な世界へと変貌していった。
だったらと、僕は約束した。
誰もがあの小さな箱庭の世界のように、幸福を享受できる世界を創ろう、と。
誰と? いつ? どこで? どうして?
憶えてない。顔も砂嵐が掛かっているようで、声も所々消えている。けど、結果としてこの約束は僕を、ここまで連れてきた。
いつしか、約束は僕の願いに、そして、僕が存在する理由になっていた。
だから、立ち止まれない。
ただ一つ、この約束を果たすために、この願いを遂げるために、僕は、『人でなし』になったのだから。
首を刎ねられようと、四肢を捥がれ眼球を刳り貫かれようとも……! 何度だって両の翼を広げて舞い戻ってやろう。お前らが、『不死鳥』と僕を呼ぶようにッ!
○
「そうだ……死んでなど、いられるか」
閉じた瞳が開かれる。
僕の生命機能は停止した。連動してRXも機能を停止したようで、動かなくなったRXは放置され、周囲にはトリガーも荻野もいない。
形の無い物語は、奪われていない。これもまた僕の生命活動停止に応じて、僕の体内に戻ったようだ。
アキレウスは無事だ。なら、さほど時間は経ってないはず、急ごう。
「姐御、方舟にトリガーの姿を確認。一回殺されました」
『知ってる、こちらでも確認がとれた。誰かさんが通信設備を破壊してくれたおかげで、情報伝達に時間がかかったがな。復活した三角に追わせてる。それより問題は、アキレウスが停止していることだ、おそらくは……』
「分かってます、すぐに対処します」
姐御が紡ごうとした言葉を遮り、頭で理解していることを、心から遠ざける。
僕は傷一つ無い身体で立ち上がる。
目的を、約束を遂げるために歩きだす。それ以外を壊す覚悟など、とっくの昔に出来ている。
●
「これで、もう邪魔は来ない。ようやく、忌々しいてめぇをぶっ壊せるぜ、アキレウス……! まさか、こんな場所にあったとは。灯台下暗し、っつうか……」
一本道を抜けた先、アキレウスの足下。
荻野が見上げるのは、艦橋に次いで方舟で巨大な建造物。
「時計塔……学生時代は毎日顔を拝んでたってことかよ」
「そう、アキレウスは時計塔を改造して建造された擬似魔導具、魔術発生装置の電波塔にこれほど向いてるものは無かったからね」
背後からの声に、驚愕したような顔で荻野が振り向く。
「アート=テイル!? なぜ生きてる? 俺はこの目でお前が首を刎ねられたのを、死んだのを見た。アレで死んでないなんてあり得るものか!」
驚き、というよりは恐ろしくてたまらないだろう。死んだはずの人間がリビングデッドさながら現れたのだから。
「この際、秘密とか、どうだっていい。というか、こうなることを想定していたから、通信施設を破壊したんだから」
自分にしか聞こえない確認を呟く。ただ、ここで終わらせるためだけに、真実を告げる。
「僕は殺せない、この身は既に人でなし。時に置き去りにされた亡霊にすぎない」
この手に、形の無い物語を再び握り締める。
武器庫は置いてきた、もはや一刻の猶予も許されてはいないのだから。
「キミがさっき指摘した僕がアルベルトの子だというのは、まるで見当違いだが、それも無理もない。永久に形を維持し続ける身体なんて、そうそう存在しないしね」
「まさか……!」
アキレウスの原型の所持者、アキレウスに対する執着、そして、刎ねられた首が何事も無く接着していることを総合して、彼はようやく理解したようだ。
「そうだ、僕は不老不死の化け物。そして僕こそが、アルベルト=ウィンジッド、本人だ」
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